2009/10/07

叩き台

 台所、壁紙張り替えのための大掃除。先日、u-sen君に本を運んでもらったのは大正解だった。どうにか寝る場所と原稿を書くスペースを確保することができたおかげで、生活に支障をきたさずにすんだ。

 何年ぶりかに冷蔵庫の裏を見て、その汚れっぷりにおどろく。
 業者の人が来る直前になって、玄関に大判の本を積んでいたことをおもいだし、あわてて片づける。

 工事は朝九時から夕方五時半までかかった。
 業者の人に「古本屋ですか」「ちゃんと本棚、固定しないと危ないよ」といわれる。夜、本棚と本棚をL字型金具でつなぐ。
 仕事部屋の半分をふさいでいる本をまた本棚に戻さなくてはならない。
 売ってもいいかな、もう読み返さないかな、とおもう本がいくつか出てくる。
 そのほとんどは所有することで充足した本だ。でもそういった本が不必要かといえば、そうともいえない。いつか役に立つとおもって買う。そのいつがいつなのかはわからない。わからないけど、その本の背表紙を見るたびに、そのいつかのことを考える。

 若い人と話をしていると、ほんとうにいろいろなことに詳しくて感心するのだけど、インプットの方法ばかり習熟していて、アウトプットの仕方を知らないとおもうことがよくある。
 わたしもそうだった。
 いきなり誰からも非難されない、有無をいわさないような完成品を作りたい。そんなふうにかんかんがえると、何もできなくなる。
 とりあえず、叩き台になるものを作ってみる。そのくらいの気持でいるほうがいいのではないか。

 成功から得た自信と失敗から得た自信、どちらも大切だ。成功して自信をもつにこしたことはないが、失敗してもどうってことないとおもえるようになることも、長い目で見ると必要なことだ。まあ、あんまりそうおもいすぎると、これまた問題があるのだが。

 ひとりの作家の作品を生涯通して読むと、やっぱり波とか浮き沈みがあって、すべてが成功しているわけではないことを知る。ちょっと安心する。

 作風や趣向を変えようとしてうまくいかず、元に戻したり、ひらきなおったり、いろいろ試行錯誤している。
 うまくいかなくても改善点が見つかったからよしとするという考え方もある。

 自分だけの成功と失敗の評価軸を作ることも大事なことなのだが、それができるまでには時間がかかる。