2012/10/21

禅ゴルフ(五)

 ペアレント博士の「イメージ」の話を読みすすめていくうちに、すこしだけ頭の中のもやが晴れてきた気がする。

 これまで自分がずっと苦手だとおもっていたことは、うまく「イメージ」することができなかったからではないか。
 わたしは人前で話すのが苦手である。何をしゃべっていいのかわからなくなる。でも、それはそういう場面にいるときの自分の姿をちゃんと「イメージ」できていないからだともいえる。

 場数をふむということも「イメージ」と関係ある。
 多少苦手なことでも何度かくりかえしているうちに、すこしずつ「イメージ」ができあがってくる。
 完璧にできなくても「このくらいやれば許される」というだいたいの目安がわかってくると、気持に余裕ができてくる。
 たぶんこの余裕も「イメージ」の産物なのである。

「イメージ」は経験(練習や実戦やその他)を積むことによって、その精度も上がる。

 しかし精度の高い「イメージ」を作るにはかなりの集中力がいる。
 雑念があると、気持が散漫になり、集中力が続かない。
 この問題を改善するためのヒントも『禅ゴルフ』の中にあった。

 音楽家が、瞑想の練習はどうすればいいのかと釈迦に教えを乞う。
 釈迦は答えのかわりに「楽器を調律するとき、弦を張り過ぎたり緩め過ぎたりするだろうか」と質問する。

 弦楽器の調律をしている人の姿を見ると、今、無心になっているなあとおもうことがよくある。
 調律を「イメージ」するだけでも、精神衛生にいい気がする。
 逆に、調子がよくないときというのは、チューニングがズレたまま、楽器を演奏しているようなものと考えることもできそうだ。

 何とかして自分の心の調律の仕方をおぼえたい。

 まだまだ考えたいことはあるのだが、『禅ゴルフ』の話からどんどん脱線していきそうなので、このあたりで一区切りつけることにする。