2018/02/01

紀伊半島(二)

 午前八時五十三分に和歌山駅を出て、新宮駅には午前十一時四十九分に着いた。
 新宮駅から鈴鹿駅には直通のワイドビュー南紀という特急がある。だいたい三時間。おもっていたよりも近い。昔、車で南紀勝浦に行ったときは、片道八、九時間くらいかかった記憶がある(途中で休憩や寄り道もしたけど)。四十年くらい前、三重から和歌山にかけての道路事情はひどかった。道が細くて崖だらけで雨が降るとすぐ通行止めになった。

 はじめて新宮駅に降りた……のだけど、見たことがあるような気がしてしょうがない。わたしはこの風景知っている。よくある町だからではない。新宮のような町は日本中探しても滅多にないはずである。

 新宮駅を出て、徐福公園、阿須賀神社、新宮城跡、佐藤春夫記念館、熊野速玉大社、浮島の森を歩いて回る。
 レンタサイクルを借りるかどうか迷ったのだが、今回の旅は歩くことにした。町は歩いてみないとわからないことが多い。

 新宮川(熊野川)の向こう側は三重県である。「この川の水、半分は三重のものなんだな」という感慨に耽る。

 新宮に行きたかったいちばんの理由は、佐藤春夫記念館を見たかったからだ。記念館は、西村伊作の弟の大石七分が設計した佐藤春夫の家を移築復元したもの。造りがかっこいい。佐藤春夫については、いずれ雑誌に書く予定なので、ここでは詳しく書かない。

 佐藤春夫記念館を出た後、浮島の森に行こうと歩いている途中、まさ家といううどん屋に入った。ここがめちゃくちゃうまかった。味にかんしては、好みもいろいろあるし、体調に左右されることもあるが、わたしが理想とするうどんのだしだった(ほんのりとだしの酸味がきいていて、さっぱりした味だった)。

 浮島の森は泥炭の上に森があり、昔は風が吹くと池の中を動いた。受付で「時間はある」と聞かれたので「はい」と答えたら、係の人が、浮島の植物や浮島の歴史を解説してくれた。北や南のシダやコケが混在している珍しい森なのだそうだ。

「はじめて来たのに、この町、知っている気がするぞ」問題は……おそらく、子どものころ、南紀勝浦に行ったとき、行きか帰りのどちらかに新宮に寄ったのではないか。ただし、その記憶がまったくない。さらに新宮から鈴鹿に帰る途中、「憶えていないけど、なんとなく知っているような気がする景色」を何度も見ることになる。

 わたしの母校の先輩で『群像』の編集長だった大久保房男は、プロフィールに「紀州熊野に生る」と書いている。熊野と呼ばれる地域は和歌山と三重にまたがっている。
 佐藤春夫は新宮の生まれで、大久保房男にとって「熊野訛り」で話ができる唯一の文士だった。

 佐藤春夫の父は医師。大逆事件で処刑された医師でクリスチャンの大石誠之助も新宮の人だ。大石誠之助は、文化学院を作った西村伊作のおじでもある。西村伊作と佐藤春夫は、大石誠之助に多大な影響を受けている。

 今年一月、新宮市は大石誠之助を「名誉市民」に決めた。新宮市、すごい。たぶん、新宮はまた行くことになるとおもう。まき家のうどんもまた食べたい。

(……続く)