2011/12/31

北の無人駅から

……二十九日、札幌から『北の無人駅から』(北海道新聞社)の渡辺一史さんが上京し、古本酒場コクテイル、ペリカン時代をハシゴする。

『北の無人駅から』は、原稿用紙一六〇〇枚の大著なのだが、これだけの枚数を費やさなければ書けないことが書いてある。無人駅のある町の歴史、そこで暮らす人々の半生を丹念に描いていて、まったく知らない町、知らない人のドラマにどんどん引込まれてしまった。

 大学時代から札幌に移って、フリーライターになり、八年前に『こんな夜更けにバナナかよ』で大宅賞と講談社ノンフィクション賞を受賞。『北の無人駅から』は、それ以来の本である。

 渡辺さんとは一年前にも高円寺で会って飲んでいる。
 そのときは『北の無人駅から』を執筆中ということを知らなかった。

 観光情報誌で、北海道について書こうとすると、どうしても雄大な自然や食物のおいしさを讚えるといった「定型」をなぞらなくてはならない。渡辺さんは、そのことに疑問をおぼえる。
 それから果てしない取材がはじまる。これほど贅沢な(非効率な)時間の使い方をして書かれた本はそうない。

 飲み屋では、渡辺さんが山田太一さんの大ファンだという話になった。『北の無人駅から』を執筆中、山田さんからの励ましの手紙を何度も読み返していたらしい。
 その前日、山田太一さんと原恵一さんの対談が掲載されている『For Everyman/フォーエブリマン』を編集した河田拓也さん、松本るきつらさんと同じ店で飲んでいた。
 一日ズレたことが悔やまれる。
           *
 どうでもいい話を書くが、高円寺は住んでいる人口にたいし、郵便局のキャッシュディスペンサーの数が少なすぎる気がする。
 年末、行列にひるんで、お金を引き出せなかった。何に負けたのかわからないが、敗北感を味わった。

 今年も携帯電話を持たなかった。もはや自分との戦いになっている。持ったら負け。でもいつか負けそうだ。ふだんはなくてもいいのだが、旅先で困る。

 鮎川信夫は「その日その日の消費に浮かれる自己喪失者」と現代(といっても一九八〇年代)の日本人を評したことがあった。
 わたしもそうした時代を通過し、日々、モノや情報を消費することに追われている。

 来年はもうすこし平穏にすごしたい。平穏な一日を送るにもそれなりに手間がかかる。
 たっぷり睡眠をとって、ちゃっちゃと部屋を片づけて、じっくり時間をかけて本を読み、文章を書きたい。
「自己喪失」しないためには、ひとりで静かに思索する時間が必要なのではないかとおもう。