2011/04/27

サバイバーズ・ギルト

 なんとなく、寝つけなくて、ぼーっとしながら、NHKのニュースを見ていたら、「サバイバーズ・ギルト」について解説していた。
 災害や戦争、あるいは事故などで、運よく生き残った人が、犠牲者にたいし、自分が何もできなかったことを悔やんだり、罪悪感を抱いたりすることだそうだ。

 東日本大震災、福島原発の事故の被災地だけでなく、被災地以外の人でも、多かれ少なかれ「サバイバーズ・ギルト」になる。
 気を病む前に、そうした症例はよくあることだとおもうし、ある意味、人間の普遍性に根ざした感情なのかもしれないともおもう。

 戦中派の作家、詩人の作品にも、生きのびた者の悲しみや戸惑いが底流にある。
 その底流の感情が、反戦、というか、戦争だけはもうこりごりだという厭戦思想とも結びついていた。

 阪神大震災、地下鉄サリン事件の年、わたしは二十代半ばだった。
 その年から五年間、半失業状態に陥った。地震やサリン事件のせいだけではない。
 その前から、自分には需要がないことを痛感していた。

 だったら、最低限の生活費と古本屋と飲み屋と喫茶店に通えるお金を稼いで、あとは好きなことだけやろうとおもった。

 ここ数年、平穏な生活を送っていた。
 でも、気をぬくと、すぐ停滞する。
 つまり、余裕がない。

 今の自分の不安もサバイバーズ・ギルトに似た症状なのだろう。

 この先の時代の変化に順応できないかもしれない予感がある。

 ただ、願わくば、原発にかぎらず、自分たちの手に負えないもの、後の世代にツケをまわすような社会は変わってほしいし、今の自分の生活も変えたい。

 まだいろいろいい足りないことがあるが、寝ることにする。