2014/08/23

マクニース

 高円寺は阿波踊り。太鼓の音とワッショイの掛け声で目がさめる。ぼんやりした頭で『日本の名随筆 翻訳』をパラパラ読む。

 長谷川四郎が「私の翻訳論」というエッセイで、マクニースの長篇詩『秋の日記』(中桐雅夫訳)について論じている。
『秋の日記』は、スペイン戦争を題材にしたものだ。しかし、長谷川四郎はその内容には深入りしない。

《「……なさそうだ」だとか「……以上のものらしい」だとか、このように言っているところに感覚的な現実性があるように思われる。——詩はなによりもまず正直でなければならない。正直さを犠牲にして「客観的」であったり、きちんと整っていたりすることは、わたしはおことわりだ。とマクニースは言っている》

 わたしも「……そうだ」「……らしい」をよくつかう。こうしたあやふやな言葉づかいを嫌う人がいるが、長谷川四郎は肯定していることを知って、すこし勇気づけられた。

 中桐雅夫の訳したマクニースの「秋の日記」は、『全集 現代世界文学の発見3 スペイン人民戦争』(學藝書林、一九七〇年刊)に収録されている。

 昨年、思潮社から『ルイ・マクニース詩集』と『秋の日記』が刊行されて、買うかどうか迷っていたのだが、むしょうに読んでみたくなった。

 ちなみに中桐訳のほうはルイ・マクニースはルイス・マクニースになっている。