2017/06/20

田舎の話

 わたしの父は鹿児島と熊本の県境にちかい町に育った(生まれは台湾)。父の鹿児島の郷里は一九八〇年代には過疎化が進んでいた。交通の便がわるいところだったということもあるが、人口減少の理由はそれだけではないだろう。
 長男至上主義や男尊女卑、年功序列、不条理なローカルルール——昔ながらの田舎の面倒くさいところが詰まった地域というのは、若い人はどんどん逃げていく。逃げたら、戻ってこない。戻ったら、ひどい目に遭うのがわかっているからだ。とくに女性は。

 インターネットの生活板には「嫁いびり」の話がよく出てくる。
 女性は家でこきつかわれ、食事は別、残り物を食べさせられる。風呂は最後。日常会話の基本は罵声と罵倒で反論は許さない。パワハラとモラハラが横行している。こんなところ一秒もいたくないとおもってしまうような土地(家)は、今でも残っている(そのうち滅びるだろうが)。
 戦後民主主義やリベラルの恩恵はそこにはない。

 わたしは単純に「リベラル=善」とは考えていないが、リベラルの概念がまったく根づいていない土地のしんどさを見聞きすると「人権や平等や自由という価値観は大切だなあ」とおもう。
 いっぽうローカルルールを盾に何もしなくても威張りちらすことができた文化を懐かしむ人もいる。「伝統を守れ」というときの「伝統」には、不条理なローカルルールやハラスメント文化も含まれているのかどうか。含まれているのなら、勘弁してほしい。無理っす。

 自由や平等の概念のない「伝統」が残る土地を変えるのはむずかしい。たぶん、逃げるしかない。