2014/03/27

二軍

 野球が好きでよかったとおもうことのひとつに、澤宮優の文章を読む喜びがある。
 選手ひとりひとりの人生が凝縮された言葉を絶妙に引き出し、野球というスポーツの魅力だけでなく、選手たちの“不屈の姿勢”を垣間見せてくれる。
 新刊の『二軍』(河出書房新社)もそうだった。

 澤宮優の野球ノンフィクションは、プロとしては不遇だった選手に光を当てている作品が多い。今回のタイトルは『二軍』ということもあって、読む前からかなり期待していた。
 にもかかわらず、その期待を軽く上回った。

『二軍』そして『ドラフト1位』『ドラフト外』(いずれも河出文庫)も野球のボールの写真が装丁につかわれている。

 この本に登場するのは、近藤真市(中日)、髙橋慶彦(広島・ロッテ・阪神)、井上真二(巨人)、金剛弘樹(中日)、西俊児(日本ハム)、藤岡寛生(巨人・日本ハム)、庄司智久(巨人・ロッテ)、太田幸司(近鉄・巨人・ロッテ)、戎信行(オリックス・ヤクルト)、 そして巨人軍寮長の武宮敏明、藤本健作——。

 もっとも活躍したのは髙橋慶彦だろう。最初はこの本に入っていることが意外だった。
 ずっとスター街道を歩んできた選手だとおもっていたから。もちろん、二軍時代もあったし、現役引退後にロッテの二軍監督もしている。

 プロ入りして数年で結果を出さなければ、クビになる。
 髙橋慶彦ですら、高校を出て、プロのプレーを見て「俺、一年でクビになるな」とおもったらしい。
 それで練習の鬼になった。 
 その後、スイッチヒッターに転向するさいには「一日二十四時間では、練習に足りない」とまで考えた。

《練習を精一杯やって、自分でも行けると思って失敗した。このときどう考えるか。“まだ練習が足りない”と思えばいいだけで、その繰り返しですよ。自分の力が足りない。また練習しよう、ですよ》

 指導者になってからは——。

《俺が自分で練習やってのは自分がしたいからやってたわけ。選手の首根っこを捕まえてさせる必要もあるんだけど、心が疲れたら練習ができなくなる。体を動かすのは筋肉じゃない。まずは心と頭だからね》

 野球の話だが、仕事全般についても考えさせられる話だ。

 二軍でどんなに結果を出しても、なかなか一軍に上がれない選手もいる。
 それでも腐らず、練習や工夫を重ねている。
 雑用も手をぬかない。
 記録は残せなくても、そうした姿勢をずっと見ている人もいる。

 プロ十年目で初勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得した戎信行投手の話もよかった。

 一球の重さをはじめて知った。

2014/03/23

ニヒルとテロル

 三月になり、毎日けっこう歩いている。二日続けて神保町、二日続けて神田伯剌西爾で珈琲を飲む。

 秋山清著『ニヒルとテロル』が平凡社ライブラリーに入った。名著。

 鶴見俊輔著『回想の人びと』(ちくま文庫)の秋山清の回でも『ニヒルとテロル』所収の「ニヒリスト辻潤」に出てくるエピソードが語られている。

 ある会合で辻潤がテーブルの上に飛び乗り、皿をけとばして歩いた。
 その意味を秋山清は四十年にわたって考え続ける。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2014/03/15

近況その他

 昨日、室生犀星の『随筆集 刈藻』(清和書院、一九五八年刊)を読んだ。この本、ずっと「川藻」という題だとおもっていた。背表紙の「刈」の字のところのパラフィンが傷んでいて「川」の字に見える。それで勘違いしていた。

 犀星、自分の本が売れないという愚痴ばっかり書いている。
 それはさておき、「拍手を外に」という随筆は気になることが書いてあった。

 二十代、三十代は過ぎるのが早い。
 ところが——。

《十代から二十代までは永かつた。それと似て五十から六十の間も永い、若い時代につひやした一日の生活といふものが、五十代になると二日くらゐの永さで生活できるやうだ。気持にゆとりがあり、物を見ることに叮寧綿密さがゆき亙つてゐて、すぐ結論にはなかなか達しなくて何度も考へ直して見るからである。肉体的にはその動作が鈍くなるせゐもある》

 ほんとうだろうか。五十代になってそうおもえたらうれしい。
 あと五年ちょっと。今の感覚だと五年なんてあっという間の気がする。
 ただし、五年後の自分が予想つかない。
             *
『本の雑誌』の今月号は小沼丹著『珈琲挽き』(講談社文芸文庫)について書いた。
 小沼丹は文芸文庫ではじめて知った作家で、『小さな手袋』が刊行されたときにすぐ新刊で読んだ。主語のない不思議な文章で真似しようかとおもったことがある。でもしっくりこなかったのでやめた。

 小沼丹は「第三の新人」の作家と感性がちかいといわれることがあるが、今読むとちょっとちがう気がする。随筆に関しては、詩人の天野忠と読後感が似ているとおもう。

『小説すばる』の今月号は「まんが道と古本」——。

 藤子不二雄著『トキワ荘青春日記』の一九五七年十月二十七日に、次のような記述がある。

《さっき買ってきた森卓夫という明治の青年の書いた日記『灰するが可』を読む。蘆花に送ったら『灰するが可』とだけノートに書いて送り返してきたという。明治時代の青年の悩みが書いてあるのだが、つながる感じがあって十一時まで読む》

 長いあいだ、『灰するが可』という本を探していた。実は、著者名も本の題名もまったくちがうことがわかった。
 森卓夫は、出隆だったんですね。

「まんが道と古本」は次号も続く予定です。

2014/03/13

フライの雑誌から

『フライの雑誌』の最新号が届いた。

 真柄慎一の「一生懸命」は、あいかわらずの筆のさえ、というか、人柄がにじみでている文章だ。
 歌舞伎町のスーパーで深夜アルバイトをしていたころを回想した話で、職場には四十歳すぎのミュージシャンのバイトリーダーをはじめ、一癖も二癖もあるバイト仲間がいる。
 その中で真柄さんは、自分のことを「いたって普通の人」とおもっていた。
 あるときバイトリーダーに趣味の釣りの話をする。
……これ以上は紹介しないが、すばらしい短篇小説を読んだ気分になった。
 タイトルの「一生懸命」の意味もちょっとほろ苦い。
 わたしはこういう話に弱い。

 前号(百号)の真柄さんの「幼なじみ」も読み返した。
 保育園で二人の友人と仲良くなり、小学校、中学校とずっといっしょにすごす。高校は別々になったが、しょっちゅう会っていた。しかし高校を卒業すると、それぞれの生き方もちがってくる。
 ひとりは家業の建設会社を継ぐために大学で勉強、もうひとりは老舗旅館の若旦那として修行することに……。
 そして「僕」はなんのあてもないまま上京する。

《ミュージシャンになる夢はたったの二年で諦めた。田舎でそこそこだった若者は東京で全く歯が立たなかった。そこから努力すればいいものの努力の仕方が分からなかった》

 音楽で挫折し、ひょんなことから釣りをはじめる。
 趣味は、仕事や生活に支障が出ない範囲でやるべきだ——でも世の中には、その範囲を逸脱してしまう人たちがいる。
 すくなくとも、わたしはそういう人たちが羨ましいし、憧れるし、できれば自分もそうありたい。
 何かひとつでもいいから夢中になれるものがあって、ひたすらそれを追い求める。
 頭の中がフライフィッシングのことでいっぱいになって、完全に釣りが中心の生活になる。傍目にはたいへんそうだけど、すごく楽しそうなのだ。

 堀内正徳さんの「みいさんに会いに」(一)も濃厚な人間模様を描いた私小説として読んだ。堀内さんがひとりで北海道に釣りに行く計画を立てていたら、飲み屋の店主のコジマさんに「おれも北海道へ連れていってくれないけ」と頼まれる。
 奥さんが北海道にいるのだ。それから話はどんどん勝手な方向に転がり、いっしょにミニコミを作っていた先輩のくろさんも加わり、気がつくと、男三人、知り合いのトラックを借り、旅に出る。
 関越自動車道に入る前から、前途多難な雰囲気が……。

 この先どうなるんだろう。

2014/03/11

些末事研究

 飲み友だちの福田賢治さんが、雑誌『些末事研究』を創刊しました。A5版全60頁。400円。

 内容
「1. トークショー【かくし念仏とグリーンマン】阿伊染徳美」
「2. 鼎談【俺の漫画】【地方と東京】荻原魚雷×河田拓也×福田賢治」

 画家の阿伊染徳美さんのトークショーは、古本酒場コクテイルで行われた。岩手の「かくし念仏」の話が伝説や神話の体験者の証言を聞いているみたいだった(阿伊染さんの絵も日本の神話をモチーフにしたものが多い)。
 かくし念仏は江戸中期、留守藩(岩手県水沢市)に起こった信仰で、信者は五十万人くらいいる。
 江戸期には、キリシタンの集まりと誤解されて、弾圧されたこともあった。

《オレは「かくし念仏」において相当高い聖なる血をひいている人間なんだ。田舎へ行くと、オレの家を言うとあっと驚くよ、みんなね》

 阿伊染さんは、教祖の一番弟子の子孫なのである。

 思想の科学社から『わがかくし念仏』という本も出ている。

 阿伊染さんはその後、イギリスに渡って、人間と植物が合体した「グリーンマン」の研究をする。

《ヨーロッパはキリスト教が広まったように見えるけど、うちの「かくし念仏」にもよく似ているんだけど、信じていれば天国に行けるんだ。それで、あちこちに教会を建てる。建てる時に、このグリーンマンを石で彫っているけど、魔除けなのよこれ。(中略)でも考えてみれば、キリスト教以前の原始的宗教なわけよ、グリーンマンは》

 第2部の鼎談では、河田拓也さんと福田賢治さんとわたしが漫画の話と地方の話を収録しています。

※ご注文、お問い合わせは『些末事研究』ホームページにて。
http://samatsuji.com/

2014/03/09

フォームとセオリー その四

 三月になったので、冬眠解除のつもりで気合をいれていたのだが、気温の変化に体がついていかない。数日前、腰にピリっとした痛みが走る。腰痛の兆候と察し、ひたすら安静を心がける。

 自分は「欠陥車」と考え、行動することを心がけるようになったのは二十代半ばごろだ。「欠陥車」であることを意識すると、無理がきかない分、自分の操縦に注意深くなる。年々、体力や気力その他は衰えてきているが、安全運転の技術だけは熟達してきている。
 あと「フォーム」に関しては、いつでも「ここに戻れる」という場所があるといいかもしれない。気力体力がピークのときの「フォーム」ではなく、好調でも不調でもなく、その中間あたりの状態を基本にする。
 そういう思考になったのは、(自分比で)低迷期に無理をしたり、焦ったりしても、たいして効果がないということを学習したからだ。

 色川武大は『うらおもて人生録』の中で「フォーム」を別の言葉でいいかえている。

《人間は、結局、ここだけは死んでもゆずれないぞ、という線を守っていくしかないんだ。
 その、ここだけはゆずれないぞ、という線を、いいかえれば、自分の生き方の軸を、なるべく早く造れるといいんだがなァ》(「球威をつける法——の章」)

・自分は、どういうふうに生きたいのか。
・自分は、こういう生き方だけはしたくない。

 そうしたおもいがその人の「固有の軸」になる。この「固有の軸」をもとに、自分の生き方を造っていくこと。
 それが色川武大の「セオリー」であり、「フォーム」といってもいい。

 誰もが、そういう生き方をしたほうがいいとはおもわない。「固有の軸」に殉じる生き方は、融通がきかない。だからこそ、色川武大は別の章で「ちゃらんぽらん」になれることも大切だといっている。
 これまでうまくいった「フォーム」も続けているうちに、なかなかよい結果が出ず、不調から抜け出せなくなることもある。

 その場合、どうするか。色川武大は簡単に変えないほうがいいという。
 今回、『うらおもて人生録』を読み返していて、わたし自身、迷っていた。昔とちがい、今はひとつの「フォーム」でやっていくことがむずかしくなっているのではないかと……。自分の基本、持ち味を失わないまま、新しい技術を身につけることは、むずかしい。
 だしの取り方をちょっと変えるくらいが理想なのだが……。
 それより着地点が見つからなくて、いつも文章を尻切れトンボで終わらせてしまう「フォーム」を直したい。

(とりあえず、完)

2014/03/02

フォームとセオリー その三

 無数の職業(や趣味)があり、そのひとつひとつに無数のやり方——「セオリー」があり、その「セオリー」にたいしても無数の「フォーム」がある。
 無数の「セオリー」と無数の「フォーム」の中から、自分に合ったものを見つけ、身につける。理想の「フォーム」を身につけることがゴールではない。

《誰でも一生のうちで、気力体力が最高に充実するピークのときがあって、そういうときは(格や実力に応じて)強い。けれどもだからといっていつも強いとは限らない》(「プロはフォームの世界——の章」/『うらおもて人生録』)

 アマチュアならピークがすぎて、勝てなくなったら、本業に戻ればいい。しかしプロはそうもいかない。
 だから色川武大は「プロ」は「プロのセオリー」を身につける必要があるという。

《プロは持続を旨とすべし》

 その日その日の成績ではなく、「年間打率」や「通算打率」を目標にする。

 また「一一三の法則——の章」では、アマチュアとプロのちがいについて語っている。
 トーナメントは、負けたらそれでおしまいだから「一発全力主義」でいい。プロは「持続を軸にする方式」でなくてはならない。
 ようするに、続かない方法はいけない。そのためにはペース配分を考える必要がある。
 しかし仕事があったりなかったりという状況では、なかなかペース配分を考えることはできない。どうしても「一発全力主義」になってしまう。でもそれで燃え尽きてしまったら、元も子もない。
 わたしが(仕事の)ペース配分を考えるようになったのは三十代後半くらいで、それまではどちらかといえば、アマチュア方式でやっていた。

《もし、明日のことを考えないで、一回こっくりの勝負だったら、プロより強いアマチュアはたくさんいるだろうよ》(「一一三の法則――の章」)

 プロは目先の結果より「フォーム」を重視する。どちらが正しいとか偉いとかということではない。
 うらやましいくらいの素質がありながら、ペース配分を身につけることができずにやめてしまう人はけっこう多い。そういう人を見ると、もったいないとおもうし、残念だ。

(……続く)