2010/03/26

ふるほん横丁

 雨で、寒くて、洗濯物はたまり、原稿は書けず、飲みすぎて、からだがだるくて、頭がまわらない。インターネットの古本屋で片っ端から注文し、その支払いのため、郵便局と銀行を行ったり来たりしている。

 某地方の古書店、支払先が中国銀行のみという理不尽さに怒りをおぼえる。
 手数料だけで三百円ちかくとられてしまった。キャンセルすればよかった。
 これまでクレジットカードがなくて敬遠していたアマゾンの中古本が、コンビニ払いができることを知った。払い込み用紙をプリントアウトして、レジに持っていくだけでいい。
 たいへん便利なのだが、海外の古本屋とのやりとりは面倒であることがわかった。
 英国の古書店にジョージ・ミケシュの自伝(『How to be SEVENTY(七十歳になる法)』を注文したのだが、入金して十日くらい何の音沙汰もなく、忘れたころに本が届いたかとおもったら、背表紙はかすれて見えないし、中は線引だらけだった。文句をいおうにも、クレームをつけられるほどの語学力もない。完全に泣き寝入りというやつだ。びっしり線が引きたくなるくらいおもしろい本であることの証拠だと自分を納得させる。

『ちくま』の四月号で、ジョージ・ミケシュの本を紹介した(「ミケシュが見た日本」)。
 ここには書かなかったのだが、ジョージ・マイクス名義の『不機嫌な人のための人生読本』(加藤秀俊監訳、ダイヤモンド社、一九八六年刊)という本がある。

《もし歴史上の戦争のなかで、正当なものがあるとすれば、それは第二次世界大戦である。人類は、ドイツを統治した罪深き精神異常者をまっ殺しなければならなくなってしまった。そして、わたしたちやわたしたちの子孫は、それを実行した人たち——そして、他の多くの人たちに——に対して、あらたな暗黒時代を回避させてくれたことを感謝しなければならない。かれらは自由のために戦った……。ほんとうだろうか。西欧の人たちは、けんめいに正しく戦った、というかもしれない。そして、ロシア人たちも同様に雄々しく戦ったのだ。しかし、この勝利でかれらがえたものは、どんな形の自由だったのだろうか。スターリンの殺人的偏執狂は、三〇年代にも十分ひどいものだった。しかし、勝利ののち、自由という名のもとに、それはもっとひどくなったのである》(「自由=この悪しきもの」/『不機嫌な人のための人生読本』)

 これですよ、こういうエッセイがわたしは読みたいのですよ。ミケシュは、穏健な左派を自認していたようだが、かなりひねくれている。
 一見、ユーモア・エッセイ風なのだが、随所にシニカルな社会観、歴史観が見られる。

 仕事帰り、高田馬場駅前の芳林堂書店四階の「ふるほん横丁」に寄る。三月二十五日(木)からオープン。棚と棚の幅がゆったりしていて、本が見やすい。値段もわりと安目かも。

 一階の入口のところで、丸三文庫とフジワラさんと藤井書店のリボーさんが寒そうにふるえていた。