2009/02/15

酔っぱらいのことば

 仕事せんとなあとおもいながら、部屋の掃除、洗濯、アイロンかけで一日が終わる。
 何かをするときに、プラスになるか、マイナスになるか、そういうことを見極めないとなかなか動けない。で、その状態にある自分に苛立ったり、落ち込んだりする。
 京都にいって、まほろばで飲んでいたとき、オクノ修さんが隣にいた。酔っぱらっていたから、その真意が理解できたかどうかはわからないけど、歌をうたう、表現するというのは、仕事とかなんとか以前に、わけもわからず歌いたい気持のようなものがあって、それがあるかないかが大事なんだといっていた。
 東京に帰ってきてからも、しばらくその言葉が頭から離れなかった。

 土曜日、高円寺古書会館。『定本 菅原克己詩集』(永井出版企画)の署名本があった。署名がなくてもほしかった本。

 一九三六年、二十六歳のときの菅原克己の年譜——。

《この頃、長谷川七郎に連れられて、高円寺の「噺の家」という喫茶店で「詩行動」の秋山清、清水清といった詩人たちに初めて会う。「噺の家」は無政府共産党事件で留置された植村諦の夫人がやっていた店で、アナキスト詩人たちのたまり場でもあった》

 ここ数年、詩人の長谷川七郎、植村諦は気になっている。「強固な精神構造を持った先輩」の秋山清も再読したい。