2014/04/30

四月は君の嘘

 四月中に書いておきたかったことをおもいだした。

 おそらくキンドルがなければ、読まなかっただろうとおもう作品に新川直司の『四月は君の嘘』(現在八巻まで刊行、講談社)という漫画がある。

 主人公の有馬公生は、機械のように精確な演奏が得意で、八歳でオーケストラと共演するような神童だったのだが、あることがきっっかけにピアノが弾けなくなる。

 ところが、ある日、自由奔放にバイオリンを弾く宮園かおりと知り合い、公生はすこしずつ音楽の喜びに目覚めていくのだが……。

 公生のピアノの技術は、親(母)から叩き込まれている。ある種の英才教育の壁をどう乗り越えていくのか。
 うまいけど退屈な音楽とそうでない音楽のちがいとは?

 というようなテーマをふみこみつつ、思春期の少年少女の淡い恋愛も描いている。

《痛みも苦しみも あがいた自分さえもさらけだして 弦に乗せる そうやって 音に自分が宿る》

 これは、ヒロインの台詞(三巻)。あとスヌーピーの言葉が絶妙に引用されるシーンもある。

 これほど物語の“熱”がちゃんと伝わってくる漫画はひさしぶりかもしれない。

 二〇一三年、第三十七回講談社漫画賞受賞少年部門受賞。今年の十月からアニメ化(フジテレビ「ノイタミナ」枠)の予定らしい。

2014/04/29

高円寺の話

 日曜日、高円寺のびっくり大道芸。夕方、高円寺北公園でボードビリアンのBARONさんのステージを観る。
ワンパクな子どもをあしらいながら、歌やタップダンス、帽子芸などを披露し、湯たんぽを改造した自作楽器の演奏していた。

 途中、あちこちで知り合いに会う。

「これから飲みに行くの?」
「いや、日が沈むまでは飲まないよ」

 家に帰って、新聞と雑誌のスクラップ。二ヶ月分くらいたまっている。スクラップが仕事の役に立つことは年に一回あるかどうか。何度かやめようとおもったけど、なんとなく、やめずにきたことは続けたほうがいいのかなと。

『小説すばる』は四月号から、松村雄策の「ハウリングの音が聴こえる」が新連載。第一回は、ポール・マッカートニーの話だった。

《僕の人生の六分の五には、いつだってポールの音楽があったのだ》

 第二回では、いきなり「毎日新聞の荻原魚雷さんのコラムで……」という文章からはじまっている。
 すこし前、わたしは毎日新聞の日曜版にプロレスブームについてのコラムを書いたのだが、松村さんはそのことに触れている。

 話は変わるけど、先月三月三日、“人間風車”ビル・ロビンソンが亡くなった。
 引退後は「高円寺のレスリング・マスター」の異名もある伝説のレスラーだ。昔、高円寺には、「ごっち」(カール・ゴッチ公認)という居酒屋があった。この店には格闘技関係のライターをしている須山浩継さんに連れていってもらった。

 あまり知られていないけど、高円寺は「プロレスの町」でもあるんですね。

 昨日はペリカン時代が四周年。当然のように飲みに行く。
 そのペリカン時代と同じビルの一階に「STEAK HOUSE KYOYA」がオープンした。
 THE WILLARD、ラフィンノーズのドラマーだったKYOYAさんの店。

 ちなみに、わたしが上京後はじめて行ったライブがTHE WILLARDだった。関内のライブハウスだったかな。今おもいだしたのだが、KYOYAさんのファンの同郷(三重)のドラマーに連れていかれたのである。鋲のついた革ジャンを着たファンにもまれて、血だらけになった。二十五年前の話である。

 八〇年代後半から九〇年代はじめにかけてのバンドブームで、人生おかしくなった人はたくさんいる。でもおかしくならない人生が考えられないくらい音楽好きにとってはおもしろい時代だった。

 当時のライター仲間もバンドと掛け持ちしていた人もけっこういたし、今より音楽関係の仕事もあった(わたしがやっていたのは主に対談や座談会の構成やテープおこしだったけど)。

 この十年くらいで高円寺の貸しスタジオもずいぶん減った。
 深夜とか明け方とかに、コンビニにタバコを買いに行くと、スタジオ帰りの知り合いのバンドマンと出くわして、そのまま焼き肉を食いに行ったりした。

 一九八九年ごろの話だと、「ZZ TOP」という音楽ビデオを流す飲み屋にはライター仲間とよく行っていた。焼きうどんがうまかった。
 木造の風呂なしアパートに住んでいたから、夜中に友人が遊びにきて音楽を聴きながら騒いでいると、よく壁をドンドンされた。
 苦情がくると、南口の「ちびくろサンボ」という喫茶店に場所を移す。この店も今はない。サンボ丼という丼が好きだった。漫画もけっこうあった。
 漫画が置いてある高円寺の喫茶店だと「グッディグッディ」も懐かしい。あと庚申通りの「琥珀」もよく行った。二軒とも閉店した。

 昨年、中華料理屋の「大陸」もなくなった。この店も深夜すぎになるとバンドマンのたまり場だった。

 最近、若い人に昔の高円寺の話やバンドブームのころの話をすることが増えた。

 齢をとったなあとちょっとおもう。

2014/04/18

つげ義春と葛西善蔵

 今さらながら『芸術新潮』一月号のつげ義春の特集号を入手。「ロング・インタビュー つげ義春、語る」(山下裕二=聞く人)は読みごたえあった。

《つげ (略)文学はほとんど私小説一本槍ですね。でも、あんまり悲惨なのはだんだん嫌になってきちゃって。嘉村磯多とか、あと破滅的な人生を送った人で、誰でしたか……。
 山下 葛西善蔵?
 つげ 葛西善蔵ね。加納作次郎や古木鉄太郎、宮地嘉六も好きで読みましたが、知らないでしょう?
 編集部 知りません。
 つげ 自分は川崎長太郎の大ファンですけど、この作家の目線は徹底して現実的で、超現実に転じる要素がまったくないのがそれなりの魅力ですね(略)》

 葛西善蔵はよくもわるくも怠け者作家なのだが、随筆だと前向きなところもある(単なる願望で行動はまったくともなわないのだけど……)。

『フライの雑誌』の堀内さんもブログでこの箇所に反応していて、おもしろかった(あさ川日記「芸術新潮の編集部が葛西善蔵を知らないのか?」)。

 ひさしぶりに『葛西善蔵随想集』(阿部昭編、福武文庫)を読む。「芸術問答 作家と記者の一問一答録」は、ぐだぐだなのだけど、私小説の神髄が語られている(ような気がする)。

《葛西。(略)僕の今の生活とは言っても……やはり僕は生れた時分から背負ってきたいろいろなものが、ここに来て居るので、急に 抜け出ることもですね、変ることもですな、そう簡単に出来ないことであるんだと……だけれども、抜け出すことは、それは抜け出さなければならないでしょう……どうも悪い生活ですから……しかし……
 記者。 肯定……
 葛西。 待って下さい。しかし全然僕には自棄的な……、そんな気持は終始一貫して持ってないつもりです。で僕は身体も弱いし、偏狭な人間だから、どうかして自分の細い道をコツコツ歩いて行って、それである点まで脱けたいと思っているだけなのです。(略)》

 さらに芸術と生活の問題について記者と論じ合ったあと、次のように語っている。

《葛西。 僕の作はいつも同じように、たぶん見えるでしょう。けれども、僕は病気をして苦しい場合には、その苦しい気持を作の上で働かせ、不幸なことに打っ突かれば、不幸な気持をですね、創作によって一歩でも突き脱けて行きたい、だから多少は僕の生活よりか……身辺よりか、一歩なり、一段なり目標が先にない場合には……僕は書けないのです。(略)》

 葛西善蔵は、貧乏や病気の話ばかり書いていたけど、そうした状況をなんとか乗り越えたい、そこから脱け出したいとおもっていた。
 ただ単に、貧乏をネタに小説や身辺雑記を書いていたわけではない。

 自分の細い道をコツコツ歩く。葛西善蔵が脱けたいとおもっていた「ある点」こそが、文学の希望ではないかとおもっている。

2014/04/10

radikoのエリアフリー

 radiko.jpプレミアムという全国各地(エリアフリー)のAMとFM(すべてではない)が聴けるサービスがはじまった。

 わたしはラジオでプロ野球を聴くのが好きなのだけど、スワローズファンからすると「radiko.jpプレミアム」で巨人戦は関東、中日戦は中部、阪神戦は近畿、広島戦は中国・四国エリアのラジオで聴くことができる。
 横浜戦も横浜ホームの試合は、ニコニコ動画で放映しているから、神宮の横浜戦以外は、ほぼ家にいながらラジオの実況中継が視聴可能になった。
 これは嬉しい。生きててよかった。今年のスワローズ、前途多難なのだけど……。

 関西圏のFM802やKBS京都ラジオも聴けるし、月三百七十八円は高くない。
 早起きした日はCBCラジオのつボイのりおの「聞けば聞くほど」や土曜日にはKBSの「つボからボイン」も聴ける。

 今(深夜一時台)はFM OSAKAの「BIG SPECIAL」(25:00〜28:00)を聴いている。この日のDJは萩原健太。選曲が渋い。

2014/04/06

隠居欲

 先月末から、ぼーっとしていたら、あっという間に一週間経ってしまった。
 冬のあいだ、汁ものにしょうがをいれるようになって、体調がだいぶよくなった気がする。春になっても続行する予定だ。

 四月一日から消費税、五%から八%に上がった。
 古本屋と飲み屋に関してはまだ実感はないが、散歩していたら、値上げしている店をちらほらあった。

 ここ数年、自分の中から「物欲」が消えた。新製品に関する興味はほとんどない。むしろ、ものを減らしたいという気持のほうが強い。
 できれば「こじんまり」とした暮らしがしたい。そして「のんびり」とした時間をすごしたい。

 自分の求めていることを考えていくと、そういう結論にいきついた。
 ただし働かないと食べていけない以上、完全に「隠居」することはむずかしい。

 わたしの場合、自由業ということもあって、二十代後半くらいから、「半隠居」「ちょい隠居」くらいの生活をしてきた。

 すこし前にあと五年ちょっとで五十歳というようなことを書いたのだが、この先、生活の「縮小」がテーマになる気がしている。

 今のところ、東京にいるあいだは、高円寺以外の町に引っ越すつもりはない。ただ、いつまで東京にいるかはわからなくなってきた。
 田舎暮らしまではいかなくても、都心に一、二時間で出かけることができる場所に住む選択は、ありかなとおもっている。