2011/07/01

隠居の時間

 すこし前に、隠居願望について書いた。たぶんわたしは忙しい生活にたいする忍耐力がないのだとおもう。

 一日の大半は、本を読むかレコードを聴くか文章を書くかしていて、それに飽きると飲み屋に行く。仕事がほどほどにあって、家賃と生活費がどうにかなって、人ごみを避け、面倒を避け、好きな時間に寝起きができて、本を読んで、酒を飲んで、ときどき旅行ができたら、わたしの欲望は、ほぼ充たされる。

 人によっては、贅沢とおもうかもしれないし、退屈とおもうかもしれない。

《なにもしなければ、金もかからない。わたしはいろいろなことが面倒くさくなると、いつも金をつかわない方向に物事をかんがえてしまい、その結果、行きづまる。行きづまると、旅に出たくなる。二十代のころから、えんえんとそういうことをくりかえしてきた。よくわからんけど、とりあえず、電車に乗っちゃえ。そうすれば、余計なこと考えなくてすむ》

 たぶん、四年くらい前に書いた自分の文章の一部で、どこかに発表したかもしれない(しなかったかもしれない)。

 旅といっても、わたしは二泊三日くらいの国内旅行が好きで、旅先でもほとんど日常の延長の行動しかない。つまり、古本屋と喫茶店と飲み屋をまわるだけだ。

 日常と旅先では何がちがうのかといえば、仕事の有無である。移動先では仕事をしない(できない)。
 年々、仕事をしない(できない)時間の大切さを痛感している。
 仕事をしない(できない)時間が減ると、どんどん消耗していくような気がする。
 今のわたしは次の仕事にとりかかるまでの準備期間がもっとほしいのだとおもう。
 自分の性格や体力を考えると、低迷や停滞を受け入れつつ、あまり無理をしないほうがいいことがだんだんわかってきた。

 省エネは得意なほうだとおもう。