2009/09/03

権限と責任

 怠ける、やりすごす……という話を書いたが、ちょっと消化不良のところがあったので、書き足すことにする。

 誰もが「自分には何の権限がない」とおもい、無責任にふるまったとすれば、めちゃくちゃな状況に陥る。みんなが無責任なのではなく、誰に権限があるのかわからなくなっているから混乱してしまう。「責任の所在をはっきりしろ」といっても、それがはっきりしない組織はたくさんある。結果、弱いところにしわよせがいく。

 売り上げの落ちている雑誌があって、何かいいアイデアを出してくれといわれる。今の状況を改善しようとおもったら、数頁の新企画ではなく、雑誌のあり方、出版社のあり方を変えなければどうにもならない。

 担当者にはそんな権限はない。編集長にもない。現状を維持する権限はあっても、一か八かの変革を実行する権限は誰にもない。そうやって手をこまねいているうちにじり貧になる。組織の大小に関わらず、そういうことはよくある。

 自民党崩壊の構図も似たようなものかもしれない。様々なしがらみがあって誰も権限を行使できない。権限の行使の仕方がわからず、「責任力」というキャッチコピーだけがむなしく響きわたる。

 今、選挙をすれば負けそうだからと解散をずるずる引き延ばしているうちに、立て直すのが困難なくらいの大敗をまねく。傷が浅いうちにうまく負けるという知恵がないと大けがをする。

 売り上げ不振の雑誌の話に戻すと、かつてはある一定の読者がいることを前提に、競合雑誌よりも面白いもの、もしくは競合相手がいないようなものを作れば売り上げを伸ばすことができた。しかし競合相手がライバル誌ではなく、インターネットや携帯電話だとしたら? さらに少子高齢化社会という人口分布の変化が売り上げに影響しているとすれば? 二十代、三十代くらいの編集者は、そういう危機感をもっている。まわりの同世代の友人の多くは本も読まないし、雑誌も新聞も買わない。活字にお金をつかわない。

 そんな小手先の改良ではどうにもならない現実に直面しながら仕事をしている。それでこれまでの読者を満足させる企画ではなく、新しい読者をつくる企画を考える。その企画をすすめると、これまでの読者は離れていくかもしれないし、新しい読者がつくかどうかもわからない。

 この問題に解決策はあるのか。

(……続く)