2016/08/16

低迷日記

 時間ができたら……とよくおもうわけだが、時間ができて何がしたいかといえば、部屋の掃除である。とくに本の整理がしたい。本が増えると本の置き場所がなくなり、本の置き場所がなくなると、本を買い控えるようになり、その結果、低迷した気分に陥る。常にそのパターンをくりかえす。十年前のブログから同じことを書いている。

 ちょっと夏バテ気味。オリンピックと甲子園をだらだら観ている影響もあるかもしれない。頭がまわらない。仕事が手につかない。

 橋本治著『ぼくらの資本論 貧乏は正しい』(小学館文庫)を読む。この巻は「相続」の話からはじまる。『貧乏は正しい』は三巻目がよすぎて、この巻は印象が薄かった。かなりおもしろい。

《相続とはなにか? 相続とは、「生きて行く方法を相続すること」だ》

 わたしは勤め人(工場労働者)だった父の「生きて行く方法」を相続していない。
 郷里にいたときは、不向きなことばかりやらされていて、それができないと「ダメ」だといわれることが多かった(その記憶も曖昧になってきているが)。
 まわりから「できない」「つまらない」とおもわれていると、ちょっとくらい努力したところで立場は変わらない。明るくふるまっても無理しているかんじになる。

 時間に縛られず、黙々とやる作業は苦ではない。共同作業は苦手だった。自分のペースが崩れると、簡単な作業でさえ、こんがらがってしまう。毎日のように罵倒される職場で仕事をしていたこともあるが、これまでわりとできていたことができなくなって、自分がどんどん無能になっていく気がした。

 人の能力は、環境に左右される部分も多い。
 郷里に帰省すると、車の運転ができなかったり、朝起きられないだけで役立たずに成り下がってしまう。
 ずっと不安定な生活を送っていたけど、自分の不得意なことを要求されない環境はほんとうにありがたい。

『貧乏は正しい!』連載時、わたしは大学生で、二十二歳のときに橋本治の合宿に参加している。
 それからしばらくして大学を中退した。「生きて行く方法」がわからず、途方に暮れたこともあったが、限りある時間と労力は、好きなことに注いだほうがいい、無駄ではないが、得るものが少ない努力はしない——というのが、自分の生き方の原則になっている。