2012/10/30

内側の技術(六)

「型」と「感覚」について考えていると「どちらも一長一短ですな」というおもいがこみあげてくる。対処療法がいいのか自然治癒がいいのかといった論争みたいなものだ。

 よいレッスンを受け、上達した人は「型派」になり、自己流で技術を身につけた人は「感覚派」になる。それだけのことなのかもしれない。自分に合った方法を見つけようとすれば、どうしても自分の経験に左右されてしまう。

 ガルウェイは「型」と「感覚」は対立する概念ではなく、同じ海に流れるふたつの川のようなものと表現している。
 そのふたつの川のいずれを選んだとしても、障害になるのが「自己不信」だ。

『新インナーゴルフ』に「自己不信の克服」という章がある。

 不調のときの対処は、自分にたいする信頼を取り戻し、「リラックスした集中」を得ることだ。しかしそれができないから自己不信に陥る。

 ガルウェイの『インナーゲーム』(日刊スポーツ出版社、一九七六刊)では、無我夢中になってプレーする境地への到達方法こそが「内側のゲームそのものなのだ」と述べている。
 その方法は「好きになること」である。何かに集中するときも、その対象を好きになるのがいちばんの近道なのだ。

 あらためて『キャプテン翼』の「ボールは友だち! 怖くないよ!」というセリフは深いとおもった。
 精神集中の“持続時間”を伸ばす方法をガルウェイはヨガの教えから導きだす。

《特にインド・ヨガは、心の乱れを克服する過程で“愛”の力を発見した。バーキ・ヨガは、対象物に心を奪われることによって完全に精神統一(集中)の域に達しようとする思想だ》(「ボールに心を奪われよ」/『インナーゲーム』)

《集中がさらに深まるのは、心が集中の対象に興味を抱いたときだ。興味のないものに心を留めておくのは難しい。(中略)興味が深まれば、第一印象よりもさらに細かな、見えない部分にも興味を持ち始める。興味の奥行きが増せば、人は体験をより感じることが出来るようになり、興味を持ち続ける努力を支えることになる。けれど、興味を強制すれば興味は失われていく》(「集中技術の練習」/『新インナーゴルフ』)

 ことわざの「好きこそ物の上手なれ」と同じようなことをいっているのだが「興味の奥行き」という言葉は大事な指摘だ。
 もっとも「恋は盲目」という言葉もあるように、無我夢中の状態というのはまわりのことが見えなくなる。

……ここまで書いて、ちょっと散歩に出かけた。

 いつものように高円寺の古本屋をまわる。ゴルフやスポーツ心理学、禅やヨガの本が目に飛び込んでくる。
「しかし、待てよ」
 自分の気持にブレーキがかかる。
「今月は本を買いすぎてしまった」と反省する。

 スポーツ心理学の本は三十代半ばごろから気分転換用の本として買い続けてきたが、さすがに禅やヨガの本まで手を広げると、収拾がつかなくなるのではないか。テーマが大きくなりすぎて、探求する時間を捻出できそうにない。

 いくら好きになることが大事といっても、おのずと限度がある。

 古本に人生を捧げてもいいとおもうくらい好きで、しかもある意味仕事の一部になっているにもかかわらず、知らず知らずのうちにブレーキをかけてしまう。

(……続く)