2017/03/29

雑感

 日曜日、ペリカン時代でうつみようこ、橋本じゅんのライブ。最初から最後まで「今、すごいものを見ている(聴いている)」としかいえない気分になる。ギターのチューニングしているところまでかっこいい。
 その人にしか出せない味というか、音に人が出るというか——いろいろな覚悟が、すべて歌や楽器の音になっている。
 帰り道、からだが軽くなっている。五十代楽しそう。
           *
 すこし前に鮎川信夫の「『一九八四年』の視線」(『擬似現実の神話はがし』思潮社)を読み返した。
 このエッセイで、鮎川信夫は今の時代は詩の水準は上がっているけど、ずば抜けた詩人がいなくなったというようなことを書いている。

 そして詩を絵にたとえ、こんなこともいっている。

《どういう絵を描けば展覧会に入選するかは、もうすでにわかってしまっている。そうではなく、通らなくてもいいから俺はこれが書きたい、これを見てくれ、というものを詩人は呈示すべきだ。それがないと、結局全部詩はレトリックのわずかばかりの差になってしまう》

 詩や絵にかぎった話ではなく、通りやすい「型」の中で技術を磨くことは、簡単とはいわないが、おもしろくない。「型」を壊すにも技術がいる。

《たとえば僕は現在週刊誌でコラムを書いているが、そうしたマスコミの中での書き手たちを見ていると、皆特定のワクの中で与えられた素材を、一定の技術でこなしている。こうしたことは、時間さえあって習練すれば誰にでもできるだろう》

 今、わたしは習練の壁みたいなものにぶつかっている。
 ひたすら反復練習することでしか身につかない技術もある。その時間の捻出が、むずかしい。

 しかしそれを齢のせいにするわけにはいかない。齢のせいにしないと決めた。

2017/03/19

読書と貧乏

 十年以上前に[書評]のメルマガで「全著快読 古山高麗雄を読む」という連載をしていた。
 二〇〇五年六月二十一日号が最終回(全三十回)。

 当時、三十五歳。最初の単行本が出る二年前で、まだブログもはじめてなかった。「全著快読 古山高麗雄を読む」を書きはじめたころ、わたしは『立見席の客』(講談社)だけは持っていなかった。連載は二年くらいの予定だったから、そのあいだに何としても手に入れようとおもっていた。連載の三回目か四回目かで見つかった。

 今、古山さんの著作で入手難なのは『私の競馬道』と『競馬場の春』(いずれも文和書房)だろう。『立見席の客』はアマゾンの中古本で格安で売っている。
 本には巡り合わせがある。古山さんの本が残りあと一冊になってからも『立見席の客』はなかなか目の前にあらわれてくれなかった。

『競馬場の春』の表題作のエッセイはこんな一行からはじまる。

《春を迎える喜びは、貧乏であれば、ひとしお味わいが深いような気がする》

「競馬場の春」は、春が近づくと読み返したくなる。

 古本屋を歩きまわって、ひとりの作家の本を全部集める。古山さんの本をすべて読むまでに十年ちかくかかった(四、五冊、古書目録で注文したかもしれない)。
 そういう本の集め方は久しくしていない。この先、インターネットの古本屋に頼らず、五十冊くらい本を出している作家の全著作を集めようとはおもわない。検索してひっかかれば、翌日か翌々日に本が届く……という便利さには抗えない。

 一冊一冊、古本屋をまわって探した作家は、吉行淳之介、山口瞳、色川武大もそうだ。やっぱり最後の一冊を入手するのは苦労した記憶がある。
 二十代のころは、風呂なしアパートに住んで、月末の家賃や日々の食費に悩みながら、本を買っていた。古本屋に行く電車賃が惜しくて、自転車で古本屋をまわった。読書も、貧乏であれば、ひとしお味わい深い。

 今は電車にすぐ乗る。自転車は持っていない。
 さっき、十年くらい探していた本をネットで注文した。

2017/03/16

日本人口会議

 古山高麗雄著『立見席の客』(講談社、一九七五年刊)に、「こどもは二人まで」というエッセイがある。

 一九七四年七月、日本人口会議が「日本が人口問題で深刻な影響を受け始めていることを確認、“こどもは二人まで”という国民的合意をめざした努力をすべきである」と「宣言」したらしい。
 古山さんは「そういうことは、宣言というかたちで言われるべきものではないと思う」と違和感を綴っている。

 ちなみに、当時の日本の出生率は平均二・一四。
 一九七四年ごろの予測では、このまま人口が増え続けると、五十年後(二〇二四年)には、日本の人口は約一億四千万人になると考えられていた。

 現実に日本人口会議の影響がどのくらいあったのかはわからない。

 この会議に参加した「有識者」は、かつて自分たちが発した「宣言」をどうおもっているのか。すでに亡くなっている方も多いだろうが、ちょっと知りたい。

2017/03/13

神楽坂の「本」の日

 神楽坂で開催された「本のフェス」で本を売る。日本出版クラブ会館、建物が立派すぎて、いきなり心細くなるも、古ツアさんとマスク堂さんの顔を見て、ちょっと安心する。

 午前十時にスタートして、最初の一時間がまったく売れない。もしかしたら売り上げが参加費+本の送料にもならないかも……と不安になる。
 まわりはミステリーやSFの宝の山状態。西荻の盛林堂書房さんのところにものすごく人が集まっていた。ほしい本が何冊かあったが、気がついたら残っていなかった。
 わたしの隣のテーブルでは、北原尚彦さんが本を売っていた。北原さん、お客さんから聞かれたことにぜんぶ答える。すごい。ずいぶん前に、共通の知り合いの車で古本のチェーン店を北原さんとまわったことがあるのだが、そのときは探している本がかけ離れているせいか、いちども店の中ですれちがわなかった。こういうのは共存共栄というのだろうか、棲み分けというのだろうか。
 
 途中、会場を抜け出し、同時開催の神楽坂一箱古本市を見に行く。宮内悠介さんのところでちょっと話をする。わたしのアンテナにはひっかからない不思議な本ばかり。
 善國寺のわめぞブースでは、鶴見俊輔著『テレビのある風景』(マドラ出版、一九八五年刊)を買う。今年一月に開店した「BOOKS 青いカバ」が出していた本。場内の活気がすごい。楽しそう。南陀楼綾繁さんと古書現世の向井さんが、ふたりで並んでいる光景を見たのは、久しぶりのような気がする。
 赤城神社でヨーヨーの世界チャンピオンのパフォーマンスを見る。
 店番に戻らねばならず、ゆっくり回れなかったのが心残り。神楽坂にも小諸そばがあることを知る。

 開始早々、諦め気分にひたっていたのだが、不思議なことに、昼の二時半すぎから、徐々に本が売れ出す。午後四時前後がピ−ク。目玉商品のつもりで並べた本が、その時間帯まで残っていたのだ。何がどう売れるのかさっぱりわからない。場所や来る人によって、手にとってもらえる本の傾向がまったくちがう。いろいろ勉強になった。

 岡崎武志さんがふらっと来て、中央線の古本屋の話をしたり、つかだま書房さんから後藤明生の本の近況を聞いたり、フライの雑誌の堀内さんが親子で来てくれたり、方丈社の方々や金沢あうん堂さんと話ができたり、楽しい一日だった。

 本の背表紙をたくさん見るだけで幸せな気分になる。

2017/03/09

整頓

 すこし前に、串田孫一の『日記の中の散歩』(講談社、一九八三年刊)を買ったのだが、積ん読になっていた。
 この本に「整頓」というエッセイがある。古本屋で立ち読みしていたとき、この文章がじっくり読みたくて買った。

《私の日記には、始終、部屋を整頓しなければならない、これでは仕事の能率が低下するばかりだということが書いてある》

 わたしも掃除がしたい、本と資料の整理がしたい——ということをよく書いてしまう。物欲よりも、整頓欲のほうが強い。といって、きれい好きではなく、適度に、机のまわりに本が散乱しているくらいが心地いい。ところが、適度な散乱を維持することがむずかしい。
 あっという間に、本の山が二列三列と増え、そのうち足をぶつけたりして、本が崩れる。崩れた山を元に戻しても、どうせまた崩れる。今、やる気をなくしている。

《すべてのことをきれいに整頓してしまえば、何かをする意欲がなくなってしまうような気もするが、こんなに散らかし過ぎた中にいては、これもまた極めて能率が悪く、何の意欲も湧いて来ない》

《考えてみると、小学生の頃に六畳の畳の部屋の隅に机を一つ置いて貰ったその時から、かれこれ六十年、机とその周囲を整頓することにずっと追われて来たような生活であった。今更もうどうしようもないが、奇妙な生き方をして来たものだと思う》

 ものを減らさないと片付かない。
 わたしは蔵書の整理は、けっこう頻繁にやっている。それでも、どの本を売ってどの本を残すか、その仕分けはけっこう時間がかかる。ヘタすると、数日かかる。仕事にも支障が出る。

 本を手にとる。たぶん読み返すことはないなとおもって、本の後ろのほうを見ると、古本屋のシールが貼ってある。今はない店、旅先で寄った店……いろいろ記憶がよみがえってくる。あと生活が苦しかったときに買った本も手放すのに抵抗がある。

 上京して二十八年、本の整理ばかりして暮らしている。整理整頓はキリがない。

2017/03/08

本のフェスin神楽坂

 今週日曜日開催の「本のフェスin神楽坂」本の雑誌商店街(2F中宴会場)に「文壇高円寺古書部」も参加します。店番もします。
 一時期は隔月くらいのペースで古本イベントに出品していたのだが、ここ数年は年に一回くらい。今の古書価の変動についていけていないことが判明する(西部古書会館で三百円以下の古本ばかり買っているせいかもしれない)。出品しようとおもっていた本で、値崩れしているものもあれば、定価の何倍にもなっているものもある。無視しようかなとおもったけど、迷ったあげく、日本の古本屋やアマゾンの中古本で何冊かチェックした。ひさしぶりの古本の値付け、楽しい。

■本のフェス2017 @神楽坂 日本出版クラブ会館(新宿区袋町6)

3月12日(日)10時〜19時開催(入場無料)
本のフェスは、新しい本の楽しみ方を実践するイベントです。
目指すのは、本の世界の野外フェス。

主催   本のフェス実行委員会/読売新聞社
後援   一般社団法人日本書籍出版協会・神楽坂商店街振興組合・神楽坂通り商店会
特別協力 BS11(日本BS放送株式会社)
協力   日本出版クラブ会館・日本出版販売・神楽坂ブック倶楽部

■同時開催
3月11日(土)・12(日)神楽坂ブック倶楽部presents 一箱古本市@神楽坂。

■本の雑誌商店街 10:00〜19:00 
今年もやって来ました、本のフェス名物「本の雑誌商店街」!本の雑誌執筆陣や古書店、出版社が本を並べて、 
わいわいがやがや本や雑誌を販売します。今夜のおかずに商店街で美味しい本を見つけてください。

(商店街参加者)
本の雑誌社、トマソン社、古書ますく堂、盛林堂書房、古書いろどり、小山力也、北原尚彦、森英俊、荻原魚雷、東京創元社、国書刊行会、酒とつまみ社、140B、椎名誠旅する文学館、FLAVOR、ハーブとアロマテラピー灯り、古本と手製本 ヨンネ、左右社、方丈社、浅生ハルミン、あうん堂、しまぶっく、カンゼン、東京美術

詳細は、公式ホームページにて
https://honnofes.com/

2017/03/06

だからなんだという話

 お笑いコンビが、結成後なかなか芽が出なかったのにボケとツッコミを交代した途端、急に売れたり、漫才やコントのスタイルを変えてブレイクしたりすることがある。
 行き詰まって壁にぶつかって「このままではダメだ」と自分たちを否定して、もがき苦しみながら一から型を作り直す。そうした経験はすごく価値がある。

 二十代半ば、わたしは商業誌の仕事を干されて、食えなくなった。当時のわたしは硬派ジャーナリストといわれるような書き手を目指していて、鋭い(とおもわれるような)文章が書こうとしていた。たぶん、向いてなかった。
 編集者に「もっとわかりやすく書け」「すぱっと言い切れ」みたいなことをいわれて、そういう文章を書く練習をしてみたのだが、まったく書けなかった。

 そのころ、昭和十年代あたりの私小説を読みはじめた。今の文章と比べると、文章がのんびりしている。ああでもないこうでもないと悩んで、悩んでいるうちになんとなくうやむやになる。
「自分は正しい」という文章と「間違っているかもしれないが、自分はそうおもう」という文章はちがう。前者は鋭く、後者は鋭くない。自分は、鋭い文章より、のらりくらしした文章のほうが合っているのではないかとおもうようになった。

 で、これまでスタイルを変えて、売れましたと書けたらいいのだが、「文章が古いし、くどいよ」といわれ、さらに仕事が減ってしまった。
 ただし、鋭い文章を書こうとしていたときは、何か批判されると、すぐ反論していた。ところが、古くさくてくどい文章を書くようになってからは「今、ちょっと迷走中でして」みたいな大人の対応ができるようになった。
 で、大人の対応ができるようになったおかげで売れたと書きたいところだが、そうはならなかった。
 ただし、くどい文章を書いて、大人の対応をしているうちに、(以前と比べると)性格がのんびりしてきて、多少、神経も図太くなってきた。
 それから仕事が減ったおかげで、ひまな友人と知り合い、飲み会の誘いが増えた。

 それがライター生活十年目、三十歳手前くらい。それから最初の単行本が出るまで八年くらいかかった。

 何の教訓にもなっていない。

2017/03/01

待望の続篇

 三月になった。数字が二から三になっただけなのだが、ほっとする。
 冬は寝起きがつらい。起きてから、数時間、指に力が入らない。指に力が入らないと何もできない。靴下をはくことさえ難儀だ。
 起きたら、まず給湯器のお湯で手を温める……ということを教えてくれたのは、ライターの先輩のNさんだ。
 からだというのは、けっこう気分にも左右されるものだが、ただ、お湯で温めるだけで動かない指が動くようになる。目も覚める。
 アンディ・ルーニーの「ものごとがうまく行かなかったら、熱いシャワーを浴びよ」(『自己改善週間』晶文社)という言葉にもずいぶん助けられた。
 気力でどうにかしようとして、どうにもならなかったことが、給湯器のお湯や熱いシャワーや貼るカイロで多少はマシになる。

 春になったら、もうすこし活動量を増やしたい……とおもっていたところ、フライの雑誌社から牧浩之著『山と河が僕の仕事場2』が届いた。本といっしょに入っていたチラシの「映画化!したらいいな」という文句を見てクスっとなる。
 フライフィッシングの毛鉤職人(プロタイヤー)をしていた牧さんは宮崎県にIターン移住し、猟師、野菜作り、さらに原木をもらってきてシイタケも育てる。
 ワイルドだけど、清々しいくらいマジメだ。真剣に生きている。そのかんじが文章にも出ている。
 とくに第三章の「家族の肖像」がよかった。読んでほしい。わたしは何度も読み返すとおもう。いい本ですよ。

 前著『山と河が僕の仕事場 頼りない職業猟師+西洋毛鉤釣り職人ができるまでとこれから』も重版になったそうです。めでたい。