2015/01/18

きちんとした生き方

 毎日午後四時くらいに起きている。そろそろ生活リズム(朝寝昼起)を戻したい。
 昨日は阿佐ケ谷まで歩いた。食品や雑貨を扱っているお気にいりの店が閉店。久しぶりに航海屋で野菜ラーメンを食う。あと商店街をぶらぶらして調味料やお茶を買う。

 夜中、録画していた「夜ノヤッターマン」を観る。
 ヤッターマン側ではなく、敵役の側から描いた作品。正義(ヤッターマン)が、強大かつ豊かな帝国を築き、かつて彼らに逆らったドロンジョの末裔たちは国境の外で貧困に苦しんでいる。
 想像以上にシリアスな展開……。

 睡眠時間がズレる原因は「寒い→外出しない→疲れない→酒を飲みすぎる」のパターンが多い。
 健康に関する知識は増えているのだが、実践がともなっていない。生活が改善しない理由は、だらだら生きていけるものなら、そうしたいとおもっているからだ。

 不規則な生活を送っていると、一日二十時間くらいしかないような気がしてくる。
 規則正しく、約束を守り、人あたりよく生きていくほうがいいことはわかっている。逆にいえば、突出した才能か食うに困らないお金がないかぎり、好き勝手に、自由に生きることはむずかしいこともわかっている。

 自分でも、まだこんなことをうだうだ考えているのかとおもうこともある。四十五歳だろ、と。自分の父親がそのくらいの年齢のときには、わたしは高校生だった。

 まさかこんなにぐだぐだしたまま大人になるとはおもわなかったし、それでもなんとかなってきたことには関しては(多少の)自負もある。誰もかれもがきちんとした生き方ができるわけではない。きちんとしなければ生きていけない世の中に抗いたい——とあまり声には出さないが、ずっとおもい続けてきたわけだ。

 心身が弱ってくると、自分の考え方がまちがっているとおもえてくる。たぶん正しくはない。
 若いころは許されても、中年になると許容されないということはいくらでもある。
 自分ではわるくないとおもっていても謝らないといけないケースもある。そこで突っ張ると、自分以外の人間が食うに困る事態に陥るとか……。

 夢の中で、何時間も遅刻してきたにもかかわらず、まったく悪びれたそぶりを見せない若者に説教していた。遅刻してきた若者はかつてのわたしであり、説教しているのは今のわたしだ。

 目が覚めて、複雑な気分になる。