2014/07/15

釣りをはじめてみようかなとおもっている

……『フライの雑誌』102号に「神吉拓郎の釣り」というエッセイを書きました。なんというか、『フライの雑誌』の原稿料はすべて釣りにつかわなければいけない気がしている。とりあえず、釣り堀に行こうとおもっている。
 長年、中央線に乗っていて、市ケ谷にある釣り堀がずっと気になっている。あの釣り堀を見るたびに、仕事に行く途中、会社を休んでふらっと釣りをしてしまう人がいるのではないかと想像してしまう。もし自分が会社勤めをしていたら、そういう人間になっていたとおもう。

 最近、島崎憲司郎著『水生昆虫アルバム』(フライの雑誌社)という大きな本を読みはじめた。

《それに…大きな声では言えないが、釣りというのは生き物に色々とダメージを与える要素を拭い切れない泣きどころもある。偉そうなことを吹聴すると、とんだ薮蛇にもなりかねませんゼ。もっとも、人間が生きていること自体、誰しもその辺は払拭できないわけだが。キャッチ&リリースも残念ながら免罪符にはならない。魚に言わせれば連続暴行魔と大差なかろう》

 この本はフライフィッシャーのための本なのだが、たとえば、カゲロウの生態、昆虫が好きな人が読んでもおもしろいとおもう。
 どんな小さなことでも本気で研究すれば、その人の一生を費やしても研究しつくせない——世の中はわからないことばかりだ。

 釣りに関する文章を読んでいるうちに、最初はちんぷんかんぷんだった固有名詞がだんだんわかってきた。結局、釣りをしないと何もわからないということもわかってきた。

 わたしは釣り道具を何ひとつ持っていない。文字通りゼロからのスタート。わたしはここでよく躓く。自分の残りの人生にこれをする時間はあるのか。限られたお金と時間——できれば有意義につかいたい。いろいろ手をひろげると、何もかもが中途半端になりそうで怖い。しかし有意義とは何だろう。効率よく満足感をえることなのか。たぶん、ちがうだろう。

 こんな文章を書いているひまがあったら、やってみたほうが早いだろうという話でした。