2015/09/23

連休中

 日曜日、わめぞのみちくさ市。目白駅から歩いて、雑司が谷へ。けっこう近い。

 ハニカミわめぞ賞ズの箱に、水木しげるのエッセイがあって嬉しくなる。『水木しげるの幸福論』の「幸福の七カ条」は、しょっちゅう読み返している。

 この日、午前中から取材を受けていたのだけど、古本(や読書)のスランプについて質問された。

 おもうように本が買えない時期、読めない時期というか周期はある。ひとりの作家、あるいはひとつのジャンルを追いかけていると、最初のうちは次々と未読の本を読破していく快楽があるが、しばらくすると、入手難の本ばかりになってきて、そこで勢いが止まってしまう。

 そうなると、別の作家、別のジャンルに移行して、また未読の本を読みあさる。そんなことをくりかえしているうちに、部屋が本だらけになって、新しい本を買うたびに、どの本を売るか悩むようになる。
 スランプというか、読書の停滞期に陥るパターンはだいたいそんなかんじだ。

 だから、気持よく本を買える状態を作ることが大事なのだが、それがむずかしい。

 この日の夜はペリカン時代で杉野清隆さんのライブ。素晴らしいの一言。音も最高だった。飲みすぎた。

 あとはずっと仕事しながら、ラジオでプロ野球を聴いたり、ネットでひいきの球団と対戦相手の情報を追いかけたりしてすごす。仕事が終わらず、心労がつのる。

 疲れたら、『フライの雑誌』の最新刊をパラパラ読む。まさか釣り雑誌を読むことがもっとも心の安らぎになる日が来るとは……。
 この号の特集は「身近で深い オイカワ/カワムツのフライフィッシング」。オイカワはヤマベとかハエとか呼ばれる川魚。わたしの父はシラハヤ(シラハエ)と呼んでいた。子どものころ、近くの川でいちばん釣っていたのはシラハヤだったことをおもいだした。

2015/09/18

京都と三重

 日曜日、昼すぎの新幹線で京都へ。車内で山田風太郎の『秀吉はいつ知ったか』(ちくま文庫)を読む。
 ひさしぶりに六曜社でコーヒーを飲み、丸太町まで歩いてヨゾラ舎に行く。古本とレコード、CDが充実。ヨゾラ舎は東賢次郎さんに教えてもらった。それから出町柳まで歩いて、レンタサイクルで古書善行堂、ホホホ座をまわる。そのあとカナートのフードコートで寿がきやのラーメン(わざわざ京都で食べなくても……)。

 夜、五条麩屋町のcafeすずなりで東さん、扉野さんと待ち合わせ。『浮田要三の仕事』(りいぶる・とふん)の制作にかかわっていたという門戸さんと飲む。酒も料理もうまかった。来月、オグラさんのライブもあるとのこと。なんとなく高円寺にいるような気になる。

 翌日は三重に行く。約二年ぶり。親も年をとってきたので、ときどき帰って様子を見ておきたい。
 自分にはとくに郷愁のようなものはないつもりだったが、近鉄愛は強い。近鉄沿線の名張から津にかけての景色を見ていると、やっぱりいいな、と。
 京都からだと高速バスのほうが、早くて安いのだが、だいたい近鉄の特急に乗っている。白子駅で急行に乗り換え、伊勢若松で乗り換えて——郷里の町へ。

 駅前の居酒屋はなくなってた。とりあえず鈴鹿ハンターに行って、ゑびす屋のうどんを食う(メニューが変わり、味もすこし変わったか?)。靴下その他の衣類、田舎あられ、コーミソースなどを買う。
 あと県道沿いの白揚が一時閉店中だった。

 秋花粉がまったく治っていなかった。東京では、ブタクサが減ってかなり楽になっていたのだが、鈴鹿に着いたとたん、目がかゆくなる。

 家では親戚の近況を聞いたり、親の老後のことを話し合ったりする。母に三回くらい「太ったな」といわれる。

 翌日、午前中に家を出て東京に帰る(花粉症さえなければ、四日市あたりで途中下車してから帰る予定だったのだが)。

 二泊三日くらいの旅行をもうすこしできるようになりたい。

2015/09/12

忘れ物

 ひさしぶりの晴れ。神保町を散歩。神田伯剌西爾でコーヒー、小諸そばでから揚げうどん。野球の本と昔の選手名鑑などを買う。夜、飲む。酒、弱くなったかも。

 都内で震度五弱の地震。杉並は四くらいか。床に積んでいた本が崩れる。

 生活の立て直し——も大事だが、たとえば、五年後、今の調子で仕事を続けることができるかと考えると不安がある。

 昔、どこかでプロ野球のピッチャーの決め球には寿命があるという話を読んだ。
 相手もプロだから、当然、何年も同じ球では通用しない。また決め球の威力も二、三年で落ちてくる。

 三割打っていた野手が、翌年二割五分くらいになることがある。弱点を研究されて、そこを攻められているうちに、自分本来の打撃が崩れてしまう。

 スポーツにかぎった話ではないが、現状維持はむずかしい。何かしらの改良を重ね続けないかぎり、現状は維持できないと考えたほうがいい。

 本を読んでいて、お茶を飲もうかと台所に立つ。そのとき、無造作に読みかけの本をどこかに置いてしまう。そのあと続きを読もうとすると、本が行方不明になる。最近、そういうことが続いた。
 部屋から一歩も出ていないし、自分が動いた場所は限られている。だからすぐ見つかるはずなのに、探してもどこにもない。

 以前、古本好きの知り合いが、買ったばかりの本を電車に忘れたという話を聞いたとき、自分にはそんなことは起こらないとおもっていた。今のところ、電車に忘れたことはない。しかし、この先、いつかそういうこともあると覚悟している。

 電車に忘れたことはないが、コンビニに本を忘れたことはある。つい昨日ことだ。
 レジでお金を払うとき、レジの前の小さな出っぱりに本を置いた。商品を受け取り、お釣りを財布にしまう。
 そして、そのまま帰ってしばらくして、本がないことに気づいた。まさか、コンビニに忘れるとはおもわないから、家中、探した。でも見つからない。
 翌日、ダメ元で昨日帰りに寄ったコンビニに行ってみたら、レジの後ろにブックカバーのかかった本がある。
「すみません、本……」
「これですか」
 あってよかった。昨日神保町で買った豊田泰光著『チェンジアップ』(三笠書房、二〇〇〇年刊)だ。もし見つからなかったら、インターネットの古本屋で買い直すかどうか迷っていた。

 たぶん脳の配線がちょっとおかしくなっている。

2015/09/10

何のために

 雨続き、日課の散歩も抑え気味。頭が重く、からだも怠い。一日中、眠い。台風のニュースを見ながら、漫画を読む。

 わたしの考え方、生き方には、ある種の個人主義が根づいている。昔から人と歩調を合わせるのが苦手だった。自分さえよければいいとはいわないが、「まずは自分」を大事にしなくてはと考えてしまう。
 世のため、人のためといっても、自分が病気で寝込んでいたら、それどころではない。

 それでも災害のニュースを見ていると、個人主義の脆さを痛感する。
 安全と健康という土台がなければ、個人主義は通用しない。個人主義を成立させるインフラがあって、はじめてひとりで暮らしていくことができる。

 インフラがあっても、年をとり、体力気力が衰えたら、個人主義なんてこともいってられなくなる。自力でどうにかできることには限界がある。

 以前は、なるべくそういうことは考えずにすませてきた。四十代半ばにもなると、自分の衰えに向き合わざるをえない。

 人生観や社会観も変わってくる。ここ数年、大きな変化を求めなくなっている。小さな改善や修正で乗り切れるのであればそうしたい。
 気がつくと、安定志向、保身に自分が絡めとられている。

 二十代のころは、ひまな時間を休息にあてるという発想がなかった。寝る間も惜しいくらい遊びたかった。

 今は部屋でゴロゴロしていたい。

 そういう生活を見直したい。