2011/12/23

震災後に考えたこと その三

……東京で暮らしていると、震災のことはだんだん過去になっていく。夜も明るく、元通りになった。
 本を読んで、原稿を書いて、酒を飲んで、寝る。
 いつも通りの日常。
 でもどこかちがう。(自分の)日常の脆さを意識しながら、なるべく普段通りにすごしているかんじだ。

 一言でいうと落ち着かない。

 このままふだん通りの生活に戻ってしまうことは、今なお日常をとりもどせない人との溝を深めてしまうのではないか。
 今回の震災や原発事故によって浮上した問題を解決しないまま、元に戻ろうとしていいのか。

 東京に暮らしながら東京一極集中を批判するのは、満員電車に乗りながら「なんでこんなに人が多いんだ」と文句をいうようなものだけど、大地震でライフラインが寸断されたら……。

 すでにベクレルやシーベルトという単位を目にする日常になっている。
 近所のスーパーに行くと「お客様の要望にこたえて」というポップのついた西日本の牛乳や卵が売られている。

 今回被災しなかった地域にしても安泰なわけではない。
 全国いたるところに老朽化した原発があり、活断層がある。

 古くなった原発を廃炉にするには数十年、さらにもっと長い歳月を要するかもしれない。放射性廃棄物の処理や管理をふくめて、財政を蝕み続けるだろう。

 生きているあいだにこんなことになるとはおもわなかった。
 政治や経済のことは誰かがなんとかしてくれる。なんとかならなくても、自分は自分のできることをやるしかない。

 わたしはそんなふうに考えていたのだが、それではだめだとおもうようになった。

 先のばしのツケはどんどんひどくなる。
 しかしそこから目をそらしたところに希望はない気がする。

(……続く)