2012/03/18

文壇高円寺以前

「フリーライターは名刺と電話があれば、誰でもなれる」

 どんな仕事にもいえることかもしれないが、五年、十年と続けていくためにはどうすればいいのか。

 社交性があって、能力の高い人なら、それなりの努力で食っていける。
 社交性がなく、才能も未知数の場合、「人とはちがう何か」を身につけるための特別な努力が必要かもしれない。

 ちょっとものを知っている。ちょっと文章が書ける。それだけではちょっと足りない。

 二十代のころ、神保町や中央線沿線の古本屋通いをしているうちに、私小説の棚が気になるようになった。
 尾崎一雄、川崎長太郎、上林暁、木山捷平……。
 最初は「なぜこの作家の本はこんなに高いんだろう」という疑問だった。

 たぶん何かあるにちがいない。
 次々と私小説作家の著作に手を出すようになった。

 当時、尾崎一雄の全集は十五万円くらいした。そのころのわたしの月収と同じくらいだ。
 さらに身の程知らずにも、全集だけでなく、単行本も集めようとしたから、出費はかさむいっぽうだった。
 今おもえば、二十代後半に生活が困窮したのは私小説への傾倒も関係している。

 貯金もなく、将来も見えない。
 生活の底が抜けそうになっていた。

 引き返そうにも、どこに戻ればいいのかすらわからない。

 しかし尾崎一雄のある小説の一行が自分の行く先を照しているようにもおもえた。

(……続く)