2017/02/21

古本道入門

 中公文庫の岡崎武志著『古本道入門』を読む。中公新書ラクレからの文庫化だけど、数ある岡崎さんの本の中でも一、二を争うくらい好きな本だ。

《六十歳目前に達したこの年まで、一度たりとも、まったく飽きることなく、古本を買い、古本屋通いを続けている》

 岡崎さんと知り合って、かれこれ二十年以上になる。そのあいだ、わたしは岡崎さんの“古本道”とはちがう“古本道”を歩まねば、とおもい続けてきた。後追いしても何も残っていないからだ。いっぽう『古本道入門』を読んでいると、「よくぞ、いってくれた」とおもうことがいろいろ書いてある。いい言葉にたくさん出くわす。

《一般の書店が扱う本は「氷山の一角」にすぎない。ふだんは目につかないが、海面下に深々と眠る巨大な氷の層があるのだ》

 この(新刊本は)「氷山の一角」という言葉は岡崎さんがよくつかう表現だ。膨大な古本の世界を言い表すのに、これ以上の比喩はおもいつかない。

 第1章「いま、古本屋がおもしろい」には、「本棚が呼吸する店」という言葉がある。
「本棚が呼吸する店」とはどんな店か?

《つまり、しょっちゅう客が出入りし、数日たつと、本棚の本が少し入れ替わっている店こそ、「いい店」なのである。つねに客を惹きつけるだけの魅力ある本を揃えている。しかもそれが、非常に買いやすい適正価格である。当然ながらそういう店では本がよく売れる》

 第3章「オカザキ流、古書の森のさまよい方」の「『あたりまえのこと』に驚く」という言葉もいい。
 あるとき、知り合いの古本屋が村上春樹の単行本にそこそこいい値段をつけていた。店主は「ハルキの『世界の終わり』の単行本って、若い人に人気があって、売れるんですよ」「単行本を見たことがなくて、インパクトがあるようですよ」という。

《一九五七年生まれの私にとっては、よくよく知っているあたりまえのこと、いまさら驚きもしないことが、三十年近く後に生まれた若者にとっては驚きとなる。それこそ若さの特権だ。たぶん私も三十年前に、若さゆえにいろんな「あたりまえのこと」に驚いたはずだ》

 わたしも『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社、一九八五年刊)の函入の単行本なんて、珍しいとおもったことがなかった。古本屋ではしょっちゅう見かける本だし。
 でもそういう本を新鮮におもう世代もいる。

『古本道入門』に「達人に学べ!」というコラムが入っているのだが、それを読むと、その世代その世代の“古本道”みたいなものがある。未開の荒野だとおもわれていたジャンルも、次々と整備されてきた。
 それでもまだまだ古書価のつかない未開拓の領域が膨大に残っている。

 また第8章の「古本を売る、店主になる」は本の売り方や古本屋を開業するさいのアドバイスが綴られている。

《古本の世界で突如潮目が変わることがある。それは誰にも読めない。読めないからおもしろいのだ》

 没後、忘れられる作家もいれば、しばらくして急に古書価がつく作家がいる。
 古本の潮目は読めない。でも古本屋通いを続けていると、すこしだけ早く、変化に気づくことができる。
 そんなことを気にせず、読みたい本を読みたいときに買えばいいというのは正論だが、早く気づけば、安く買える。安く買えたら、その分、他の本も買える。

 現在、わたしは“古本道”を迷走中というか、低迷期に入っているのだが、古本を売って古本を買おうという気になった。