2011/03/08

四十一歳の春だから

 宅配の集荷を頼もうと電話したら、まったくつながらない。外を見ると雪。

「イケブックロ2」も終了。土曜日は山手線で五反田、日曜日は総武線で吉祥寺まで寝すごし。飲んで電車に乗るとすぐ寝てしまう。

 イケブックロの会場で立石書店の岡島さんと四十歳談義。わたしは今、四十一歳の春だという話をする。つまり、バカボンのパパと同い齢。四十一歳とはこんなかんじなのか。たしかに鼻毛はよく伸びる。

 三十代以降、知らない町の知らない古本屋に行く回数が減った。だいたい決まった店をまわる。どうしても読みたい本は、インターネットで買う。年々、どうしても読みたい本の数が減っていく。
 わたしの趣味は狭く、すぐ行き詰まる。ほしい本は安くない。桁が五桁になる。

 先日、日本の古本屋で梅崎春生宛の尾崎一雄の署名本を見つけ、酔っぱらって注文してしまう。カバーなしの本はもっていた。

『わが生活わが文学』(池田書店、一九五五年刊)

 オープンしたばかりの京都の古書善行堂でカバー付のこの本が格安で売っていたときに買いそびれてしまい(そのときは他にもほしい本がいっぱいあった)、ずっと悔やんでいた。

 その後、五千円くらいで見つけたことはあったが、やはり、カバーなしの本をもっているということで見送った。

 梅崎春生宛の尾崎一雄の署名本はその三倍くらいの値段である。

 酔っぱらって注文したというと衝動買いのようにおもうかもしれないが、購入する一週間くらい前から気になっていた。仕事中も売れてしまったらどうしようと何度も日本の古本屋を見ていた。躊躇していたわたしの背中を押したのが「四十一歳の春だから」という言葉だった。ここで見逃したら、ものすごく後悔する気がした。

『わが生活わが文学』には「古本回顧談」「古本回顧談 補遺」というエッセイがある。

 このエッセイの中に東京の若い知人水落清君の力で萩原朔太郎の『月に吠える』の極美本を入手したという話が出てくる。
 群馬県の小見一郎の旧蔵書で、本の扉には「小見君のために。萩原朔太郎」と署名があった。さらに、新聞雑誌評の切り抜きが貼ってあり、この旧蔵本は、三好達治の説では、朔太郎に直接もらった本であるとしている。

「朔太郎の『月に吠える』」では、学生時代にも尾崎一雄は『月に吠える』の初刊本を愛蔵し、のちに手離してしまった話が出てくる。
 当時、尾崎一雄が持っていたのは岩野泡鳴宛の本で、途中、頁が切り取られ、ゲラ刷りをはりこんで補ってあった。
 朔太郎は検察官によって削除された詩(「愛嬌」と「恋を恋する人」の二篇)を見せようとしてゲラ刷りをはったのではないかという。
 また小見氏旧蔵本については「この本は、削除の無い完本である」とも記されている。日本の詩集の中でも稀少本中の稀少本である。

《三好達治が見て、「僕が持つてゐるより綺麗だ」とうらやましそうな顔をした。恐らく日本一——つまり世界一の美本(「月に吠える」では)だらう》

 もし古書価をつけるとすれば、いくらになるのか。