2012/12/31

たけうま書房

 ひさしぶりに品川から京急の乗って横浜の黄金町。今月、オープンしたばかりの古本屋たけうま書房に行く。
 駅からすぐの飲食店などの入ったショッピングセンターの二階。伊勢佐木町モール(古本屋がけっこうある)からもすぐだから、JRの関内から行くルートもありかなとおもった。

 店内で一箱古本市、わめぞ関係者らと合流し、それぞれ本を買う。
 わたしは開高健著『ずばり東京』(朝日新聞社)の上巻、三浦節子著『アメリカン・コミックスへの旅』(冬樹社)、河原淳著『絵の特技を生かそう』(実務教育出版)などを購入した。

 今回、わめぞTVの「特集:たけうま書房」(http://www.ustream.tv/recorded/27813986)を見てから出掛けた。古本屋にかぎらず、これから店をはじめたいとおもっている人は一見の価値ありでしょう。

『古本の雑誌』の南陀楼綾繁さんの「一箱古本市店主『たけうま書房』の謎に迫る」もおもしろい。店主の稲垣さんは、わたしと同い年(一九六九年生まれ)で、大学卒業後、フリーターになって、色川武大を愛読していたことを知り、親近感がわいた。店の棚は、編集のセンスをかんじさせられる棚(なんとなく『話の特集』と昔の『宝島』っぽい)で、音楽、映画関係の本が充実している。

 そのあと晩鮭亭さんの引率で横浜の中華街へ。水餃子と自家チャーハンがうまかった。ちょっと食いすぎた。
 帰りの電車で河原淳の本をぱらぱら読んでいたら「あっ」とおもう記述が……。

《坂崎靖司くんという人から、五十七円の切手を貼った封筒が届きました》

 封筒の中には『ホモ・ルーデンス』という一冊の詩集が入っていて、同封されていた手紙が紹介されている。

《この手紙がきっかけとなって、坂崎くんはぼくの助手となりました》

 売り込み法やマスコミ処世術などについてイラストレーター向けのアドバイスもあり、欄外にはマニアックな一行情報(「六浦光雄が昭和十一年にはじめて『アサヒグラフ』に投稿したときのペンネームは六浦甚六であった」など)も。

 河原淳の雑学コラムは、もっと評価されてもいいとおもう。

2012/12/25

ライブの話

 十九日は吉祥寺、スターパインズカフェで東京ローカル・ホンク、二十一日は神保町、三省堂書店で前野健太、二十二日は高円寺、ショーボートでギンガ・ギンガ(オグラ&迷ローズ、しゅう&宇宙トーンズ、ペリカンオーバードライブ)と素晴らしいライブを堪能し、飲みすぎた。

 十年くらい前まで、わたしはミュージシャンと会うたびに緊張していた。音楽ライターをしていたにもかかわらずだ。自分の外見(服装もふくむ)も内面もまったくちがう人種、ステージに立つ側と見る側——そこにはどうしても埋まらない溝があるとおもっていた。
 ようするに、かっこいい人たちだとおもっていた。いや、今でもかっこいいとはおもっている。

 それでもどこで重なる部分がある。話が合う部分がある。

 毎晩のように中央線界隈の飲み屋でのみあかしているうちに、いろいろ共通点も見つかってくる。逆に、まったくちがうところもおもしろくなってくる。
 わたしが「この人、ものの見方や考えたが自分とちがっておもしろいな」とおもうときは、相手もまた自分にたいしてそうおもうこともある。

 はじめのうちはライブの打ち上げにまぜてもらっても、ぎこちなかったし、話がまったく弾まず、自己嫌悪に陥ることもあった。
 そんなこんなで月日が流れ、年に数回、もっとかな、いまだに緊張して、挙動不審になってしまうことはあるのだが、たぶんそういうことを乗りこえた先におもしろい時間がある。

 ふと、そんな時間をすごすと、「齢をとるのもわるくないな」とおもえる。

 しかし、飲み友だちになって、馴れ馴れしく話ができるようになっても、ライブを見ると、「やっぱ、すごいわ、自分とはまったくちがう人種だ」という気持になる。

 酔いがさめると、「生意気なことをいってすみません」とおもう。

2012/12/19

生きいそぎの記

 ペリカン時代で藤本義一著『生きいそぎの記』(講談社文庫)を受けとる。NEGIさんに借りた本。

 表題作は若き日の藤本義一が『幕末太陽伝』などの作品で知られる川島雄三監督のもとで仕事をしていたころの話である。
 撮影所で募集の告知を見て、川島監督のところを訪れる。
 志望を聞かれ、シナリオライターですというと、川島監督は「支那料理屋ねえ、う、ふっ、ふぁ」と冗談をいったあと、こんなことを語る。

《人間の思考を、今、仮に百とします。思考を言葉にすると百の十分の一の十です。その言葉を文字にすると、そのまた十分の一です。思考の百分の一が文字です。文字で飯を食っていくには、せめて、思考の百分の二、いや、一・五ぐらいの表現が出来ないことには失格です。わかりますか、君は……》

『藤本義一の軽口浮世ばなし』(旺文社文庫)でも、同じ話を書いているのだが、この部分を確認したかったのである。

『軽口浮世ばなし』では、次のように語っている。

《普通の人は、言葉の十分の一を文字として表現するわけです。わかりますか。しかし、プロは、それが許されないのですよ。思考の一パーセントの文字では、プロフェッショナルにはならないのです》

 思考を文字に移しかえる割合が一パーセントか一・五パーセントか。それがプロとアマの意識の差なのである。この〇・五%をどう伸ばすか。それ以前に、その差に気づくことができるか。

 考えていることを文章にするとき、九九パーセントは文字にできない。そして一パーセントの文字ですら、まちがえてしまう。

 藤本義一は「プロというのは『いやなことをすすんでやるから好きなことが出来る男である』ということ」と記している。そのことに気づいたのは、二十五歳のときだった。三十代ではすこし遅いと……。

2012/12/14

赤いスフィンクス

 部屋の掃除をしていたら、『昔日の客』の関口良雄が書いた「雑話」という題のエッセイのコピーが出てきた。

《私の店の近くの池上本門寺のそばに松尾邦之助という人が住んでいる》

 駅のちかくで松尾邦之助と会って、「先生! 暫くでした」と声をかけると、「やあー」といって近づいてきた。

 そのあとの松尾邦之助の台詞——。

「何かその後、僕の本が入ったかね。四、五年前に長嶋書店(ママ)というところから、僕の『赤いスフィンクス』という本を出したのだが、何とか見付けてくれないかね」

『赤いスフィンクス』は、松尾邦之助が訳したフランスの思想家アン・リネルの小説である。出版社は長嶋書店ではなく長嶋書房で一九五六年に刊行されている。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/12/12

『冬の本』と『旅のツヅキ』

……本日、『冬の本』(夏葉社)、『DECO・CHAT(デコ・シャ)vol.2 旅のツヅキ』が発売になりました。

『冬の本』
版元 夏葉社
装幀 和田誠
版型 四六版変形(179mm×112mm)
ハードカバー(カバーなし) 200ページ
定価 1700円+税

冬に読んだ本、冬になったら思い出す本など、総勢八十四名による冬と本に関する書き下ろしエッセイ集。

執筆者(敬称略)

青山南、秋葉直哉、淺野卓夫、天野祐吉、安西水丸、いがらしみきお、池内紀、池内了、石川美南、井嶋ナギ、伊藤比呂美、伊藤礼、井上理津子、岩瀬成子、上原隆、宇田智子、内堀弘、大竹昭子、大竹聡、大谷能生、岡尾美代子、岡崎武志、荻原魚雷、角田光代、片岡義男、木内昇、北澤夏音、北沢街子、北村薫、北村知之、久住昌之、小林エリカ、越川道夫、小西康陽、近藤雄生、佐伯一麦、柴田元幸、杉江由次、杉田比呂美、鈴木慶一、鈴木卓爾、鈴木理策、曽我部恵一、高橋靖子、高山なおみ、田口史人、竹熊健太郎、武田花、田尻久子、田中美穂、丹治史彦、友部正人、直枝政広、長崎訓子、名久井直子、能町みね子、橋口幸子、蜂飼耳、服部文祥、浜田真理子、早川義夫、平田俊子、平松洋子、文月悠光、穂村弘、堀込高樹、堀部篤史、ホンマタカシ、前野健太、万城目学、又吉直樹、松浦寿輝、町田康、南博、森山裕之、安田謙一、柳下美恵、山崎ナオコーラ、山下賢二、山田太一、山本善行、吉澤美香、吉田篤弘、吉本由美。

夏葉社
http://natsuhasha.com/

『DECO・CHAT(デコ・シャ)vol.2 旅のツヅキ』

「旅のツヅキ」は、"絵本"のような旅の本。旅する少年たちの…(実年齢はともかく、性別も関係なく...)。

vol.2は、判型を変え(B5版)、グラフィカルに写真とことばをのせて、オールカラー24ページでお届けします。
日本語と英語の2カ国語版。

執筆者(敬称略)
詩 扉野良人
エッセイ 荻原魚雷 島田潤一郎(夏葉社)河田拓也(For Everyman)
写真・デザイン 東海林さおり(ocyk production)
翻訳者 林裕美子

2012年12月12日発行・定価(本体860円+税)

昨年秋、京都に行ったとき、河田拓也さんが作った『For Everyman』を読んで感激したdecoさんから『DECO・CHAT(デコ・シャ)vol.1 旅と本のコラム』をぜひ河田さんに渡してほしいと頼まれた。
それから『旅と本のコラム』を読んだ河田さんが感想と返事を書いて……。詳しくは「vol.2」の「あとがき」を参照してください。

half‐moonstreet125
http://halfmoonstreet125.cocolog-nifty.com/halfmoon_street_125/

澄江堂主人

 冬になると、調子をくずしやすいのは、寒いからだけでなく、外出しなくなって、歩く時間が減るせいもあるかもしれない。
あるていど、からだを動かさないと思考も鈍る。今さらだが、そんなことに気づいた。

 先月、山川直人著『澄江堂主人』(全三巻、エンターブレイン)が完結した。芥川龍之助や宇野浩二ら当時の文士がみんな漫画家という設定でフィクションの余地を残しつつ、円本ブームとか言論弾圧とか、ちゃんと文学史、出版史をおさえている。

 芥川龍之助の生きた時代が活き活きと描かれていて、大正、昭和初期の空気が伝わってくる。その空気は今の時代に不思議と通じる部分もある(震災や不況など)。
 やっぱり田端文士村の雰囲気は憧れますね。
 あと時々登場する百閒先生が妙におかしい。もちろん借金のシーンもある。

 後篇では、キリスト教に傾倒していく芥川の内面の世界が「絵」になっていて、ただただ「すごいものを読んでいる」という気持にさせられた。

 一時期、芥川龍之介の評伝は熱心に読んだことがあったが、芥川の作品自体は二十年くらい読んでいない。何冊か読み返したくなった。

 夕方、神保町。神田伯剌西爾で珈琲を飲んでから書店をまわる。
『生誕120年芥川龍之介』(関口安義編、翰林書房)に、山川直人さんの「平成に読む芥川龍之介」というエッセイも収録されている。

 山川さんは三十代半ばに芥川の全集を毎月配本順に読んだ。それから十年後に『澄江堂主人』の連載をはじめる。

《せっかく漫画で描くからには、何か一つ大きなウソを入れたい》

『生誕120年芥川龍之介』には芥川ポーズ(右手をあごにそえる)をする太宰治の写真(三パターン)もあった。
『澄江堂主人』にも太宰が芥川の真似をするシーンがちらっと出てくる。わたしの記憶では高見順もこのポーズをしている写真を見たことがある。

2012/12/10

雑記

 うどんを作り、残ったつゆに味噌とごまポン酢をいれて、雑炊にする。あとはひたすらコタツと布団(一メートルも離れていない)を行ったり来たりする。

 布団の中で『文學界』一月号を読む。星野博美さんの新連載「みんな彗星を見ていた」が掲載されている。
 まず自分が興味を持つ理由を突きつめてから取材をはじめる。今回は歴史ノンフィクションになるのかなあ。先の展開がまったくわからない。
 これから毎月楽しみだ。

 ちょっとだけ外出して、家に戻ると山本善行著『定本 古本泣き笑い日記』(みずのわ出版)が届く。この日記、山本さんが四十代のころに書きはじめたもので、つい今の自分と比べながら読んでしまう。
 この古本への情熱はどこからくるのだろう。さっそくパラフィンをかける。

 先週は京都から東賢次郎さんが高円寺に来ていて連日飲み明かした。
 先月、東さんは放送禁止ソング界の重鎮のつボイノリオのラジオ(KBS)に出演し、「イエスタディ」の替え歌(下ネタ)を披露——。番組の後半部ではなぜかユーロ危機や中国経済の話などをしていた。謎すぎる。

 わたしは三重にいたころ、CBCのつボイノリオの番組によくハガキを出していた。その話をすると、東さんが『群像』の編集者時代に担当していた某作家(岐阜県出身)もつボイノリオの熱烈なファンであることを教えてくれた。

 中学時代に校内暴力で荒れまくっていた学校に通っていたのだが、つボイさんの番組でペンネームではなく、まちがって本名を読まれてしまったことがあった。
 翌日、下級生の誰もが怖れていた同じ部活の先輩が、自分のところに来て、「俺もあの番組にハガキを出しとるんや」といわれ、ペンネームを教えられた。
 なんとなく自分以外にも鈴鹿の人でよく読まれる人がいるなとおもっていたら、その先輩だった。

2012/12/08

空洞

 かれこれ二十年以上、わたしは鮎川信夫著『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社、一九六八年刊)を読み返している。
 まちがいなく家にある本の中で再読回数が多い本である。
 インターネットの古本屋がなかったころ、探しに探してようやく見つけた。
 たまに自分が紹介した本を読んだ人に「いうほどおもしろくなかったよ」みたいなことをいわれる。好みは人それぞれである。わたしは一冊の本と出あうまでの時間も読書の楽しみだとおもっている。
 その人の書いたものを一冊一冊読み続けて、ようやくそのすごさがわかることもある。

(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)

2012/12/05

寄り道

 仕事が一段落。といっても、年末進行中であることには変わりない。

《立派な書斎で机に向って、庭の眺めを眼にして終始書いているような作家の書くものに道筋がないのは当然だ。歩きながら立止まらずに眺め、考え、発見する人々の話には、少なくとも道筋がある》(「余白の告白」/辻まこと著『続・辻まことの世界』みすず書房、一九七八年刊)

 立派な書斎も庭もないが、コタツでずっと本を読んだり、文章を書いたりしていると、どうしても行き詰まってくる。三十代半ばをすぎたあたりから、仕事帰りに寄り道をしなくなった。酒も近所の飲み屋か家でしか飲まない。寄り道なんてものは、別にしなきゃいけないとおもってするものではないが、しなきゃいけないとおもわないとできなくなる。たまにはフィールドワークのようなことをしないといくら本を読んでも消化できないかんじが残る。もうすこし歩く時間を増やしたい。