2011/11/29

仙台堪能

……今回の仙台行の目的のひとつはyumboのライブを見ることだった。

 新メンバー(弦楽器も管楽器もできる)が加入してからのはじめてのライブ。yumboの音楽は、緻密で繊細だけど、きっちり作られた曲をところどころ崩したり、壊したりしていて、音で遊んでいるような自由さがある。ホルン(トランペットやトロンボーンがはいることも)とドラムとピアノの編成で、曲によってギターやベース、大正琴(?)など、次々と楽器の担当が入れ替わる。

 わたしは今のyumboのライブが見たかった。仙台に行って、その時間を味わいたかった。
 最近、簡単に得られる情報(文化)に食傷気味になっている。

 ライブのあと、前野さんと会場で会った仙台在住のフリーライターのT君と壱弐参(いろは)横町で今月オープンしたばかり鉄塔文庫に行った。

 しばらくして閖上のKさんも合流する。

 店内には佐伯一麦さんの本がずらっと並んでいて、ちょっと前まで「まだ本を読む気になれない」といっていたKさんが次々とテーブルに本を積みはじめる。

 料理もうまいし、雰囲気もよかった。

 この日はyumboの澁谷さんの家に泊めてもらった。コタツにはいって、本に囲まれて、CD(主にスティーリー・ダン)を聴きながら、朝方まで雑談する。

 翌日、マゼランで古本を買い、ホルン(澁谷夫妻の店)でコーヒーを飲んで、火星の庭に寄って、東京に帰った。
                     *
 この三年くらいのあいだで、仙台の滞在日数は三十日以上になっている。

 火星の庭を通して知り合った若い人たちと話していると、ここから新しい文化(暮らし方)が生まれてきそうな予感がする。それが何かはまだわからないのだが、五ヶ月ぶりに仙台を訪れて、その変化の兆しのようなものを以前よりさらに強くかんじた。

 漠然とした感想ですみません。
 もうすこし時間できたら、続きを書きます。

2011/11/22

閖上に行ってきた

……十一月になって、すこし仕事が落ち着いた。

 先週の金曜日の夜、仙台へ。国分町のなんかんやで飲む。前日までは、高円寺の飲み友達のオグラさんとカメラマンの荒井さんもいたと聞いて驚く。
 この日はごはん屋つるまきに宿泊する。

 翌日、火星の庭の前野さんと今回の地震と津波で大きな被害を受けた名取市の閖上を訪ねた。
 閖上は一年七ヶ月ぶり。朝まで古本を肴に飲み明かした海のすぐそばにあったKさんの家は津波で流されてしまい、周辺は更地になっていた。

 今、Kさんは仮設住宅の寺子屋の先生をしている。六月ごろ、朝、ぼーっとNHKのニュースを見ていたら、子どもたちに勉強を教えるKさんが出てきてびっくりした。

 Kさん、前野さんといっしょに閖上をまわりながら、震災当日の話を聞いた。
「地震直後は、津波がくるとはおもわず、家にいた」
「ここで津波が見えて、車を乗り捨てて逃げたんだよ」
「津波はバキバキって音がした」
「避難した学校は二階に行けなくて、一階の音楽室にいて、もし水が入ってきたら、娘といっしょに外に飛び出そうとずっと窓のところで構えていた」
「そのとき学生時代の先輩が流されてきて、腕をつかんで教室にひっぱりこんだんだよ」
「流されてきた家や車が学校にぶつかってきた」

 車の外を見ると、横転した船がまだ残っている。海の底に車がいっぱい沈んでいるという話も聞いた。

 前に来たときと風景が一変している。家がなくなっていて、車もほとんど通らない。
 Kさんは寺子屋の活動だけでなく、閖上の日和山の神社の復興にもかかわっている。
 Kさんの活動を支えているロシナンテスというNPO法人の話も聞いた。もともとロシナンテスは、スーダンで医療活動を行っていた団体なのだが、震災後、閖上の支援に尽力している。

 三ヶ月ちかく避難所生活をしていたKさんは、自分で働いて生活したいとおもい、仮設住宅に入居せず、家を借りた。
 まだまだお金やモノが必要な状況ではあっても、働きたい人が働き、自分たちの力で暮らしていけるようになることが、ほんとうの復興になるというようなことをKさんがいっていたのが印象に残った。
「被災地」と一括りにする危うさ、個別に考えていくことのむずかしさ……。

 震災前の日常に戻りつつある東京でぐだぐだと暮らしているわたしは、閖上を訪れるまで、「(自分のような人間が)何をいってもどうにもならない」という気持でいた。残念ながら、今もその気持はくすぶっている。

 難しく考えすぎて、最善の答えが出るまで何もしない。昔からわたしはそういうふうになりがちで、そうした姿勢(癖)はなかなか変わらない。いつも「動きながら考えたい」とおもっているのだが、立ち止まって呆然としてばかりだ。

 自分が何もできなければ、ちゃんと真剣に考え、行動している人を支援する。

 微力だけど、無力ではない。

 それが今のところの結論。

(……続く)

2011/11/14

最近の仕事

・今月発売の『新潮』(十二月号)に「隠居願望」というエッセイを書きました。同じタイトルの原稿をこのブログにも発表していますが、中身は別です。

・『小説すばる』(十二月号)の古書古書話では、先日行った長野・小布施の古本市の話を書きました。先日、Library of the Year 2011の大賞を受賞した小布施町立図書館「まちとしょテラソ」のことにもふれています。

・『本の雑誌』(十二月号)の連載は、山口瞳のことを書きました。たまたまなのですが、特集「いま作家はどうなっておるのか!」と連動(逆方向に?)した内容になっています。

・「INTRO」というサイトに内藤誠監督の『明日泣く』のレビューを書きました。
 色川武大の原作、しかも主人公の父親役は坪内祐三さん。
 十一月十九日(土)、ユーロスペースで上映(21:10より)です。上映期間中、劇場ロビーで斎藤工撮影による『明日泣く』の写真展も開催されるそうです。

「INTRO」特集:明日泣く http://intro.ne.jp/contents/2011/11/11_0012.html

・それから『本と怠け者』(ちくま文庫)が増刷になりました。 

・というわけで、腰痛の回復をはかるため、これから寝ます。

2011/11/13

腰痛三日目

……やってしまった。
 兆候はあったのだが、油断した。座り仕事を長く続けてしまったのが、よくなかった。

 今回の腰痛は、右足にきた。

 最初の日は、動けない。寝ていても痛い。仰向けがいちばん楽なのだが、自力で起きることができない。横向きかうつ伏せかの二択である。
 鎮痛剤と関節痛に効くといわれる薬を交互に飲んで寝る。シップも気休めだとわかっているが貼る。
 二日目、モノにつかまらないと歩くことができない。畳の部屋は這って、台所は車輪のついた椅子につかまりながら、移動する。
 歩くことはできないが、すこしずつよくなっている。でも外出はできない。
 三日目になって、ようやく何もつかまらなくても歩くことができるようになった。まだかがむ姿勢がとれず、段差がきつい。

 とにかく急に気温が下がった日は、気をつけないといけない。

 今日は初日に行けなかった高円寺の「本の産直市」や「縁台ふるほん市」に行こうとおもっている。

2011/11/08

秋元潔詩集成

 コクテイルで飲んで、ペリカン時代にハシゴする。増岡さんに「Aさんから本をあずかってますよ」といわれる。
 袋の中には『秋元潔詩集成』(七月堂、二〇一一年刊)が入っていた。
 秋元潔は、尾形亀之助研究の第一人者にして、『バッテン』『凶区』『現在』『横須賀軍港案内』『ぬう・とーれ』の詩人である。
 二〇〇八年一月十四日に七十歳で亡くなった。

 Aさんは秋元潔のご子息なのだが、まったく自分からはそのことを名のらず、たまたまコクテイルで知り合って、そのときはなんてことのない話をして別れた。名前は「アキモトです」といっていた気がするが、秋本か秋元かすら、わからなかった。
 あとで共通の知り合いから、「Aさんのお父さんは詩人らしいよ」と聞いた。
 アキモトで詩人といったら……。
 ひとりしかおもいつかなかったが、正解だった。

『秋元潔詩集成』の年譜を見ていたら、秋元潔の長男の名付け親は、木山捷平とあっておどろいた。
 この本におさめられたエッセイでも「木山捷平さんの初孫と私たちの子が偶然、荻窪の同じ病院で同じころうまれ、木山さんに名づけ親になってもらった」とある。

 そんなことも知らずに、わたしはAさんの前で木山捷平の話をしたかもしれないと恥ずかしくなった。

 わたしは学生時代に玉川信明さんの大正思想史研究会に参加し、辻潤や吉行エイスケを追いかけているうちに、尾形亀之助を知った。
 秋元潔の『評伝 尾形龜之助』(冬樹社、一九七九年)、『尾形亀之助論』(七月堂、一九九五年刊)も繰り返し読んだ。
 尾形亀之助の詩にひたっていると、どんどん無気力になる。それでも時々読み返し、その突き抜けたダメっぷりに救われたり、さらに気怠くなったりした。

 それからしばらくして、わめぞで文系ファンタジックシンガーのPippoさんと知り合い、かつてPippoさんが思潮社にいて『現代詩手帖』の尾形亀之助特集号を担当した話を聞いた。
 秋元潔さんが亡くなったことを教えてくれたのもPippoさんだった。

 本のお礼を書くつもりが、関係ないことをいろいろ書いてしまった。

 ありがとうございます。

 大切に読みたいとおもっています。

2011/11/03

『Get back, SUB!』刊行記念トークショー

【緊急企画】第56・5回西荻ブックマーク
2011年11月27日(日)
『Get back, SUB!』刊行記念
SUB CULTUREのスピリットを求めて
北沢夏音×荻原魚雷×森山裕之
会場:ビリヤード山崎2F(予定)
開場:16:30/開演:17:00
料金:1500円
定員:50名
要予約

《雑誌にとって一番大切なのはスピリットだと、ぼくは信じる。クォリティを保ちながら出し続けることはもちろん重要だが、スピリットのない雑誌にいったい何の価値があるのだろう?》(『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』より)

一九七〇年代の伝説的雑誌『SUB(サブ)』とその編集者・小島素治の仕事と生涯を追った初の著書『Get back,SUB! あるリトル・マガジンの魂』を刊行した北沢夏音さん。「最後のマガジン・ライター」北沢さんが、『クイック・ジャパン』元編集長・森山裕之さん、同誌執筆者だった荻原魚雷さんとともに、連載時の裏話から雑誌論、サブ・カルチュア観まで、熱く語ります。

西荻ブックマーク
http://nishiogi-bookmark.org/2011/nbm56-5/

 北沢さんの文章を一読者、一ファンとして読んできた。妥協のない取材や緻密な構成といった「プロの仕事」に驚嘆し、その気持のはいった文章を読むと、体温が上がるかんじがした。
 この連載がはじまったころは、わたしは同人誌『sumus』を書いていて、その文章を読んで原稿を依頼してくれた最初の編集者が森山さんだった。
 森山さんとはじめて会ったときにも、北沢さんの連載を愛読しているという話をした気がする。

 当時、あのタイミングで、『SUB』の小島素治さんに会って、話を聞き出しているのは、奇跡のような仕事だ。単行本になった連載(大幅加筆されている)を読み返すと、ある雑誌が生まれた時代を浮かび上がらせるだけでなく、今の出版状況にたいする問いかけも鮮明になっている。

『sumus』は京都在住の同人が多く、関西の同人誌『ブッキッシュ』や貸本喫茶ちょうちょぼっこの人たちと大阪で集まったとき、取材中の北沢さんと森山さんも合流した。
 そのときが北沢さんと初対面だった。
(この日、わたしはまだ学生だった前田和彦君の家に泊めてもらった。その後、前田君は上京して『クイック・ジャパン』を経て、現在はアスペクトの編集者になっている)

 本の雑誌社の『活字と自活』を作っていたころ、担当者の宮里潤さんが『Get back,SUB!』を「本にしたい」といっていた。ようやく実現した。

 今、心を燃やしながら読んでいます。 

2011/11/02

京都にて

 30日(日)、午前中に仕事を片づけ……いや、片づかなくて、予定より二時間以上遅れて京都へ。
 扉野良人さん主宰の徳正寺のブッダカフェで『本と旅のコラム』を作ったdecoさんのお話を聞きにいった。
 目の前に北條一浩さんが座っていて、びっくりする。
 decoさんから『For Everyman』の感想も聞いた。
 この雑誌にこめた河田拓也さんのおもいがちゃんと伝わっていることがわかってうれしかった。
 河田さんと話していると、「この話、自分ひとりで聞くのはもったいない」という気持になる。
 これほど本気で物事を考え、本気で言葉を発しようとしている人はめったにいない。
 
 ブッダカフェのあとは、メリーゴーランド京都で平出隆さんの展覧会を見る。
 via wwwalnuts叢書をはじめ、装丁家でもある平出隆さんの著作(作品)が並べられ、閉店まぎわまで、人でにぎわっていた。

 夜は扉野家で潤さんの手料理をごちそうになる。小さな子どもがいて、たいへんなはずなのに、ゆったりした空気が流れていて、落ち着く。こういう雰囲気はちょっとやそっとでは真似できない。
 でも土鍋のごはんはやってみたいなとおもった。
 朝、早く目がさめたので、鴨川まで歩いて一時間くらいぼーっとする。
 東京でもこういう時間がすごしたいのだけど、そういうわけにもいかない。

 午前中、出町柳に出て、臨川書店の店頭セール、知恩寺の古本まつり、古書善行堂をまわって、ガケ書房できょうと小冊子セッションを見て、バスで三条に戻って六曜社でコーヒー飲んで、金券ショップで帰りの新幹線の回数券を買って、サウナ・オーロラに寄って、バスで高野橋まで行って、恵文社一乗寺店に挨拶する。
 夜、まほろばで東賢次郎さんと待ち合わせ。お店の常連のキョージュ(詩人・大学の先生)も加わって、三人で文学話をする。
 もう一軒、元田中のHawkwindというバーに連れていってもらい、酔っぱらう。帰りの乗った瞬間、熟睡し、東さんの秘密基地のような家に宿泊する。東さんは元々東京で編集者をしていたのだが、七、八年前に京都に引っ越し、つれ・づれというバンドとソロでミュージシャン活動をし、小説も書いている。

 最近、いろいろな場所に行くたびに、理想の暮らしについて考える。
 (自分の)停滞の出口を見つける方法が知りたい。

 帰りの新幹線で古書善行堂で買った吉本隆明の対談集を読む。
 もう何年も『吉本隆明全対談集』を買うかどうか迷っているのだが、なかなか揃いを見かけない。

(……未完)