2018/02/17

寒がりと怠けたがり

《私のおやじも寒がりだったし、うちの息子も寒がりだ。寒がりの上に、なまけものだ。(寒がりと怠けたがりにも何か関連あるらしい)》

 梅崎春生の「聴診器」というエッセイの一節。来週発売予定の梅崎春生著『怠惰の美徳』(中公文庫)にも収録している。今回のアンソロジーは梅崎春生の「怠け者」の面を軸にして編集した。解説もわたし。戦争文学だけではない、梅崎春生のゆるくて、ぐだぐだした魅力を伝えられたらとおもっている。カバーの絵(平木元さん)、デザイン(細野綾子さん)もすごく気にいっている。

 寒がりと怠けたがりは関連あるのかどうか。わたしも寒さが苦手で横になってごろごろしているのが好きだ。
 今日も起きてから、ずっと頭がぼんやりしている。毎日やろうとおもっていることの三分の一くらいのことしかできない。「それが自分なんだ」と開きなおる気力もわいてこない。

 昨年秋、福岡を訪れたとき、梅崎春生の生家付近をメモをとりながら散策したのだが、いざ書いてみると取材した文章の部分が妙にゴツゴツしていているような気がして(よくあることだ)、全部カットした。
 昔の自分だったら、他の部分を削って取材した部分を残していたかもしれない。齢とともに、文章における取捨選択の感覚が変わった。

 できない三分の二より、できる三分の一を大事にする。しかし、できる三分の一も年々摩耗していく。だから、できない三分の二に取り組む必要がある。わかっているのだけれど、その気になれなくて困っている。