2012/08/12

節度の時代(六)

……わたしの愛読書にジョージ・マイクス(=ミケシュ)著『貧乏学入門 貧しさをどう楽しむか』(加藤秀俊訳、ダイヤモンド社、一九八五年刊)がある。

《明らかに、貧富に関する人間の態度は、徐々にではあるが、確実に変化しているのだ。別言すればわたしはこの本によって象徴されるような、挑戦的な態度をとる人びとがふえてきたのである。つまり、金持ちというものは下品であわれむべき人種で、心配ごとばかりにとらわれ、誤まった目標を追い、にせものの価値を求め、にせものの神をあがめ、どのように人生を楽しむか、などという理想を持ちあわせていない連中である、と多くの人が思うようになってきたのである。貧乏人から、のんきに、そして、貧困をいかに楽しむか、を学ぶことのほうが、金持ちになるよりどれほどよいことかわからないのだ》(「俗物的貧乏人」/『貧乏学入門』)

 この本の邦訳が出た一九八五年には、ひねくれたユーモア作家の冗談と受け取られていた可能性もあるかもしれない。
 でも今は、(貧乏だけど)のんきに楽しく生きるための知恵が見直されつつあるとおもう。

《イギリスが貧乏になりはじめたとき、それに対する最初の反応は、沈黙と沈痛のごとき衝撃であった。しかし、やがてそれは、日常茶飯のこととなり、誇りとさえも思われるようになった。(中略)もし、イギリスが貧乏なのであれば、貧乏であることは粋なことなのだ。栄光に輝く過去をもつイギリスが、新興貧乏国になったのだから、それなりに貧乏らしくすればよいのである》

 貧乏のなり方にもいろいろある。
 一時期羽振りがよかったのに、お金がなくなったとたん、まわりから人がさっといなくなっちゃうのは情けない。

 国の場合はどうか。経済がぱっとしなくなったからだめっていうのは、単に魅力がないだけともいえる。
 昔と比べたら貧乏になったかもしれないけど、治安がよくて、食い物がうまくて、親切な人が多くて、景色がきれいで、ちょっと疲れても木陰で座れる場所があって、ようするに、あちこちにくつろげる町がたくさんあれば、それなりに楽しく暮らしていけるのではないか。

(……続く)