2012/10/29

内側の技術(四)

 ここ数年、わたしは文章をまとめたり、削ったりすることに多くの時間を費やしてきた。
 枚数の決まった書評やコラムの仕事を続けていると、どうしても自分の「型」に縛られてしまいがちになる。
 頭の中では「気持よく書き飛ばして、後から直すところを直せばいい」とおもっていても、下手に筆を走らせると、文字数をオーバーするのが目に見えている。

 職業上の必要もあるのだが、自分の文章を他人の目で見る習慣もしみついている。それで知らず知らずのうちに、抑え気味に書く癖がついた。
 文章を書き飛ばせないのは、気力や体力の衰えよりも、単なる「練習不足」なのかもしれない。

 昨年の秋くらいから、調子よく筆が走らない原因を探り続けてきて、ようやくその可能性に気づいた。

 先月くらいからブログの編集機能が変わって、文章がものすごく直しにくくなって苛々していたとき、ふと「改行や文字数の調整にそこまで神経質になる必要があるのか」と疑問におもった。

 ちょうどそのころ、ペアレント博士の『禅ゴルフ』(ちくま文庫)を読み、その延長でW・T・ガルウェイのインナーゲーム理論を知った。

 わたしの「どうすれば、筆を走らせることができるのか」という悩みは、「どうすれば萎縮せず、気持のいいスイングができるのか」というテーマにも通じる。

 気持のいいスイングをすれば、いい打球が飛ぶわけではない。
 とはいえ、たまには文章のよしあしを気にせず、フルスイングする感覚で、書き飛ばさないと、どんどん筆が重くなる気がする。

《人間は、自分たち自身の邪魔をして、本来もてる能力をフルに発揮することを妨げる性癖の持ち主であるという正直な認識なしには、本当の進歩は為し得ない》(「はじめに」/『新インナーゴルフ』)

 ガルウェイは「ゴルフが難しいのではなく、人間の心がゴルフをあえて難しいものに仕立て上げているのではないだろうか」と問う。そして難しいものにしている原因に「特有の心理的重圧」と「正確さと緻密さの要求」と「特有の誘惑」などをあげている。

「ゴルフ」を「文章」に置き換えても、意味が通りそうである。

 正確で緻密な文章に価値があることは認めるが、それに囚われすぎると、言葉の熱が失われてしまう。

 ガルウェイはテニスを通して培ったインナーゲーム理論をゴルフで活用しようとする。しかし厳しい現実に直面する。

《スイングをコントロールしようとすればするほど、それは機械的でぎくしゃくした動きとなり、リズム感はますます損なわれる。ますますミスが多くなる。そこで私は、もっともっとと、メカニカルな矯正に自分を駆り立てる。その結果、いつの間にかスイングを矯正ではなく、自己破壊してしまう》(「ゴルフはなぜ難しいか」/同前)

 これも「スイング」を「文章」に……以下略。

 ガルウェイのショットに関する自己分析(かなり正確で緻密だとおもわれる)を読み、自分が調子を崩すときのパターンとあまりにも似ていることにおどろいた。

(……続く)