2016/07/29

コンビニ人間

 先日、芥川賞を受賞した村田沙耶香著『コンビニ人間』(文藝春秋)を読んだ。

 コンビニでアルバイトをしている三十六歳独身の主人公は対人関係や社会性に問題を抱えた人物である。
 主人公の独特な思考や行動にたいする周囲の困惑を描くという構図はメルヴィルの『書記バートルビー』と似ている。ただし、バートルビーはコンビニのアルバイトはつとまりそうにない。

 主人公はとんちんかんな会話のやりとりをしたり、場の空気が読めなかったりする。いっぽう彼女のコンビニでの働きぶりは勤勉そのものだ。またコンビニの仕事内容の描写は圧巻だった。
 周囲の人たちは、彼女がずっとコンビニでアルバイトをしていること、三十六歳まで異性との付き合いがないことを不審がる。主人公の妹は姉にかわって言い訳を考えてあげたり、最低限の立振舞いを助言したりする。妹は姉の数少ない理解者である。

 長年、風変わりな姉の言動は家族にとって悩みの種だった。以前、専門のクリニックにも通ったが「治らなかった」らしい。
 家族が姉を「治したい」とおもう気持は否定しない。でもこうしたケースでは「治る」「治らない」ではなく、姉の「症状」にたいする「理解」を優先したほうがいい。

 この作品の主人公のような人物への家族の無理解はよくある話だ。でも主人公の妹はそうおもえなかった。姉の理解者とおもいながら読んでいた。だから物語後半の妹の「反応」がひっかかった。姉がクリニックで診断してもらった過去があり、医師から何らかの説明を受けていたのであれば、もっとちがった「反応」になったのではないか。

 単にわたしが作品に感情移入しすぎて、妹の「反応」に戸惑ったのかもしれない。こんなに作中の人物におもいをめぐらせるのはひさびさだ。

 冷静に読めば、姉の「症状」が、妹の予想をはるかに上回っていたゆえの「反応」と解釈できる。
 またわたしは「症状」と書いているが、作者はそのあたりの事情は用心深くぼかしている。一般論でいえば、主人公は「異常」なのかもしれないが、この作品では「正常」の側のおかしさも「公平」に描いている。

 話は変わるが、『コンビニ人間』の主人公の(ぎこちない)成長は人工知能の進化と重なっているような気がした。
 はじめのうちは多くの人が当たり前にできることすら、ほとんどできない。徐々に情報量を増やすことによって、できなかったことができるようになる。ただし、できるといっても、アプローチの仕方がまったくちがうから変なかんじになる。人工知能の場合、情報量が蓄積されるにつれ、特定分野においては人間の能力が凌駕するようになる。

『コンビニ人間』の主人公はコンビニ店員のエキスパートになることで自分が必要とされる居場所を見出そうとする。主人公や彼女のような人たちの未来が明るくあってほしい。そう願わずにいられない。

2016/07/22

又吉さんとピンポンさん

 石神井公園の自然派ワイン食堂クラクラで開催された「又吉直樹、世田谷ピンポンズ トーク・音楽ライブ『夜を乗り越える。僕は持て余した大きなそれを、』を見に行く。

 又吉さん、世田谷ピンポンズさんの詞を丹念に読み込んでいて、音楽愛あふれる解説をしていた。小説を読むこと、時間があるかぎり音楽をライブで聴きたいともいっていた。
 世田谷ピンポンズの「ファミリィレストラン」という曲の話をしながら、貧乏時代にドリンクバーだけでずっとネタ合わせをしていた話もよかった。
 わたしもかけだしのライター時代、阿佐ケ谷のファミレスで仕事していた。とくに夏は部屋にエアコンがなかったから頻繁に通った。そんなことをいろいろおもいだした。当時、ドリンクバーはなかったが。

 世田谷ピンポンズの新しいアルバムでは、小山清の随筆をモチーフにして作った「早春」という曲が気にいっている。この日のライブの一曲目で披露してくれた。ところどころ、回転数のちがう中島みゆきの声みたいだとおもったので本人にそう伝える。ピンポンさん、ちょっと困惑していた。

 自然派ワイン食堂クラクラ、料理うまかった。また行きたい。

 三輪正道著『定年記』(編集工房ノア)が刊行されていたことを知る。三輪さんの本は『泰山木の花』(一九九六年)から、だいたい五年に一冊くらいのペースで刊行されている。

 わたしは定年というか還暦まであと十三年。ライター業には定年はないが、仕事がなくなっても、ずっと書き続けていきたいとおもっている。
 ふりかえると十年なんてあっという間のことにおもえるのだが、これから先の十年は長く、重くかんじる。

 このブログもまもなく十年になる。
 何かをはじめるとき「とりあえず、十年」とよく考える。

 高円寺に引っ越してきたときも「とりあえず、十年住もう」とおもっていた。

 上京したばかりのころ、『東京 この街に住め!!』(JICC出版)というムックを愛読していた。そこに高円寺在住二十年のイラストレーターのコメントが載っていた。当時、高円寺に二十年住むというのは夢のまた夢だった。自分もいつかプロフィールに「高円寺在住二十年」と書けるようになりたいとおもった。
 もう二十七年だ。時が経つのは早い。

2016/07/21

四十九日

 連休中(七月十七日~十九日)、三重に帰省。父の四十九日。父の話は、今月発売の『小説すばる』にもすこし書いた。

 父はおとなしい人だった。わたしは父に怒られた記憶がない。父の死は悲しくなかった。自分は父の子でよかったとおもっただけだ。身内だけの家族葬をすませ、帰京して、いつも通り仕事をした。ただ、仕事以外のことはずいぶん不義理をしてしまった。
 父は最後の入院まで、ほとんど苦しまなかった。亡くなる二週間前に父の用事(マンションの更新の保証人)を頼み、ちゃんと返事をもらっている。

 子どものころ、鈴鹿の子安観音付属の幼稚園に通っていた。地図を見てみると、父が働いていた工場とすごく近い。幼稚園の園長さんは「ゴトウセンセイ」といって僧侶で絵のうまい人だった。
 父が亡くなったあと、母が子安観音の人に相談すると、神戸(かんべ)城のすぐそばにあるお寺を紹介してもらった。住職さんは中学生のときに書いた作文が吉永小百合のデビュー作の原作になったらしい。小説家志望だったとも。
 帰りぎわに「いい幼稚園に入れてもらったことを感謝しなさい」といわれた。

 父と母は家からこのお寺のあたりまでよく散歩していた。両親の散歩コースにはお寺や小さな神社がたくさんある。

 十九歳まで鈴鹿に暮らしていたが、知らないことばかりだ。東京にいて何もできないわたしのかわりに母方のおばやおじが母を元気づけたり、いろいろな手続きをすませてくれたり……感謝してもしきれない。

2016/07/14

政治家に求めるもの

 わたしが政治家に求めていることは三つある。

一、野次を飛ばさないこと。
二、人の話を聞くこと(聞くふりでもいい)。
三、物腰が柔らかいこと。

 政治信条以前の問題だが、この条件だけでも過半数の政治家は(あくまでもわたしにとってだが)失格になる。

……と、ここまで書いて、今回の都知事選の候補、石田純一でよかったのではないかとおもえてきた。冗談抜きで。

2016/07/12

ささやかな人生

 日曜日、昼すぎ、近所の小学校に行って、参議院選挙の投票。久しぶりに外食。ラジオでプロ野球のデーゲームを聴いて、夜は選挙特番を観る。

 駒沢敏器著『語るに足る、ささやかな人生』(小学館文庫)を読みはじめる。すこし前に読んだ平川克美著『何かのためではない、特別なこと』(平凡社)の中で絶讃していた本だ。

 駒沢敏器は二〇一二年三月、五十一歳で亡くなった。今、彼の本の何冊かは入手難になっている。
『語るに足る、ささやかな人生』は、アメリカのスモールタウンをまわった紀行文集だ。都会でもなく、観光地でもない、アメリカの発展から取り残された寂れた町をひたすら回る。

《しかしスモールタウンが都会と比べてネガティブなばかりの場所なのかどうか、そこは視点を少し変えてみなければならない。たとえばそこでは、家に鍵をかける習慣などいまだにないし、住民どうしが皆顔を知っているから、一定の距離を保ちながら互いを支え合って生きている。小さな町だけにひとりひとりの役割が与えられており、子供から大人まで、皆等しくその町の構成に参加している。犯罪はないに等しく、ささやかだけれど健やかな人生を描くことは可能だ。自分として生きることに手応えがあり、そこは確かな誇りにつながったりもする》

 昔ながらのコモンピープル(庶民)であることの美徳がこの本には綴られている。

《自分の生きる道筋を明確に立て、そのための地歩固めを早いうちからおこない、日々怠けることなく地歩に上に功績を築き上げていく意志を具体的・実用的に持たなければ、その人はもはやアメリカ人ではなかった》

《確かにスモールタウンは、見方を変えてみると住みやすい場所だ。土地は安いし自然は豊かだ。コミュニティもあるし、基本的な商店は一応揃っている。犯罪はないに等しく、子供を育てるには最適の場所かもしれない》

 あるスモールタウンの住民は駒沢敏器に「ここでは皆知り合いです。誰に対して何をしてあげればいいかを、ここに住んでいると学ぶことができます。そういう察知能力とか、個人が個人にしてあげられることの……あるいはすべきことの責任が、必要なこととして身につくんです」という。

 だからスモールタウンはいいという単純な話ではない。生活面は不便だし、よそ者に厳しいところもあるだろう。一概にはいえないが、アメリカのスモールタウンの人々は、都会の人より信仰心が篤く、古い因習が残っていて、家族の結びつきも強い。それゆえ、個人の自由は制限される。
 そのあたりは「昔はよかった」という議論と似ている。

 旅人としてスモールタウンを訪れたら、のどかで暮らしやすそうにおもえるかもしれないが、そこに住むとなると話は別だ。仕事の数も限られている。
 スモールタウンの価値観は、効率化や合理化と相容れない。

 今、自分のいる場所でささやかだけれど健やかな人生を送るにはどうすればいいのか。

2016/07/08

選挙

 身軽で気軽に生きたい……とおもっているが、自分の不安の根っこを突き詰めて考えてみると、住むところをなくすこと、メシが食えなくなることが心配の種だ。

 多くの人は貧乏になっても、寝る場所や明日食うものに困るほどの窮地には陥らない。ひとりくらいは頼れる親戚、友人知人がいるだろう。わたしも友人がほんとうに困っていたら、ひとりくらいなら面倒みる。でも二人三人は無理だ。

 寝る場所と食いものに困っている人を助ける。わたしが政治に期待しているのは、それに尽きる。

 健康で仕事もできて、人に頼らなくても生きていけることは幸福なことだ。政治家は幸福な人ではなく、そうではない人の味方であってほしい。

 長年、わたしは政治に興味がなかった。自分のための選挙となると、一票で自分の生活が変わるなんておもえない。一票で変わる生活も望んでいない。

 今は窮地に陥っている人の力になってくれそうな人に投票したいとおもっている。もしいたらだけど。

2016/07/01

EU離脱と日本

 ニューズウィーク日本版のコリン・ジョイスのコラム(Edge of Europe)を愛読している。毎回ほんとうに素晴らしい。

 今回のイギリスの国民投票は、体制派のエリート層がEU残留を主張し、特権階級に反発する層がEU離脱を支持した――そうした構図があるとコリン・ジョイスはいう(「パブから見えるブレグジットの真実」「特権エリートに英国民が翻した反旗、イギリス人として投票直後に考えたこと」など)。

《現代のイギリスでは、家を持つ人と持たざる人、裕福な地域に住む人と貧しい地域の出身者、専門職に就く者と低賃金労働者が大きく分断されている》(パブから見えるブレグジットの真実)

 体制派、産業界、メディアの人々は、イギリスのEU離脱を「正気ではない」という。彼らに共通しているのは「持たざる者」ではないことだ。

《残留派は自分たちの考えが言うまでもなく正しいと考えがちだった。同意見の人とばかり付き合っており、離脱派に正しいことを教えてやりたいのは山々だが彼らを説得する方法が分からないと考えていた。一方の離脱派は、そうした「都会派エリート」に怒りをおぼえ、彼らに指示されるのなんかお断りだと思っていた》(「特権エリートに英国民が翻した反旗、イギリス人として投票直後に考えたこと」)

 いわゆる都会派エリートは「持たざる者」が行く安さが売りのパブではなく、もっと「上品」なパブで酒を飲む。名門の私立大学を卒業し、ロンドンに家を持ち、EUから利益を得ている人たちの多くは「残留派」だ。彼らが「EUを離脱したら君たちの生活だって困る」と力説しても、今、すでに生活に困っている人からすれば「何いってんだ」ってことになる。さらにいうと、「残留派」による「離脱派」への批判の中には、「離脱」を支持する人にたいする「蔑視」の感情も含まれている。

 今回のイギリスの「EU残留/離脱」を問う国民投票は現状維持か変化かという二択でもある。
 現状に不満を抱えている人たちは、現状維持を望まない。仮に、離脱したことでさまざまな弊害が生じる可能性があったとしても変化を望む。そうした心情を「上品」なパブで酒を飲んでいる人たちはわからない。

 それがいいことかわるいことかはともかく、現状に不満を抱える層が多数派になれば、現状維持よりも変化を望む声が大きくなるだろう。現状よりもっとひどいことになる変化であってもだ。

 日本の都会派エリートの多くも「同意見の人」とばかり付き合っている傾向がある(いちおう自戒をこめてます)。それゆえ、彼らが正しいとおもう理路を説いても現状に不満を抱えている層には通じにくい。むしろ反発をまねくことのほうが多いかもしれない。すくなくとも現政権にたいする「ポピュリズムだ」「反知性主義だ」といった批判はまったく届いてないとおもう。

……と、ここまで書いたところで「『ブレグジット後悔』論のまやかし」というコリン・ジョイスの最新記事が公開された。

 国民投票の結果が出た後、離脱に投票したことを後悔している——という声がよくとれあげられている。わたしも日本のニュースでそういう映像をたくさん見た。

《これもあくまで一つの論として付け加えておくなら、もしも残留に決まっていた場合、きっと残留に投票した人の多くも、後々自分のしたことを後悔するようになると思う》