2016/11/29

強情さが必要(二)

《他人の批評や忠告に耳を傾けるのはいいが、それにコヅキ廻されてゐては、元も子も無くなつてしまふ》

 長年、この問題について考え続けていると書いた。わたしはそもそも批評や忠告に耳を傾けないことのほうが多かった。それでよく怒られた。
 だから酷評されて、書くのをやめてしまった新人作家の人の気持がピンとこなかった。

 やや唐突だが、野球の話になる。

 監督やコーチの助言を無視して、自己流を貫く。それで大成した選手もいるにはいるが、それによって干されてしまう選手もいる。
 フォームを変えろ。コンバートしろ。それでうまくいくこともある。それで失敗した場合、自己責任だ、運だ……というところで話を終わらせてしまっていいのか。

 癖を矯正する。型にはめることで安定することもあれば、凡庸になってしまうこともある。変な投げ方だけど、だからこそ打ちにくいみたいなこともある。

 経験が豊富なコーチはその投げ方だと肩や肘に負担がかかり、ケガをしやすいということがわかっている。ケガを防ぐために、投げ方を変えてみてはどうかと助言する。選手は納得できなければ、「いやだ」と突っぱねてもいい。
 問題はまだ結果らしい結果を出していない選手の場合だ。それでもコーチに逆らえるか。忠告を無視したら、クビになるかもしれないという状況でも自己流を貫けるか。むずかしいとおもう。

 自分にとって大切なことは何か。
 どんな形でもいいから一刻も早くレギュラーになることか。理想のフォームを追求することか。

 そういうことを考えていると折衷案みたいなものも出てくる。レギュラーになって結果を残してから、理想のフォームを追求すればいいではないか。これは反論しづらい。
 新人作家であれば、「まず売れるものを書けよ。そうすれば好きなことができるんだから」といわれる。

 柔軟がいいのか、強情がいいのか。人によりけりとしかいいようがない。最後は自分の勘を信じるしかない……というところで話を終わらせてしまっていいのか。もうすこし考えたい。

(……続く)