2010/02/26

怪作にして傑作

 旅の疲れのせいか、頭がまわらん。こんなときは漫画を読むにかぎる。
 ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)は、すばらしい作品だった。

 古代ローマの建築家ルシウスが、タイムスリップして日本の銭湯や温泉にタイムスリップする。荒唐無稽としかいいようがない話なのだが、とにかく読まされてしまう。

 SFの要素よりも、ローマと現代日本の文化、そして時代の比較(ズレ)が、ふざけ半分まじめ半分に描かれている。

 ルシウスは、世界に名だたるローマ人としてのプライドをもっているのだが、現代の日本の銭湯にやってきて、「なんという文明度の高さ……!」とカルチャーショックを受ける。
 主人公にとって、富士山の絵もケロリンのおけも巨大な鏡も衣類かご、フルーツ牛乳など、見るものすべてが斬新なのである。
 彼は日本語がわからない。ゆえに、コミュニケーションはとれない。だが、建築家、技術者の目で日本の風呂文化を(ときどき誤解しながらも)どんどん吸収する。
 そして再び古代ローマに戻ると、日本で得た知見をいかして、新しいローマ風呂を次々と考案する。

 堪能、堪能。温泉に行きたくなる。

2010/02/23

小移動の記

 倉敷に行ってきた。蟲文庫で知久寿焼さんのライブ。独特の、不思議な詞とメロディを本に囲まれた空間で聴くというのは、たまらんでした。
 打ち上げも楽しく、あっという間に時間がすぎる。
 酔っぱらい運転(自転車)で駅前のビジネスホテルに帰る途中で道に迷う(約二十分)。コンビニの店員がものすごく親切に駅までの道順を教えてくれる。

 カメラマンの藤井豊くんと会い、翌日(日曜日)、高松に行く。宇野から高松までフェリー片道三百九十円。このフェリーが廃止になるかもしれないという。もったいない。
 高松から琴電に乗って、商店街(シャッターがしまっている店多し)をぶらぶらして、さぬきうどんを食い、讃州堂書店に寄る。地元の喫茶店を探すが、「ガストくらいしかない」といわれる。
 帰りは船ではなくJRで岡山に戻る。岡山から大阪に行って、ちょうちょぼっこに寄る。ブックオフに寄って、梅田のサンルートに(リニューアル記念かなんかで安くなっていた)。

 月曜、正月に三重に帰ることができなかったので、難波から近鉄で鈴鹿に行くつもりだったが、その前に京都に行く。阪急で河原町まで行って、六曜社に寄って、出町柳でレンタサイクルを借りて、恵文社一乗寺店、ガケ書房、善行堂をかけあしでまわる。
 思文閣の地下の店で鍋焼きうどん(わたしの理想の鍋焼うどん。いたって普通の味)を食う。
 京都滞在二時間半というのは最短記録かもしれない。

 京阪、近鉄を乗りついで帰省する。
 鈴鹿は不況らしく、ブラジル人がたくさん国に帰ってしまって、アパートやマンションがガラガラだという話を聞く。親の住んでいるマンションもあちこち不具合が出ている(なかなかお湯がでないとか)。
 ここ数年、親元に帰るたびに、新たな親族関係の謎を知ることになる。昨年亡くなった母方の祖母のところにいた謎のおばあさんが、祖父(大工・あまり仕事をしない人だったらしい)の乳母だったという事実が判明する。父方のほうにはいとこで編集者(漫画関係?)がいることも知った。

 周辺の県道はチェーン店銀座と化している。「まさかこんなところに」とおもっていたブックカフェらしき喫茶店はなくなっていた。そのあと焼肉屋か焼鳥屋になりそう。

 ベルシティ(ショッピングモール)のブックオフに行く。ドトールに買ったばかりの本を忘れる。取りに戻ったら、そのまま座席の上に置いてあった。
 鈴鹿ハンターで福助のあられとコーミソースを買う。財布の中を見たら、帰りの電車賃が足りないことに気づき、年金生活をしている親から金を借りることに……。

 夕方、名古屋に出る。エスカ(地下街)で格安チケットを買い、すがきやのラーメンを食って東京に帰る。

 三泊四日で八万歩くらい歩いた。
 これから仕事をせねばならぬのだが眠い。

2010/02/11

エレクトロニック・ジャーナリズム

 すこし前に、アマゾンの倉庫で働く人の映像を見た。巨大な倉庫の中をどこに何があるのかを表示する機械(コンビニやスーパーのバーコード読み取り機みたいな形をしている)を手に持ち、その番号にしたがって商品を探す。
 棚には本だけでなく、アマゾンで販売されている電化製品から雑貨まで無秩序に並んでいる。
 著者別や出版社別に並べてあるよりも、どんどん棚のあいているところにモノをいれ、機械の指示で探すほうが効率がいいのだそうだ。

 人間は機械が示す数字にしたがって動く。本も鼻毛切りカッターもぬいぐるみも同じ扱いである。いかに素早く数字の示す場所にたどりつけるか。仕事で問われる能力はそれだけである。
 そのうち商品探索運搬用のロボットが開発されるかもしれない。もしくは倉庫自体が巨大な自動販売機のようになるかもしれない。

 二十年くらい前、かけだしのフリーライターのころ、手書の原稿をワープロで打ち直すアルバイトがあった。たしか一文字五十銭という相場だった。しばらくすると、その仕事は手書の原稿をスキャナーで読み込んで、誤変換したものを直すようになった。
 その後、電子メールで原稿がやりとりされる機会が増えた。

 テープおこしの仕事もずいぶんやった。
 海老沢泰久さんの取材のテープをおこすアルバイトもしたことがある。その報酬でアップル社のノートパソコンとプリンターを買うことができた。

 仕事先ではじめて紀伊国屋書店のホームページを見たとき、あまりの便利さにおどろいた。
 これまである著者の本が何年何月にどの出版社から出ていたかということを調べるのは、かなり面倒な作業だった。著作リストを作るために何日も図書館に通った。それでもわからないことが多かった。
 インターネットですべて調べられるわけではない。でも検索ボタンひとつで大半のことがわかる。この大半のことがわかるのに、かつてはものすごく時間がかかったのである。

 アンディ・ルーニーの〔男の枕草子〕シリーズの『下着は嘘をつかない』(北澤和彦訳、晶文社、一九九〇年刊)に「エレクトロニック・ジャーナリズム」というコラムがある。

《ほとんどの新聞記者はいま、さまざまな形でビジネスに入りこんでくるテクノロジーのことを心配している。オフィスがコピー機器を導入しはじめたときに、カーボン紙の製造業者が感じたにちがいない危機感である》

 新聞はテレビ・ニュースが普及しても生き残った。
 しかし、ルーニーは「もし新聞自体が紙でなくなり、個人の家庭にあるコンピュータのスクリーンに呼び出す画像となる日が来たら、記者たちがこのビジネスなればこそ愛していたものの多くは消えてしまうだろう」という。

 二十年前のルーニーの懸念は、かなり現実化している。

(……続く)

2010/02/10

電子と古本

 あと数年もすれば、電子書籍はかなり身近なものになるだろう。わたしも巻数の多い漫画(さいとう・たかを『ゴルゴ13』や横山光輝『三国志』など)が電子書籍端末で読めるようになったら、すぐにでも導入したい。おそらくわたしは携帯電話(いまだにもっていない)よりも先にアマゾンのキンドルかアップルのiPadを買うような気がする。

 とはいえ、書籍の大半がオンラインで販売されるようになったら新刊書店はどうなるのか。

 ひとつ考えられるのは、幻想文学フェアとか旅行本フェアとか料理本フェアとか、雑誌の特集をつくる感覚で本を売ることのできる書店、書店員は今以上に重宝されるとおもう。

 また電子書籍端末が普及すれば、著者は出版社を通さなくても、著作を流通させることはそれほどむずかしくなくなる。すでにそのためのソフトも開発されたか、開発中だという話もある。

 そうなると出版社が著者に原稿料や印税を払うのではなく、著者が編集者にプロデュース料のような形で報酬をはらうようになるかもしれない。
 もちろん出版社の力やプロデューサーの才能で「売れる本」を世に出すということもあるだろう。

 わたしはインターネット配信で音楽を購入したことがない。レコードもしくはCDのようなモノの形をしていないといやなのである。本もそうである。本やレコードは、買うだけでなく、売る楽しみもある。
 しかしそういう楽しみ方をしているのは、ごく少数のマニアだという自覚もある。
 そもそもマニアは、たくさん売れるものより、絶版本や限定盤のような稀少価値のあるものを好む。
 電子出版が盛んになれば、紙の本はマニア向け商品として流通するかもしれない。ディスプレイで活字を読むことに抵抗感がある人は、少々割高でも紙の本を買うだろう。

 古本屋はどうなるのか。
 客の立場からすれば、この先も古本屋をまわって店の棚から本を探して買いたいとおもっている。しかし古書価が一万円の本が、電子書籍で千円で買えるとすれば……。
 
 漠然とおもっていることをいえば、行きつけの飲み屋で酒を飲むように、行きつけの書店や古本屋で本を買うようになればいいなとおもう。たとえば、店主や店員の人柄がよくて、常連客の憩いの場になるような店作りをする。もしくはガンコ職人の寿司屋のようにひたすら良質なネタ(本)で勝負する。安さあるいは蔵書量で圧倒する。いろいろなイベントをする。

 いずれにせよ、何らかの方向性を打ちだせないとかなり厳しくなるとおもう。それは電子出版以前の問題でもあるし、フリーライターにもいえることである。

(……思索中)

2010/02/07

SUMUS 晶文社特集

『sumus13 まるごと一冊 晶文社特集 付録・晶文社図書目録1973.5』(発売元・みずのわ出版)ができました。

 わたしも原稿を書いたが、今回の号はどんな内容になるのか予想できなかった。宅配便の箱を開け、袋をバリバリ破り、一冊取りだす。これはいいですよ。同時にこれはいかんともおもった。まだ未入手の晶文社の本がたくさんある。「あなたの好きな、思い出に残る晶文社の本を教えてください」というアンケートを読み、ほしい本が増えた。しかも入手の難しそうな本ばかりだ。

 晶文社は、エッセイ、コラム、インタビュー、対談など雑多な文章を寄せ集めた本、大きい本、小さい本、横長の本、遊び心のある本をたくさん作った。わたしが最初に読んだ晶文社の本は、山本善行さんも紹介していた『鮎川信夫詩人論集』だった。

《そのときには、さしたる考えもなく、いわばちょっとした気まぐれで選択したにすぎないと思われることでも、あとから振返ってみて、それが一生の大事に当たっていた、というようなことはままある》(「中桐雅夫」/『鮎川信夫詩人論集』)

 東京にいた鮎川信夫が、神戸にいた中桐雅夫が発行していた詩誌『LUNA』に参加することになったときのいきさつを回想した文章である。LUNAクラブは、若い投稿家の集まりで、戦後の『荒地』の母胎になった。どうなるかわからない偶然のなりゆきに身をゆだねる。わたしの場合、『sumus』に参加することでその面白さを味わった。

 というわけで。本日、早稲田の古書現世と池袋の古書往来座で『sumus13』を配本。

 古書現世から歩いて、途中、雑司ケ谷のキアズマ珈琲で休憩し、古書往来座に行く。古書現世で『思潮社35周年記念』の冊子を買う。はじめて見た。古書往来座では伊馬春部著『土手の見物人』(毎日新聞社)などを買う。

 数日前にちょうど古山高麗雄著『八面のサイコロ』(北洋社)の森敦との往復書簡形式の連載分を読み返し、伊馬春部の名前を見たところだった。『土手の見物人』の中には「“ぴのちお”回想」という阿佐ケ谷の話も収録されている。

2010/02/02

大村君のこと

 尾崎一雄の短篇に「大村君のこと」という作品がある。
 大村君は二十五、六歳の青年。会うなり、N・S先生を紹介してほしいと頼まれる。N・S先生は志賀直哉のことだろう。

「初対面で人柄も何も一切判らぬ人を、ある人へ紹介するといふのは、無理なことではないでせうか」とやんわり断ったものの、大村君は納得のいかない様子だった。

 しばらく大村君は「私」のところに出入りする。大村君は文学や美術について熱く語るが、薄っぺらな意見しかいわない。「私」が体調を崩して、布団で寝たままになっていても、お構いなしに幼稚な質問をくりかえす。
 そのうちN・S先生の家に勝手に伺い、しばらくして「来ても無駄だから」といわれる。N・S先生以外にも、あちこちで出入り禁止になっている。

 大村君は一流好みで自分に芸術の才能があると勘違いしている。芸術家は多かれ少なかれ、そういった気質がある。
 戦後、大村君は郷里に帰り、父や兄が経営している木綿織物の仕事を手伝うようになる。商売は好調で、書画を買い漁り、同人誌のパトロンのようなことをしている。「私」は大村君が地に足のついた生活人になってくれることを望んでいる。

 ひさしぶりに会うと、あいかわらず、大村君は、諏訪根自子のところでヴァイオリンを習いたいなどといいだす。
 当然、「そりや無理だよ」と諌められる。

 やがて商売が不調になり、相手にしてくれる友人知人はほとんどいなくなった。これまで集めた書画を売り払い、食いつないでいる。

《野心と功名心に鼻づらを引廻され、自分では何のことか判らず、がむしやらに右往左往してゐる大村君の様子は、動物や昆虫が、その本能に操られて一途になつてゐる様とひどく似てゐると思はれてならなかった》

 この作品を読んで、大村君には何が足りなかったのかと考える。


(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)