2009/12/31

ドノゴトンカ 辻潤特集

 二十九日(火) わめぞ忘年会。アミ。その前に往来座で正宗白鳥の本をu-sen君のところから買う。いいちこのボトル飲み。なぜか、どんどん濃くなる。来年、おもしろくなりそうだなとおもう。おもしろくなるとおもう。
 地下鉄で帰ろうとしたら、終電が行ってしまった。結局、日高屋に流れる。
 タクシー、ネギィとバタやん(東川端三丁目)と同乗。深夜二時半帰宅。鍵を忘れた妻、玄関の前で寝ている。

 三十日(水) コクテイル。前野健太ライブに行くと、すでに五十人くらい客が来ていて、入れず。午後十一時半、また行く。アスペクトの前田君と話す。三年前の十二月に大阪から上京した。忘れていたのだが、わたしが「とりあえず、東京に来い」といったらしい。
「ライブテープ」の松江監督も来ていた。閉店前にマエケン、「熱海」を熱唱。

『ドノゴトンカ』(0・5号/創刊前夜号)の「特集 辻潤 遺墨」が届く。まちがいなく、永久保存版。

・編集 扉野良人
・校正 郡淳一郎 木村カナ
・辻潤作品撮影 藤井豊
・表紙テキスト翻訳 細馬宏通 野中モモ
・書容設計 羽良多平吉 米倉みく@EDiX
・発行人 井上迅

・辻潤 遺墨
・反重力の書法 山本精一×細馬宏通
・辻潤の遺墨書画について 久保田一
・辻潤と吉行淳之介 荻原魚雷
・×と○ 細馬宏通
・辻潤と稲垣足穂と附・正岡蓉「新花鳥文人往来」 高橋信行
・「ゼロ」への憧れ 『大菩薩峠』を読む辻潤 野口良平
・居候論 辻まことからみた父親辻潤 大月健
・辻潤年譜 作成 高木護 菅野青顔 再編 扉野良人

・歩兵の物語 季村敏夫『山上の蜘蛛 神戸モダニズムと海港都市ノート』書評 内堀弘
・樹木の墓標 内堀弘『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』書評 季村敏夫

 発行所 りいぶる・とふん 定価1000円(税込)

2009/12/25

ロクデナシの唄

 京都、恵文社一乗寺店の「冬の大古本市」が開催中です(二〇〇九年十二月二十二日〜二〇一〇年一月六日、一月一日は休み)。
 わたしも「文壇高円寺古書部」として出品しました。

 今月、恵文社からは『みんなの古本500冊 もっと』も刊行。売り切れ必至です。

 一年早いなあ、とおもうが、十年は長い。
 三十歳のときに四十歳の自分は想像できなかった。

 先週、高円寺のショーボートで開催された年末恒例のギンガ・ギンガ(しゅう&トレモロウズ、オグラ、ペリカンオーバードライブ)を見てきた。素晴らしいライブだった。
 人生の先輩たちと朝の五時くらいまで飲んで、翌日、酒くさくすごした。「こういう日が、年に一日でもあったら、それでいいや」とおもうくらい楽しかった。

 ペリカンオーバードライブの「ロクデナシの唄」がユーチューブにアップされています。
http://www.youtube.com/watch?v=Vfndi8J0oaU

 ほんとうにいいバンドだとおもうのだけどなあ。やる気さえあれば。

 夜、コクテイルで飲む。移転先(高円寺)も決まって一安心。カウンターに朝日新聞の夕刊(二十五日)があり、見ると松江哲明監督の「ライブテープ」の記事が出ていた。今年の元旦、武蔵野八幡宮から吉祥寺の井の頭公園まで、前野健太さんが町の中で歌い歩き、最後にステージでバンドと合流して演奏するまでを一カットで撮った映画で、東京音楽映画祭の「日本映画・ある視点」部門作品賞受賞作。

 明日二十六日(土)から吉祥寺バウスシアターなどでレイトショー。
 見に行かねば。

2009/12/16

雑記

 年末進行中ではあるが、一日十時間ちかく寝ている。長年の経験で、睡眠時間を削っても仕事がはかどるわけではないことをいやというほど学んだ。

 中野ブロードウェイの四階の記憶に行く。深沢七郎著『人間滅亡の唄』(徳間書店)を買う。新潮文庫版はもっているのだが、単行本もほしくなってしまったのである。
 同じ階のまんだらけのマニア館にも寄る。
 赤塚不二夫の『ギャクほどステキな商売はない』(廣済堂出版)を買う。
 廣済堂の「コミックパック」シリーズは、名作揃いだ。いつかコンプリートしたい。しかし高いものだと五千円以上(まんだらけ相場)する。

 はなまるうどんで昼メシ。薬局で胃腸薬とばんそうこうを購入して、家に帰る。

 カラスヤサトシ『キャラ道』(竹書房)を読む。
 帯に「自分漫画ブームは多分そろそろ終わるよ!」(東村アキコ)とある。
 頁をめくると、「またご自身が登場するマンガですか」「ずっと身の切り売りだけしていくおつもりですか?」「マンガはキャラです! 想像力です!!」という担当編集者のセリフが出てくる。

 カラスヤサトシは「キャラ」が描けないことをそのまま「自分漫画」にしている。
 捨て身の姿に心を打たれた。

 とはいえ、今、漫画を読んでいる場合ではない。

 一段落ついたら仕事のやり方を考えなおしたい。

2009/12/10

のだめ最終巻(?)

 この冬はじめて「温楽」を貼る。
 体調をちょっと崩してしまい、黒豆と豆腐の雑炊を作る。
 一日中寝たきりですごす。

 二ノ宮知子の『のだめカンタービレ』(講談社)の二十三巻を読む。とうとう最終回をむかえた。ほんとうに終わったのか。予想していた結末とはちがった。
 最後は千秋とのだめが日本に帰ってきて、RS(ライジングスター)オーケストラで共演……というカタルシスたっぷりのお約束の大団円を期待していた。
 一巻から読み返すことにした。

 完璧主義の天才千秋真一と野生味あふれる天才野田恵(のだめ)だけでなく、ヴァイオリンの腕はそれほどでもないが、「やる気120%」の峰龍太郎も重要な存在だったことにあらためて気づく。

 音楽の才能とは別に、「場」を作る才能がある。
 RSオーケストラは、飛行機(船も)恐怖症で海外に行けず、くすぶっていた千秋、就職難その他で活躍の場のない若い音楽家たちにとって、大切な「場」だった。「場」を作り、持続させていくためには、おそらく峰のような、おもいこみの激しい「バカ」が必要なのである。

 パリに行った千秋はプロになっていて、日本にいたころの欠点はほぼ克服されている。
 あるていど成長してしまった主人公が、もっと上のレベルを目指すという展開は、どうしても行きづまりやすい(※水島新司の『ドカベン』のプロ野球編など)。

 作者はそのことをわかった上で、そのむずかしさを描こうとした。偉業といってもいい。雑誌の屋台骨を支えていた連載だっただけに続けざるをえなかったのかもしれないが。印象に残るシーンやセリフは巻数の少ない国内編のほうが多い。海外編は、調べて描かないといけないことが増えすぎて、遊び(デタラメ)の要素が減ってしまったからだとおもう。

 もし千秋とのだめがパリに行ったあとの峰を中心としたRSオーケストラの日々を描いた「番外編」(※出るという噂がある)が出たら読んでみたい。

2009/12/02

ここ数日のこと

 日曜日、高円寺南口のハチマクラでオグラさんのライブを見る。楽器はインチキ手回しオルガンではなく、ウクレレ(第一部)。
 座れないくらい満員。ちゃんと予約(したつもりだったが、電話での口約束)せずに行ってしまい、申し訳なかった。
 青ジャージのころの曲がよかった。
 途中、休憩時間で抜け、コクテイルでやっているアホアホ本の中嶋大介くんのスライドショーに行く。変な本をとぼけた口調でよどみなく紹介する。そこがまたおかしい。
 本職はデザイナーでインターネットの古本屋もやっていて、文章も書いているのだけど、テレビやラジオの仕事も行けそうなかんじがする。

 その後、雑司ケ谷でポエトリーカフェ(尾形亀之助と草野心平)をやっていたPippoさんが合流する。

 月曜、火曜がまたたく間にすぎる。
 たぶん年末進行に突入。部屋の掃除ができず、床に資料と本が散乱。

 疲れをためないようにする。きっちり睡眠をとる。寝すぎて頭がまわらなくなる。

 仕事のあいまに、茅原健著『新宿・大久保文士村界隈』(日本古書通信社)と目白学園女子短期大学国語国文科研究室『落合文士村』(双文社出版)を再読する。

 大久保、東中野はおもしろい。尾形亀之助もこの界隈でよく飲んでいた。

2009/11/23

休日

 月半ばの仕事が一段落、月末の追い込みまですこし時間ができたので、心おきなく、漫画を読む。

 入江亜希『乱と灰色の世界』(エンターブレイン)は、魔法使いが出てくる庶民派ファンタジー。こういう才能、どこから出てくるのだろう、不思議だ。
 勢いあまって入江亜希の『群青学舎』と『コダマの谷』(いずれもエンターブレイン)も再読する。新刊が出るたびに、毎回、同じことをやっている気がする。

 日曜日、朝になっても眠くならないので、そのまま起き続けて、西部古書会館(二日目)。
 うすだ王子、西部古書会館にふつうになじんできている。
 手にとって中をぱらぱら見ていたら読んでみたくなった益田喜頓作曲『下町交狂曲』(毎日新聞社)、和田洋一、松田道雄、天野忠著『洛々春秋』(三一書房)が格安で売っていた。松山猛著『楽園紀行』(青英舎)は買ったあと、署名本だったことに気づく。

 背表紙が汚れていたり、鉛筆の書き込みがあったりしたから安かったのかもしれない。カバーを化学スポンジできれいにして、書き込みをケシゴムで消して、パラフィン紙をかける。こうした作業がむしょうに好きなことを再認識にする。
(あと封筒にラベルを貼ったり、ハンコ押したりする作業なども好きだ)

 このあいだ台所の壁紙の張り替えのときにリフォーム業者の手際のいい作業を見ていて、手伝いたくてうずうずした。はがしたい、壁。はりたい、壁紙。この欲望はなんなのか。
 時間に比例して確実にはかどる作業(しかもその成果が目に見えてわかる)というのは、精神衛生によいのではないかという結論に達した。

 家に帰ると、テレビで高円寺の雑居ビル火災のニュース。
 何度も行ったことのある居酒屋(※1)が映る。

 昼すぎに寝て夜八時ごろ起きる。
 そのまま起き続けて、鬼子母神のみちくさ市を目指すつもり(客として)。

(※1)はじめ午前七時までと書いたが、午前十時まで営業していた。とにかく朝まで飲める店。

2009/11/20

sumusの近況

 今週末、京都から扉野良人さん、広島から堀治喜さんが高円寺に来て、飲む。
 日曜日は、平出隆さんと扉野さんの師弟対談を見に行く。

 大学時代、先生といわれる人とはまったく付きあいがなかったので、いいなあとおもいながら、話を聞いていた。平出さんは、扉野さんの先生というより、年齢不詳の年上の友人みたいな雰囲気だった。
 旅をしているときのさまよい方というような話を交互に沈黙しながら、語りあっている姿が印象に残った。それにしても、卒業旅行で川崎長太郎の郷里(小田原)をたずねる企画をかんがえるとは……。

 昨晩は高円寺の古本酒場コクテイルで岡崎武志さんと林哲夫さんのトークショー。
 別の飲み会に参加していて、午後十一時すぎに。

 南陀楼綾繁著『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)を読んで、この何年間の古本界隈の変遷、古本イベントなどで各地で知り合った人のことを次々とおもいだす。

 一箱古本市がはじまり、全国で古本イベントがあっという間にひろまった。玄人素人関係なく、本を売る。本を通して、人と知り合う。本をとりまく環境が大きく様変わりしている。まちがいなく、一箱古本市はその震源地のひとつだ。
 激変の渦中にいながら、記録を残し続け、全国各地を飛び回り、地道に継続させていくために動き回り……。
 そんな南陀楼さんの活動の余波を受けた人はどのくらいいるのだろう。

『sumus』の同人になって十年予想外のことの連続だった。そのときどきは「こんなことやっていて何になるんだ」とおもうのだが、見切り発車ではじめてしまったことでも、三年後五年後十年後何かにつながっている……ということは時間が経ってみないとわからない。

 予想外といえば、山本善行さんが古本屋をはじめたことか。
 今となっては当然のなりゆきだったような気もするのだが、最初に話を聞いたときはほんとうにおどろいた。

2009/11/14

自販機的言論(三)

『時代を読む』(文藝春秋、一九八五年刊)のあとがきに「規律は何程か自己改造の役に立つ」という一文がある。
 鮎川信夫は、毎週一本、嘆息をはき、脂汗をにじませながら短いコラムを書くことが、生活のリズムを作っていたと回想する。
 また『時代を読む』の「読書週間を終えて」には、現代は、情報過多の時代だが、そのわりに人間が賢くなったようには見えないとも記されている。

《情報、情報、情報の連続で、考える力を奪われてしまっているのである。いや、「考え」さえも情報で、他人まかせになっている》

 マスメディアが提供する「情報」や「考え」は、「インスタントなもの」と化しているから、それにふりまわされると、ますます考える力が失われてしまう、とも。
 このコラムの初出は一九八二年十一月。今から二十七年前の話である。
 今、情報は、さらに、よりインスタントで、よりコンパクトであることが求められるようになっている。そうした変化についていかないとまずいかなあ、とおもうこともあるのだが、「一得一失」という言葉が頭に浮び、なかなか実行できずにいる。

「自動販売機的な言論」の縮緬工場の女工のナレーションの話は、ちょっと考えればわかることを考えない人々にたいする批判である。
「考える力」がないのか。「考える時間」がないのか。それともその両方か。

 時間をかけて、できるだけ正しい判断をする。しかし、時間をかけすぎれば、時機を逸し、判断自体が無効になってしまうこともある。

《規律は何程か自己改造の役に立つ》

 鮎川信夫は、どんな「自己改造」を目指していたのか。早さと正確さを備えた思考を身につけることではないか。

(……続く)

2009/11/13

自販機的言論(二)

 平林たい子、福田恆存、鮎川信夫は、どうして「縮緬を織る人は縮緬を着ることができません」という言葉に反応したのか。
 安易ではあるが、とるにたらないといえば、とるにたらない発言だ。

 鮎川信夫の『一人のオフィス』は、一九六六年に『週刊読売』で連載していた。
「自動販売機的な言論」には「言論の正しさ」という言葉が出てくるが、最終回の題は「『たしかな考え』とは何か ある知識人にみるゆるぎない知性」である。
 旬の話題をとりあげ、読者を楽しませたり、考えさせたりする時評というより、この連載では、鮎川信夫が自らの判断力、分析力を磨き、「たしかな考え」を身につけようとしていたのかもしれない。

《ペンを持てば書かんことを思い、なにがしの思いつきを気ぜわしく書きしるしていても、時に、すき間風のような虚無感におそわれることがある。内部がすっかり空洞化してしまっているのではないか、といった不安にさいなまれることがある》(「『たしかな考え』とは何か」)

 鮎川信夫は、四十年前に書かれた津田左右吉の「日信」を読む。

《当時と今日とでは、ずいぶん世の中の状況が変わったはずである。それなのに、この中で津田氏が取り上げている問題の一々が新しく、今日でも深く考えさせられるものを含んでいる》

 二〇〇九年現在からみれば、『一人のオフィス』も四十年以上前に書かれた本である。
 鮎川信夫は、一九二〇年生まれだから、わたしよりだいたい五十歳くらい齢上なのだが、気がつくと、鮎川信夫が『一人のオフィス』を書いていたころの年齢に自分が近づきつつある。

 前、読んだときよりも「内部がすっかり空洞化してしまっているのではないか」という一文に身をつまされた。

(……続く)

2009/11/12

自販機的言論(一)

 鮎川信夫著『一人のオフィス』(思潮社)の「自動販売機的な言論」というコラムを読み返した。
 あるテレビ番組で縮緬工場の女工の生活が紹介され、「縮緬を織る人は縮緬を着ることができません」というナレーションが流れた。

 縮緬工場で働く女工は夫(大工)と共働きで、夫婦の収入は八万円(※当時、銀行員の初任給が三万円くらい)だから、いくらなんでも縮緬を着ることができないはずがない、という。
 正確には、そのテレビを見た平林たい子が、ある雑誌の対談でそのことに言及し、それを読んだ福田恆存がある新聞でそのナレーションを「自動販売機的」と批判した。
 ナレーションの原稿を書いた人は、女工の生活は苦しいという通念にとらわれているから、こんなおかしなコメントが出たのではないか。そこには言論の自由はあっても、通念に便乗した言論ばかりで「思考の自由」がない。
「言論の正しさ」は、「人の心を支配している錯覚、偏見、自己欺瞞と、どこまでたたかえるか」にかかっていると鮎川信夫はいう。

 むずかしい問題だ。

 ナレーターは「縮緬を織る人は縮緬を着ることができません」といっているのだが、「買うことができません」とはいっていない。ひょっとしたら、収入の問題ではなく、仕事が忙しくて着るひまがないといった意味かもしれない。

 言葉の解釈なんてどうにでもなるなあ、というありきたりの感想をいって、お茶をにごしておく。

(……続く)

2009/11/11

外市後

 池袋「古書往来座 外市」終了。初日は仕事が終らず、顔を出せなかったのだが、大盛況だったと聞いて一安心。
 うすだ王子とu-sen君の「古本若男子」対決も白熱していた。
 このふたり、二年前のブックオカの一箱古本市ではお互いのことを知らずに古本を売っていたという縁もある。

 平野威馬雄、西江雅之著『貴人のティータイム』(リブロポート、一九八二年刊)が買えたのは、うれしかった。
 池袋往来座の店内で木山捷平著『斜里の白雪』(講談社、一九六八年刊)を買う。

 わたしもダンボール八箱中三箱ちょっと売れた。

 打ち上げを十時すぎにぬけて仕事する……つもりが、寝てしまい、朝五時に起きて、原稿を書く。

 昼、高円寺南口散歩。都丸書店、アニマル洋子、古着屋をまわる。
 そのあと中野のブロードウェイに漫画を売りに行ったら、某ジャンプ系の漫画(三十巻以上の揃い)の買い取りを断られ、泣く泣く持ち帰る。
 そのかわりといってはなんだが、さいとう・たかをの『日本沈没』が予想外の値段で売れた。

 四階の「記憶」の百円均一を見て、二階の古書うつつで、火野葦平著『河童七変化』(宝文館、一九五七年刊)を買う。
 阿佐ケ谷時代の話もあり、中央線文献の資料として購入した。

 火星の庭とコクテイルの補充本の値段付をする。肩がこる。風邪のひきはじめのちょっと手前くらいの感覚をおぼえたので葛根湯を飲んだ。

◆十一月十五日(日)は、西荻ブックマークで平出隆さんと扉野良人さんの師弟対談。すでに満員御礼のようです。

◆十一月十九日(木)は、コクテイルで岡崎武志さんと林哲夫さんのトークショー。岡崎さんと林さんがふたりで話をするのは、めずらしいかも。

◆十一月二十三日(月・祝)は、第四回 鬼子母神通り みちくさ市。
 客として行きます。午前十時頃から午後四時。
http://kmstreet.exblog.jp/

◆十一月二十九日(日)は、高円寺のハチマクラでオグラさんとイトウサチさんのライブ、夜はコクテイルでアホアホ本の中嶋大介さんのスライドショーがあって、雑司ケ谷のキアズマ珈琲でPippoのポエトリーカフェ(今回のお題は尾形亀之助と草野心平)もある。

◇連載コラム「それはちがうとおもうんだけど……」(http://mixi.jp/view_community.pl?id=4626000)第二回を書きました。

2009/11/06

六平さんのイベント

 神保町の東京堂書店で中川六平さんのトークショーがあります。わたしも見に行く予定です。

◆中川六平氏トークショー『ほびっと 戦争をとめた喫茶店 ベ平連 1970-1975 in イワクニ』講談社

 出版記念講演会 中川六平(なかがわ・ろっぺい) 1950年新潟生まれ。同志社大学卒業。大学時代ベ平連活動に参加。在学中、哲学者・鶴見俊輔さんと出会う。75年、東京タイムズ入社。85年退社後、ライター、編集者となる。著書に『「歩く学問」の達人』(晶文社)、『天皇百話』(上・下巻、鶴見俊輔共著、ちくま文庫)がある。また、晶文社の編集者として『ストリート・ワイズ』(坪内祐三)、『月と菓子パン』(石田千)、『全面自供』(赤瀬川原平)、『小沢昭一随筆隋断選集』全6巻などを担当した。

 中川六平さんは京都の学生時代、ベ平連の活動として山口県岩国市で「ほびっと」という反戦喫茶店のマスターを二年間していました。『ほびっと 戦争をとめた喫茶店』(講談社)は、その活動に関わっていく1970年から、去っていくまでの日々を描いた作品です。 ひとりの青年が、それまで縁も所縁もない土地「基地のある場所」へやってきて、地元で生活しているひとたちの中で自分たちの思想を表現し行動する。それはどんなことか。 〈ベ平連〉とは、〈反戦〉とは、70年代とは——。 飾らずに描かれた日常は真正面から気持ちに飛び込んできます。 当時の話から現在まで、中川六平さんのお話をぜひお楽しみください。 

★11月7日(土) 15:00〜17:00(開場14:45)◇場所:東京堂書店本店6階(東京都千代田区神田神保町1-17)

☆参加費:500円 ご予約、お問い合わせは東京堂書店1階カウンターにて

2009/11/04

それはちがうと……

 ミクシイで「それはちがうとおもうんだけど……」という週一のコラム連載をはじめました。

 わたしがメールで担当のT氏に原稿を送り、アップしてもらうという方式をとっています。
 タイトルもT氏との酒の席でなんとなく決めました。
 第一回は身辺雑記風ですが、徐々に話題をひろげていきたいとおもっています。

 夜、外市の集荷。昨日一日ひたすら本の値付けとパラフィンがけ。二百五十冊以上出品しています(五百円以下の本が全体の七割くらい)。

「外、行く?」
第17回 古書往来座「外市」
2009年11月7日(土)・8日(日)

7日(土)⇒11:00ごろ〜19:00(往来座店内も同様)
8日(日)⇒12:00〜18:00(往来座店内も同様) 雨天決行

今回のメインゲストは、BOOKONNと文壇高円寺(拡大版)です。

詳細は、わめぞblog(http://d.hatena.ne.jp/wamezo/)にて。

2009/11/03

京都

 木曜日、アルバイトを抜け出して神保町。神田古本まつりに行く。蔵書整理月間のため、さっと流す程度に見るつもりが、唯一持っていなかった十返肇の新書があった。それでスイッチが入り、棚ひとつひとつ立ち止まって見まくることに。

 今年は例年より安いかんじがした。三省堂古書館にも寄る。平日の午後四時くらいだったが、けっこうお客さんがいた。四階までのぼったからには手ぶらでは帰りたくない。初来店を記念して、二冊ほど買う。

 土曜日、小さな古本博覧会をのぞいてから、神保町へ。映画のエキストラ。岡崎武志さん、浅生ハルミンさん、宮里潤さんも出演。短いシーンなので、三十分くらいで終わるかとおもったら三時間以上かかった。

 翌日、京都。古書善行堂のオープンニングパーティー。岡崎武志さんによる看板制作、sumus同人(山本善行、岡崎武志、扉野良人、わたし)の座談会。古本の競りなどもやった。オークションには山川方夫著『その一日』(文藝春秋)の署名本(串田孫一宛)と天野忠著『その他大勢の通行人』(永井企画出版)を出品した。山本さんの店は「見たことないなあ」という本がいっぱいある。しかも安い。京都に行ったら、寄ってほしい。  出町柳から途中に古本屋もけっこうあるし、ガケ書房(古本コーナーも新刊書店とはおもえないくらい充実しています)もすぐ近く。

 途中、善行堂から歩いて十分くらいのところにあるカフェ・ド・ポッシュに行く。ちょうど「音楽と本と人」というイベントがあり、店内で古本市も開催していた。再び、善行堂に戻り、近くの飲み屋(?)で打ち上げ。そのあと扉野さんとまほろばへ。二十二周年記念のパーティーをやっていた。扉野家に宿泊。赤ちゃんがいた。不思議なかんじ。

 翌朝、またしても扉野家の猫を逃がしてしまう。鍵をかけないと戸を開けて出ていってしまうのだが、完全に忘れていた。申し訳ない。百万遍の古本まつりで、岡崎さんと会う。昼食後、思文閣の古本市をのぞいてから、六曜社に寄り、高島屋の地下で調味料(お酢、ごまだれ、ゆず七味など)を買って東京に帰る。

2009/10/29

自己基準

 睡眠時間がズレる日々が続く。かれこれ三十年くらい、そういうかんじの生活を送っているので慣れたといえば、慣れた。こうした生活習慣が今の仕事を決めるときの大きな職業選択の基準になったことはたしかだ。

 好きなときに寝て起きることが許される仕事なんてそうはない。不安定な生活と天秤にかけてもお釣りがくる。

 とはいえ、昨今の不景気を考えると、今、自分が学生だったら、就職する道を選んだかもしれない。食えるかどうか何の保証もない仕事を選べるかといえば、自信がない。

 わたしの学生時代はバブルの時代だったから、いざとなったらアルバイトをすれば、自分ひとり分くらいどうにかなると甘く考えていた。

 どんな仕事でもやってみないとわからないことだらけだ。フリーライターをやっているうちに、校正やらテープおこしやら資料調べやら原稿を書く以外にも細々とした収入を得られることを知った。堪え性がなかったら、いろいろな出版社を転々とした。どこにいっても、また一から下積みをしないと先に進めない。そのことも転々としているうちにわかった。もっと早く気づきたかったとおもうが、そういうことは経験してみないとわからない。でも転々とした経験も、自分の向き不向きを知る上では無意味ではなかった。

 何度か失業および無収入状態を経験した。何度も味わいたいものではないが、怖れていたほどのものではないというのが実感だ。

 仕事の合間、岡崎武志著『あなたよりも貧乏な人』(メディアファクトリー)を読んだ。

《貧乏に負けて、小さく縮こまっていく者もあれば、そこで鍛えられて、なにごとも「全然ヘッチャラ」と思える者もある。人間次第、ということだ》

 そのちがいはどこにあるのだろう。この本に登場する貧乏経験者は世間の基準ではなく、自分だけの基準を持っている。その基準は世間一般の基準からすれば、「ズレ」ている。しかし「ズレ」をなくすことが、かならずしもその人の幸せにつながるわけではない。一区切りついたら、このテーマについて、もうすこし考えてみたい。

2009/10/27

無題

 一昨日、なかなか眠れず、午前十時くらいになって、ようやく睡魔におそわれ、起きたら午後五時半。
 押入からコタツ布団と電気ストーブを出し、かわりに扇風機を片づける。
 頭が働かない時間は、外市に出品する本の値付をしたり、本にパラフィンをかけたりする。
 酒、飲まず、仕事。

 昨日も夕方起き。
 郵便局に行きたかったが、かなわず。
 外出はコンビニに資料のコピーをとりにいったくらい。近所のコンビニのコピー機は、ATMのすぐそばにあって、人が並んでいるときに使いにくい。
 コピー機能付のプリンターがほしいのだが、机まわりに置き場所がない。
 仕事がはかどらないのを環境のせいにする。

 午後六時くらいのニュースを見ていて、小学館の『小学五年生』と『小学六年生』が休刊になることを知る。

 少女コミック誌『Chuchu』、グラビア誌『sabra』も休刊するそうだ。

 もうすこし前途が明るくなるようなニュースはないものか。

 本日は夜八時に起床。
 三日で一日分くらいしか活動していない気がする。

2009/10/25

松丸本舗

 丸善丸の内店に雑誌を買いに行く。そのついでに四階の松丸本舗をのぞくと、松岡正剛本人がレジにいておどろく。
 有名人の本棚の再現など、かなりおもいきった本の並べ方をしている。
 ただ、自分の力でおもしろい本を探したい人からすれば、棚が厳選されすぎていて、窮屈におもうかもしれない。
 人の頭の中をのぞいているような妙な気分だった。

 もうすこしゆるさがほしい。小さな書店には置いてなくて、大型書店だとどこにあるのかわからないようないような雑本がまざっていたほうがいいかなとおもった。

 村上春樹の『1Q84』(新潮社)と小田嶋隆の『1984年のビーンボール』(駒草出版)が並んでいたのはちょっと笑った。

2009/10/24

コラムはじめます

 無理をせず、自分の身の丈に合った仕事をしていこう。
 三十代はずっとそう考えていたのだけど、迷いが出てきた。
 堅実なことばかりしていていいのか。もうすこし新しいことに挑戦したほうがいいのではないか。
 ほっておくと、すぐ守りに入ってしまう。古本ネタ以外のことを書くとき、いつも「身のほどを知れ」と自分でブレーキをかけてしまう。

 二十代のころみたいに、おもいこみやかんちがいで突っ走ったり、空回りする感覚を呼び覚ましたい。そういう原稿を書いてみたい。

 自分の考え方や感じ方が、どのくらい伝わるのか、もしくは伝わらないのか。

 とにかく、やってみないとわからないという結論が出た。

 それで十一月から某社の編集者とミクシィで週一連載の時事風俗何でもありコラムを書くことになった。毎回千六百字。

 打ち合わせ、ほんとうに楽しかった。
 二〇一〇年代は再びコラムの時代がくるとおもう。

 詳細が決まったら、また報告します。

2009/10/22

善行堂詣で

 遅ればせながら、『中央公論』十一月号の山本善行さんの「『古書善行堂』開業泣き笑い実録」を読んだ。

 大学卒業間際に「昼間、本を読んだり古本屋さんめぐりができる仕事ってなんだろう」と考えたという一文を読み、自分も同じようなことを考えていたことをおもいだした。

 安定した生活を送るよりも、のんびり本を読んでいたいという欲求のほうが強かった。
 平日、古本屋をまわりたい。週末、古書展に行きたい。
 就職したら、そういう生活はむずかしいだろうとおもった。

 自分の選択は、最善だったのか。
 ひとまず就職して、FAXや一眼レフのカメラ(当時、インタビューの仕事が多く、写真を撮ることが多かった)などの仕事道具を揃え、百万円くらい貯金してから、フリーになっていたら、ずいぶん楽だった気もする。

 そのころ、そんな発想はなかった。

 必要に応じて働き、疲れたら怠ける。そんなかんじでやってきた。
 将来どうするんだときかれても「そのときはそのとき」と答えていた。

 話がそれた。

 プレオープンだった古書善行堂が十一月に正式オープンする。
 百万遍の古本まつりも開催中である。

 京都、行こうかな。

2009/10/16

眠い日々

 あれもこれもといろいろやりたいことがあったのだが、何もせず、寝てばかりいたら、ちょっと生活が落ち着いた。
 なんでこんなに眠いのか。夏の疲れか、気温の変化か、そんなことを考えつつ、また寝る。
 マンション水漏れ事件以来、部屋が片づくまで、古本屋めぐりを自粛していたのだが、夜中、インターネットの古本屋であれこれ買ってしまう。

 三輪正道著『泰山木の花』(編集工房ノア、一九九六年刊)が届く。

《一日の仕事を終えて(という充実感はまったくなく、ただ徒労のような虚しさ)八時に帰宅。もうだめだという感じ》(もだもだ日乗)

『サンデー毎日』に吉田篤弘著『圏外へ』(小学館)の書評を書いた。字数の都合で紹介しなかったが、上林暁の本のことが出てくる。そのことを中心に論じれば、また別の書評になったかもしれない。読み方が問われる小説だなあというのが、率直な感想。

 本に埋もれて暮らしている「円田君」という登場人物が、四十歳の誕生日に「ここが折り返し点だと思いたいです。もうあと半分、こんな調子で生きてゆけたら」と語る。この台詞が、すごく印象に残った。

 あと半分か。こんな調子で生きてゆけるのか。

 二十代のころから、年上の知り合いに四十歳になったときのことをいろいろ聞いてきた。
 当時、どうすれば、そのくらい齢になるまで仕事を続けられるのか、よく考えていた気がする。このあいだも同世代の知人とそういう話になった。フリーライターの世界では、十年続けばなんとかなるといわれている。たぶん、根拠はない。根拠はないが、信じて続けているうちに、三十歳になった。
 三十歳のときになんとかなっていなかった。ただ、ほかの選択肢がなくなって、いけるところまでいくしかないと覚悟せざるをえなくなった。

 まもなく四十歳。
 今はあまり先のことを考えたくないという心境。

2009/10/12

雑感

 深酒後、三十時間くらいかかったが、ようやく体調が回復する。からだが軽い。いつもこんなかんじだったらいいのだが……。

 もうすこし規則正しい生活を送ったほうがいいのか。不摂生していないのに、体調がわるくなったとすれば、どうすればいいのかわからなくなる。あるていど改善の余地を残しておいたほうが安心できる。

 仕事部屋から本を運ぶ。台車一往復、あるいは自転車三往復でだいたい同じくらいの量の本が運べる。なんとなく、自転車三往復のほうが楽だとかんじるのは気のせいか。

 鮎川信夫、吉本隆明著『対談 文学の戦後』が講談社文芸文庫で復刊した。鮎川信夫の本は、ほとんど文庫化されていない。石川好との対談『アメリカとAMERICA』ちくま文庫くらいか。もちろん品切。

 ウィキペディアの鮎川信夫を見ると「鮎川信夫に影響を受けた著名人」という項目で、スガシカオ(シンガーソングライター)とあった。今週末、十月十七日は鮎川信夫の命日。生きていたら、今、八十九歳。二〇二〇年八月二十三日が生誕百年。そのころわたしは五十歳である。これからの十年、どうすればいいのかということをよく考える。

 どうしたって好不調の波は避けられないことは、三十代の十年間で学んだ。ゆっくり休養すれば、すこしずつまた持ち直す。焦らないようにする。

 話はかわるが、最近、テレビで「乱暴な編集」が流行している気がする。誰かが喋っている途中、VTRを無理矢理カットする。それを見たゲストが「うわー、失礼」といって笑う。よくある手法なのかもしれないが、だんだん猫も杓子もみたいになってきて、もはや冗談になっていない。テレビ界の権力を見せつけられているというか、タレントの迎合ぶりを見せつけられているというか、いずれにせよ、気分のいいものではない。

 時間がオーバーしたから、削る、まとめるのではなく、あらかじめカットすることを目的にして芸人に体を張った芸をやらせたり、喋らせたりするのはどうなのか。このあいだ、林家木久翁がそういう扱いを受けていた。何枚まで座布団を重ねて座わることができるかという実験で、何かいろいろ喋っているのだけど、ことごとく途中で話を切られるのである。ひどかった。

2009/10/11

祝杯

 東京ヤクルト・スワローズが初のクライマックスシリーズ進出を決めた。その前日、神宮球場の外野席で観戦する。
 勝率五割以下のチームがCSに出るのはどうかという意見がある。わたしもこのシステムが導入されたときには釈然としなかった。でもひいきのチームが出るとなると話は別だ。
 エースや四番を某球団に引き抜かれ続けているチームとしては大健闘ですよ。

 祝杯だとおもい、コクテイルに行くと、楽天ファンのA君も二位が決定したと喜んでいる。
「十月になっても野球の話ができるなんてウソみたいですよ」
「ほんとうにそうだねえ」

 水割三杯。帰って仕事。仕事部屋に運び出した本をかかえて、帰宅の途中、近所の焼鳥屋で見たことのある姿が……。
 古楽房のうすだ王子、M社Aさん、ムトーさん。
 部屋飲みにさそう。最初、終電の時間を気にしながら飲んでいたはずが、気がつけば、始発の時間になっていた。

 翌日、弱ったからだを回復されるため、ゆば雑炊を作る。
 次の「外市」の値付をする。年内に五百冊、本を減らしたい。

 二日酔いの頭で『パピーニ自叙伝』(新居格訳、アテネ書院、一九二四年刊)を読む。
 無類の本好きのイタリア人。低い中産階級の生まれで、パンのバターを倹約して本を買ったり、家族の金をくすねて本を買ったり、切手を売ったり買ったりして(ぜんぜん儲からなかったようだが)、書籍代を捻出していたという話が出てくる。
 
 連休明け、しめきり三本。まだ一行も書いていない。

2009/10/07

叩き台

 台所、壁紙張り替えのための大掃除。先日、u-sen君に本を運んでもらったのは大正解だった。どうにか寝る場所と原稿を書くスペースを確保することができたおかげで、生活に支障をきたさずにすんだ。

 何年ぶりかに冷蔵庫の裏を見て、その汚れっぷりにおどろく。
 業者の人が来る直前になって、玄関に大判の本を積んでいたことをおもいだし、あわてて片づける。

 工事は朝九時から夕方五時半までかかった。
 業者の人に「古本屋ですか」「ちゃんと本棚、固定しないと危ないよ」といわれる。夜、本棚と本棚をL字型金具でつなぐ。
 仕事部屋の半分をふさいでいる本をまた本棚に戻さなくてはならない。
 売ってもいいかな、もう読み返さないかな、とおもう本がいくつか出てくる。
 そのほとんどは所有することで充足した本だ。でもそういった本が不必要かといえば、そうともいえない。いつか役に立つとおもって買う。そのいつがいつなのかはわからない。わからないけど、その本の背表紙を見るたびに、そのいつかのことを考える。

 若い人と話をしていると、ほんとうにいろいろなことに詳しくて感心するのだけど、インプットの方法ばかり習熟していて、アウトプットの仕方を知らないとおもうことがよくある。
 わたしもそうだった。
 いきなり誰からも非難されない、有無をいわさないような完成品を作りたい。そんなふうにかんかんがえると、何もできなくなる。
 とりあえず、叩き台になるものを作ってみる。そのくらいの気持でいるほうがいいのではないか。

 成功から得た自信と失敗から得た自信、どちらも大切だ。成功して自信をもつにこしたことはないが、失敗してもどうってことないとおもえるようになることも、長い目で見ると必要なことだ。まあ、あんまりそうおもいすぎると、これまた問題があるのだが。

 ひとりの作家の作品を生涯通して読むと、やっぱり波とか浮き沈みがあって、すべてが成功しているわけではないことを知る。ちょっと安心する。

 作風や趣向を変えようとしてうまくいかず、元に戻したり、ひらきなおったり、いろいろ試行錯誤している。
 うまくいかなくても改善点が見つかったからよしとするという考え方もある。

 自分だけの成功と失敗の評価軸を作ることも大事なことなのだが、それができるまでには時間がかかる。

2009/10/06

仙台 夜の文学散歩

 土曜日、仕事のあと、仙台に行く。ようやく春夏秋冬の仙台を訪れたことになる。
 仙台の東西南北というのは、東京の町の作り、たとえば、新宿とは逆になっている。
 中央改札が西口側にあって、西に向かって町がひらけている。夕方、駅から繁華街に行くと、西日がまぶしくて前が見えない。仙台で月を見ると、一瞬、北の空にあるような気がする。
 よく道に迷う理由がわかってすっきりした。

 夜九時、火星の庭に着く。ワインを飲みながら「文壇高円寺古書部」の棚の入れ替え、在庫の整理をする。
 何にも考えずに一年以上、ほぼ毎月ダンボール一箱ずつ送っていたので、在庫の山を覚悟していたのだけど、七、八割ちかく売れていた。
 そのあと焼肉屋で飲む(ドリンク三杯付でひとり二千五百円。肉もうまい)。二時間制限だけど、三時間くらいいたかもしれない。

 この日、前野宅で十二時間以上睡眠。やっぱり、仙台の気候が自分に合っているのではないか。いつも熟睡できる。

 仙台通い一年半、やっとぼうぶら屋古書店に入ることができた。感無量だ。
 駅前のセルフうどんで昼食をとり、萬葉堂チェーンの古本市をのぞいて、火星の庭に寄り、マゼランに行って、公園をぶらぶらして、佐伯一麦さんの「夜の文学散歩」に出席する。

 今回の仙台行きはこの読書会が目当て。

 課題図書は、イサク・ディーネセン著『バベットの晩餐会』(桝田啓介訳、ちくま文庫)である。ふだん読まない系統の小説なのだけど、おもしろく読めた。
 飲みながら、感想を話す。酔っぱらって、脱線する。そういうかんじも楽しかった。

 印象に残ったのは「文学は総合芸術である」という佐伯さんの言葉。『バベットの晩餐会』は、政治、歴史、地理、音楽、料理といった様々な要素をふくんだ小説である。短くてすらすら読めるけど、深く味わうには読み手の教養も問われる。
 また芸術の作り手、受け手のあり方もテーマになっている。

 今回の読書会でも、自分の読み方が狭いなあとおもった。そのズレ方を知ったことも大きな収穫だった。この小説でいえば、十九世紀のパリとノルウェーの小さな村との距離感がわかっているかどうかで、ずいぶんちがった印象になるというようなことを佐伯さんに教えられる。
 
 差し入れのウイスキーのボトルをほとんどひとりで空けてしまう。大いに反省。結局、明け方まで飲んだ。

2009/10/02

荷減らし

 台所の水漏れの件、保険の関係かなんかで壁紙を張り替えられるという話になり、「どうしますか?」と聞かれる。
 台所、玄関まわりだけで、たぶん千冊以上の本がある。その移動はたいへんだが、やってもらうことにする。
 本棚からすべての本を出すと、寝る場所すらなくなることが目に見えている。
 西部古書会館のちかくに借りている仕事部屋のほうに本を移すことに決めた。
 決断はしたが、まったくはかどらない。
 本にさわると読んでしまう。
 これはいかんと考えなおし、u-sen君に本をしばって台車で運ぶアルバイトをおねがいする。
 どんどんしばってどんどん運んでくれて、あっという間に片づいた。仕事が早い。

 ひとりでやっていたら五倍くらい時間がかかったかもしれない。

 翌日、筋肉痛になる。

 本を減らそうとおもう。
 経験上、一気に減らそうとするとその反動でたくさん本を買ってしまう。半年くらいかけてすこしずつ減らしたい。

 十月、メリーゴーランド京都店の小さな古本市(十日〜十二日)、十一月、池袋往来座の外市(七日〜八日)、年末、恵文社一乗寺店の古本市に参加する予定。

2009/09/30

地方都市

 静岡に行く。妻の母方の祖父のお通夜。月曜日に東京に帰ってきたら、わたしの母方の祖母が亡くなっていた。ふたりとも九十歳をこえていたし、最晩年のすこし前まで元気だったから、大往生だとおもう。

 疲れがたまっているので休む。テレビでオリンピックの候補地争いの話をやっていた。リオデジャネイロでいいとおもう。今後はやったことのない地域優先ってことにすりゃいいのに。

 このあいだ帰省したとき、鈴鹿にいたブラジル人がほとんど国に帰ってしまったという話を聞いた。残業がなくなり、仕事が週三、四日なり、このままでは食っていけない、帰りの飛行機代も残らない——そういうところまで追い込まれ、彼らは日本を後にした。

  台湾に生まれ、鹿児島で育った父は、十八歳のとき、上京し、あちこち工場で転々と働きながら、三重県の鈴鹿に辿り着いた。鹿児島弁と標準語、関西弁は、かなりちがう。

 子どものころ、父の祖父や親戚の話す鹿児島弁がまったく理解できなかった。外国語のようだった。父にとって標準語や関西弁がそうだったのではないか。だから無口だったのではないか。それで父は本ばかり読んでいたのかもしれない。

 鈴鹿は出稼ぎ労働者の町だった。わたしが生まれ育った長屋の一角にはフィリピン人の家族も住んでいた。父のいた工場もフィリピン人がたくさん働いていた。わたしが田舎にいたころは、まだそんなにブラジルやアルゼンチンの人はいなかった。

 南米の労働者が増えたのは、この十年くらいか。町のあちこちに、ブラジルの国旗を飾った雑貨店やバーができた。

 都会と地方という話になると、都会は進んでいて、地方は遅れているとおもいがちだが、別の見方をすれば、高齢者や外国人の比率の多さも含めて、東京よりも地方都市のほうが未来にふみこんでいるようなところがある。

2009/09/25

酒びたり連休

 シルバーウィークは三重に帰省していた。前に鈴鹿に帰ったときも驚いたけど、三日市駅(近鉄の無人駅)付近のロードサイドが激変している。ロッテリア、王将、吉野屋、サイゼリア、あと回転寿司、焼肉屋……。チェーン店の見本市のようだ。

 今回の帰省では、生まれ育った町のちかくにできた「イオンモール鈴鹿ベルシティ店」(駐車場:四千七百台!)という巨大ショッピングモールにはじめて行った。駅から徒歩で。道、歩いている人、ほとんどいない。中にブックオフもあった。けっこうデカい。漫画だけではなく、ちゃんと単行本、文庫も充実していた。
 携帯電話を見ながら、セドリっぽいことをしている若者がいた。
 まさか生まれ故郷でそんな若者を見る日がくるとはおもいもしなかった。
 タワーレコードもあるし……。
 さらに「ベルシティ」のすぐそばに「ロックタウン鈴鹿」というショッピングモールもあり、「本の王国」という大きな書店(レンタルビデオ、コミック貸本もある)ができていた。

 家のまわりにマンションがずいぶん建っている。ただ、入居率は低くて、ガラガラのようだ。
 父の話によると、不況の影響で南米から出稼ぎにきていた人は、ほとんど帰ってしまったらしい。
 母は、祖母(九十二歳)の見舞いのため、浜島に行っていて留守だった。
 安心して芋焼酎を飲みまくる。家にあった漫画を読みまくる。

 帰省するたびに割引セールをやっている洋品店で靴下、下着類を買いこんで、近鉄電車で京都に。
 出町柳でレンタサイクルを借りて、コミックショック、古書善行堂、ガケ書房、恵文社一乗寺店をぐるっとまわる。
 善行堂で山本夏彦の『日常茶飯事』(工作社)があって、声が出そうになる。文庫化はされているのだけど、単行本は見たことがなかったのだ。二十代のころから探していた本だ。
 福田恆存が序文(推輓)を書いているという話は知っていたのだが、ほかに吉田洋一、飯沢匡も書いていた。
 もちろん、この序文は文庫に収録されていない。

 夜は拾得で東京ローカル・ホンクのライブ。そのあと扉野良人さんの家にみんなで泊る。
 朝五時くらいまで語りあかし、翌日、北大路の丸万書店に行く。近くで仕事をしてる扉野さんと待ち合わせ。
 丸万書店では、小穴隆一の随筆集『白いたんぽぽ』(日本出版協同)を買う。
 芥川龍之介と親交のあった洋画家で高円寺に住んでいたこともある。

 袈裟を着た扉野さんと今出川の町家古本はんのきに行く。

 新幹線(夏の下鴨のときに買ったチケット)で東京に帰る。

 旅行中、岡山からカメラマンの藤井豊君が上京するというので、仕事部屋の鍵を古本酒場コクテイルにあずけていた。
 藤井君と飲んで、深夜一時くらいに店を出たところ、ハチマクラのオグラさんとみどりさん、サリーと道でばったり出くわし、もう一軒。
 すでに体力の限界だったせいか、質の悪い酔い方をする。翌日、二日酔い。仕事に行く途中、前日の自分をおもいだして頭を抱え、道にうずくまる。
 夕方五時くらいまでからだが酒くさかった。

 この日の夜、ペリカンオーバードライブの増岡さん、原さんと飲むことに……。

「みんな、二日酔いみたいだけど、昨日何があったの?」 

2009/09/17

水漏れ

 カーテンを洗濯する。掃除が止まらなくなる。
 本のいれかえをして、台所まわりを磨いて、すっきりした。

 夜、換気扇から水の音が聞こえてくる。
 雨かなとおもって、外を見たけど、降っていない。
 音が大きくなる。
 しばらくすると、換気扇から水が漏れてきた。天井からも水漏れ。台所付近の本棚もびしょ濡れ……。

 上の階(大家さんが住んでいる)のトイレのタンクが壊れて、浸水したようだ。汚水ではなかったのが幸い。
 大家さん一家がくる。新聞紙をひいて、天井の水漏れをバスタオルで押さえる。

 ガスコンロのとりはずせる部分をすべて外し、風呂場で洗う。食器もすべて洗い直す。

 集合住宅に住んでいれば、そういうことはある。前に雨漏りは何度かあったが、これほど部屋が水浸しになったのは、はじめてかもしれない。

 たまたまその日は家にいてよかった。水漏れに気づいてすぐ本を動かすことができた。これも不幸中の幸い。
 それでも二十冊くらいはだめになった。家にいなかったら、被害は十倍くらいになっただろう。

 あきらめのつく本とつかない本が半々といったところ。

 これまでも何度か水漏れ被害の話を聞かされたことがあったが、こんなに大変だとはおもわなかった。

2009/09/15

フォーム

 また睡眠時間が毎日すこしずつズレる。肩こりがひどい。ちょうどひまな時期なのが救い。

 なぜか契約していないのに、NHKの衛星放送が映るようになったおかげで、ここ数日、深夜、早朝、メジャーリーグの試合を見てすごした。
 イチローの九年連続二百本安打を見たかったのだ。

《なにもかもうまくいくということはありえない——》

 色川武大著『うらおもて人生録』(新潮文庫)の言葉である。
 この本の「プロはフォームの世界——の章」を読んで考える。
 なにもかもうまくいくことがない以上、なにもかもうまくいかせようとするのは、まちがっている。
 こうした認識から、十五戦全勝ではなく、九勝六敗を狙えというセオリーが生まれた。

「プロはフォームの世界——の章」では、気力は大事だが、それが武器になるのは、トーナメントの予選クラスだという話も出てくる。上位のクラスにいけば、気力が欠落している人間なんていない。

《皆が持っている能力は、武器とはいえないね》

 では「武器」とは何か。

《プロという観点からすると、一生のうち二年や三年、強くて、ばくちでメシが食えたって、それはアルバイトみたいなものだ。ばくちのプロなら、ほぼ一生を通じて、ばくちでメシが食えなければね》

 プロとは持続である。
 色川武大は「どの道でもそうだけれども、プロはフォームが最重要なんだ」という。「フォーム」とは、これさえ守ればメシが食える「核」といった意味合いである。

 NHKのインタビューでイチローは「これさえやっておけば大丈夫というものはない」と語っていた。バッテングは常に変化する。つかんだとおもう瞬間はあるけど、それはあっという間に消えてしまう。答えはない。

 つまり「フォーム」が変化する。

 イチローは毎日カレーを食う。道具を大切にする。オリックス時代からずっと同じ形のバットを使っている。そういった決め事がたくさんある。
 でもそれは「フォーム」とはいわないだろう。

 イチローは「野球が好きであること」「常に最善の状態を保つこと」のふたつが自分を支えているという。
 平凡な言葉である。しかし平凡を極めることがどれくらいむずかしいことか。

 打率ではなく、安打数を重視する。
 打率は下がるけど、安打数は減らない。
 あまりにも有名なイチロー語録だけど、これも「認識の問題」といえるかもしれない。

 すくなくともイチローが登場するまで、ホームラン、打点、打率が、バッターの目標だった。ファンもそういう目で野球を見ていた。
 シーズンに何本ヒットを打ったかなんて気にしなかった。今も基本はそうだろう。チームにとっては、安打数より四球をふくんだ出塁率(あるいは長打率)のほうが重要ともいえる。

 ただ、打率を上げようとおもえば、ヒットを量産するだけでなく、自分の調子のわるいとき、絶好調のピッチャーが投げる試合を休むという方法もある。
 安打数を増そうとおもえば、一回でも多くの打席に立ちたくなる。
「認識」を変えると、心がまえも変わる。

 そんなことを仕事もせず、テレビの前でごろごろしながら考えていた。

(追記)
 その後、イチローは毎日カレーを食っているわけではないという話を聞いた。

2009/09/12

六巻

 そろそろかなとおもっていたら、秋の花粉症がはじまった。すこし発熱。例年、八月末くらいから兆候が出る。これから一ヶ月くらいは小青龍湯が手放せなくなる。

 近所の書店の開店時間に『ちはやふる』六巻を買いに行く。数日前に、ちまちましたことを書いてしまったが、おもしろいものはおもしろい。

「これだったら誰にも負けない」というものを持つ。そこに向かう情熱の持続が人を変える。先に進めば進むほど、まだ知らない新しい世界が見えてくる。

『ちはやふる』は久しぶりに無我夢中になる感覚を呼びさましてくれるような漫画だった。

 ちょっとしたきっかけで、自分の好きなものに目覚める。ふみこむか、ふみとどまるか。人生の分かれ道。
 ちょっとやそっとでは勝てそうにない相手と戦えば、いやでも自分の限界を知る。知った上で自分の限界をこえようとする。
 競技かるたの漫画なのだけど、勝負の普遍性が描かれている。

 新しく何かをはじめる。最初のうちにはやればやるほど上達する。初心者には伸びしろがたくさんある。そういう時期は何をやっていても楽しいのだが、上達するにしたがって、壁にぶつかる。どうやって自分の課題を見つけていくか。

「盗めるものがあるなら盗んでいく」

 このセリフを書くのはかなり勇気がいったとおもう。 

2009/09/09

ちはやふる

 昨日、河北新報夕刊のエッセイの最終回(九月十四日に掲載)を書いて送る。一山こえたという感慨にひたるため、一日中、怠ける。

 むしょうに漫画が読みたくなり、末次由紀『ちはやふる』(講談社、現在五巻まで)を一気に読む。
 巻が進むにつれて、作者がのってきているのがわかる。ストーリーにどんどん熱が帯びてくる。
 競技かるたは、頭脳戦(記憶力、かけひき)の要素にくわえ、集中力、反射神経、体力も問われる競技である。単なる勝ち負けだけでなく、登場人物(脇役もふくむ)の成長がちゃんと描かれている。それぞれの得手不得手への取り組みや練習のシーンが丁寧に描かれている分、ルールすら知らなかった競技かるたの世界に自然と感情移入できてしまう。

 ちょっと気になったのは、小学生時代に主人公の千早に競技かるたの魅力を教えた綿谷新と高校時代になって千早のライバルになるクイーン若宮詩暢の力の差である。
 新は千早が「かるたの神様」という将来の名人候補という設定(さらに祖父はかるたの伝説の名人)で、小学生のころ、学年別の大会でずっと日本一だった。詩暢は「小4でA級」になった史上最年少の「クイーン」(女性のかるた日本一)である。ふたりとも同学年だ。
 いっぽう新は中学時代、わけあってなかなか大会に参加できず、B級で足踏みしている。クイーンが小四でA級になっているにもかかわらず、なぜ「小1から小5まで学年別で毎年全国優勝」していた新はA級ではないのか。

 しかし新は「学年別で毎年全国優勝」していたとなると、詩暢は小学四年生のころに日本一になっていない。
 どうやって詩暢はA級なったのか。詩暢は小学生の大会には出場せず、そのころから大人の大会に参加していたのか。だとすれば、当時から詩暢は新よりもはるかに強いことになる。

『ちはやふる』の物語の流れを考えると、まず千早がクイーンの詩暢に追いつき、それから「かるたの神」である新を目指すことになると予想されるのだが、クイーンのほうが新よりもあきらかに強いとなると……。

 この謎というか矛盾は解決されるのか、解決されないのか。いずれにせよ、続きが気になる。

2009/09/06

読書は登山

 昔から生活費にあたる仕事は別にもちながら、文章を書いている人はたくさんいる。
 わたしの恩師のルポライターの玉川信明さんは、専門学校の講師をしたり、弁当屋の仕出しをしながら、本を書いていた。

 天野忠は大学の図書館で働いていた。
 十二年くらい断筆していた時期もある。

 中村光夫が戦前の文士は、みな借家に住んでその日暮らしで、金はなかったけど、「爽やかな貧乏」だったと回想している。

 出版不況とはいえ、今、刊行されている本や雑誌が半分くらいになっても、困るのはその世界で仕事をしている人間(わたしもふくまれる)だけで、印刷物は氾濫し、むしろ供給過剰といえる状態にある。

 最近、「わかりやすいもの」を書いてほしいといわれることが増えた。センテンスを短く、文章量も少なく、活字は大きく。
 ふだん活字を読まない人に買ってもらうには、どうしてもそうなる。いいことなのかどうか。

 山本夏彦のエッセイを再読する。次のような文章を見つける。

《読者は登山に似ているといわれる。登るに困難な山でなければ、それは登るに値しない。難解な字句につまずきながら、ついに理解に達して、はじめて読書である。山登りに似ているといわれる所以である》(「この国」/山本夏彦著『日常茶飯事』中公文庫)

 古本の話もあった。

《だから私は、古本と古本屋の味方をしたい。古本の版元は、古本の著者と共に故人である。どんなつまらぬ本でも、ここは客が主人公で、自分ひとりでさがしに来る。
 そこには、書物がまだこんなに売れなかったころの、つむじの曲った著者たちの、つむじの曲った発言が、稀にあるのである》(「本屋」/同書)

 外市二日目、行きます。補充もします。
 起きることができたら……。

(追記)
 起きることできず、夕方に……。

2009/09/03

権限と責任

 怠ける、やりすごす……という話を書いたが、ちょっと消化不良のところがあったので、書き足すことにする。

 誰もが「自分には何の権限がない」とおもい、無責任にふるまったとすれば、めちゃくちゃな状況に陥る。みんなが無責任なのではなく、誰に権限があるのかわからなくなっているから混乱してしまう。「責任の所在をはっきりしろ」といっても、それがはっきりしない組織はたくさんある。結果、弱いところにしわよせがいく。

 売り上げの落ちている雑誌があって、何かいいアイデアを出してくれといわれる。今の状況を改善しようとおもったら、数頁の新企画ではなく、雑誌のあり方、出版社のあり方を変えなければどうにもならない。

 担当者にはそんな権限はない。編集長にもない。現状を維持する権限はあっても、一か八かの変革を実行する権限は誰にもない。そうやって手をこまねいているうちにじり貧になる。組織の大小に関わらず、そういうことはよくある。

 自民党崩壊の構図も似たようなものかもしれない。様々なしがらみがあって誰も権限を行使できない。権限の行使の仕方がわからず、「責任力」というキャッチコピーだけがむなしく響きわたる。

 今、選挙をすれば負けそうだからと解散をずるずる引き延ばしているうちに、立て直すのが困難なくらいの大敗をまねく。傷が浅いうちにうまく負けるという知恵がないと大けがをする。

 売り上げ不振の雑誌の話に戻すと、かつてはある一定の読者がいることを前提に、競合雑誌よりも面白いもの、もしくは競合相手がいないようなものを作れば売り上げを伸ばすことができた。しかし競合相手がライバル誌ではなく、インターネットや携帯電話だとしたら? さらに少子高齢化社会という人口分布の変化が売り上げに影響しているとすれば? 二十代、三十代くらいの編集者は、そういう危機感をもっている。まわりの同世代の友人の多くは本も読まないし、雑誌も新聞も買わない。活字にお金をつかわない。

 そんな小手先の改良ではどうにもならない現実に直面しながら仕事をしている。それでこれまでの読者を満足させる企画ではなく、新しい読者をつくる企画を考える。その企画をすすめると、これまでの読者は離れていくかもしれないし、新しい読者がつくかどうかもわからない。

 この問題に解決策はあるのか。

(……続く)

2009/08/31

そよかぜ

 仕事が一段落。
 天野忠の『そよかぜの中』(編集工房ノア、一九八〇年刊)を読み返した。
 この本は気持と生活を立て直したいときに読みたくなる。

《「余韻の中」につづく私の二番目の随筆集である。(中略)余韻といい、そよがぜといい、自分という頼りなげな存在の何かが、その中に浮いている気分である。いつでも本筋のところをはずれて、弱虫は弱虫なりに、どうにかこうにか生きてきた、生かされてきたことの不思議さに、ときどきぼんやりすることがある》(あとがき)

 わたしは天野忠と身長、体重がほぼ同じで、平熱が三十五度台という共通点がある。寒い日と風の強い日が苦手というところも同じだ。それだけなんだけど、わたしには大事なことである。
 
 ただ、東京住まいでは天野忠のようなのんびりした暮らしはむずかしい。

 先日、三十歳前後の知人と話していたら、上司に「すぐ結果を出せ」といわれ続けているらしく、かなりまいっていた。

 わたしも困ったおぼえがある。
 結果を出したくても、機会をあたえてもらえない。機会をあたえてほしいというと、経験がないからだめだといわれる。
 どないせいという話である。

 ヘタに能力のある人が、結果を出せない立場にいると自分を責めてしまう。
 適当に怠ければいいのだが、その余裕がない。

 怠け方を知らなかったせいで、有能なのに仕事をやめてしまった人を何人も知っている。

 怠けるというのは、手をぬくということではない。やりすごす、といったほうがいいかもしれない。

 仕事上の権限が何もないのに、結果を出せというのは無茶な要求なのである。
 そういう時期は力を蓄えることに専念したほうがいい。
 適当にやりすごして、自分をすり減らさないようにする。
 当然「あいつはつかえない」とか「怠け者だ」とかいわれる。
 ただ、齢をとってからいい仕事をしている人は、(若いころ)そういわれていた人が多いのも事実である。

 権限がないうちは無責任でもかまわない。
 責任はちゃんと力を発揮できる場についてから持てばいい。

 場を自分の力で勝ち取ることができればそれにこしたことがない。でもそれが非常に困難な状況もある。
 その場合、「本筋のところ」をはずれてみるのもわるくない。「逆風」を避け、「そよかぜ」の吹いているところを探す。

 若い知人にはそういうことがいいたかったのだが、うまくいえなかった。 

2009/08/27

あさかわ

 荻窪に住んでいたころの黒田三郎が、酔っぱらって中央線の終電に乗っていた。電車がホームに止まった。阿佐ケ谷というアナウンスが聞こえる。ふとみるとそこは浅川駅だった。「あさがや」と「あさかわ」の音が似ていて、まちがえたという話である。

 最近までわたしは浅川駅がどこにあるのか知らなかった。

 本を読んでいて、ちょっとわからないことがあると、インターネットで検索する。後ろめたさをおぼえつつ、便利さにあらがえない。ウィキペディアの「高尾駅(東京都)」の項をみると、一九六一年年三月二十日に浅川駅から高尾駅に改称されたとある。

 わたしも寝すごして何度か高尾駅まで行ってしまったことがある。たいてい始発まで時間をつぶして電車で高円寺に帰る。
 いちどだけ高尾から高円寺までタクシーに乗ったことがある。
 十年以上前、家賃三万八千円の風呂なしアパートに住んでいたときのことだ。
 毎日のように食費を切りつめ、倹約にはげんでいた。でもその日はたまたま財布の中にいつもよりお金がはいっていた。酔っぱらっていたせいかもしれないが、突然、つまらない出費というものをしてみたくなった。
 高尾から高円寺までタクシーに乗ったら、どんな気持になるのか。それが知りたかった。当時のわたしには想像できなかった。
 タクシー代は一万六千八百円だった。

 もちろん、後悔した。

2009/08/23

ギターと歌う

 古本酒場コクテイルで行われた前野健太「ギターと歌う vol.9」に行った。予想はしていたけど、中に入れない。ものすごい熱気だ。ビールケースを出してもらって店の外(十人以上いたかも)で、飲みながら聞く。

 いつも以上に声がよく通る。軽やかなのに、まったく誤魔化しがなくて、自分の中でいろいろなことがせめぎあっている感覚も伝わってくる。すこし前までのやや不安定で、ピリピリしながら客に音楽をぶつける姿勢も好きだけど、くつろいで楽しんで歌っているかんじもよかった。いや、断然いい。

 階段を一段飛ばしくらいでかけのぼっていく時期がある。もちろん、それはずっと続かなくて、たいていペースが落ちたり、それまでの疲れがどっと出たりするわけだけど、それを乗りこえた後に新境地がある。

 今おもうと『さみしいだけ』を作っていたころの前野さんは、そういう時期だったのかなあという気がした。

 年末に松江哲明監督の『ライブテープ』(前野健太ゲリラライブドキュメント映画)の公開も決まったという。いいニュースだ。

2009/08/21

脱貧困の経済学

 飯田泰之、雨宮処凛著『脱貧困の経済学』(自由国民社)という本を読んだ。

 経済学は、ある種の倫理の問題をふくんでいる。とはいえ、潔癖な理念が通用するほど、甘くない世界であることもわたしの中では動かし難い実感になっている。大雑把に、清濁あわせもちながら「わるいようにはしない」というくらいが、落とし所なのではないか。

 この対談本では「個人が安心して暮らし」「様々な可能性へのチャレンジ」をすることができる「再配分政策」(最低賃金の引きあげやベーシックインカム)について語られている。

 読みながら「さすがにそれは無理だろう」とおもう箇所はいくつかあったけど、「無理だろう」とおもってしまう自分は、なぜ「無理だ」とおもってしまうのか、もう一巡してかんがえさせられる本だった。

 ものすごく簡単に図式化すれば、若い人が職につけず、働いても働いても貧乏にあえいでいる中、豪華客船で世界一周の旅をしているような裕福な高齢者がたくさんいる。もちろん、若者がわるいわけでもなく、自分が働いてきた貯めた金と年金で旅行をする高齢者がわるいわけでもない。

 でもなんとなく、釈然としないものがある。

 経済の話からズレるかもしれけど、飯田さんの「失敗するのも成功するのも、努力と運が半々ぐらいだということを、みんながもうちょっと理解しないといけない気がするんです」という言葉は、ほんとうにそうだとおもった。そうした意識なくして「公平な分配」を制度化するのはむずかしい。
 人々の意識を変えることは制度を変えるよりも厄介である。
 その困難をふまえた上で何ができるのか。

 はっとさせられたのは「人間はほっといても何となく器用になってしまう。仕事に慣れてしまう」ため、個人レベルでは「足るを知る」みたいな感覚でもなんとかなるのかもしれないが、ある程度は経済成長がないとかならずどこかにしわ寄せがいくという話。

 切実な問題を論じつつも、新鮮な知見が随所にちりばめられている。

《「財源はどこにあるんだ!」は質問封じとしては非常によくできています。
 しかし、「財源はどこにあるんだ論」には大きな見落としがあります。どうしても必要なこと、それによって社会を大きく改善していける政策ならば、財源は「作るもの」のはずです》

 一見、絵空事におもえるような議論の中に、希望の種を見出すことができた。  

2009/08/20

コラム等

 気がつけば、月末がさしせまっている。いろいろやることがあるはずだが、何も考えられない。
 読まなければいけない本を読まずに、今、読む必要のない本を読む。書かなければいけない原稿を書かずに、書いても書かなくてもいい原稿を書く。

 テレビのチャンネルをいろいろさわっていたら、NHKの衛星放送が映るようになった。理由はわからないまま、大リーグの試合などを観る。

 池袋の古書往来座に行き、松田友泉著『コラム等(ひとし)』(有古堂)を購入。五百円。表紙版画は下坂昇。

 この版画のことを語った一文——。

《寂蓼感がありながらも叙情のある、素朴な風景を、木に彫る事のできる、希有な作家だと、私は思ったし、単純に言うとすごく好みだった》

「山口昌男とベンジョンソン」というコラムは、タイトルからはまったく内容が想像できないけど、読みごたえあり。「洗濯の失敗」「銭湯」「カルシウム不足」「野菜不足」といった「生活」コラムもおもしろく読んだ。

 ブログ「正式の証明」で書いている文章よりも「途上感」がある。まだまだ、いろいろできそう。「どんどんやれ」とけしかけたくなる。

2009/08/17

批評のこと その十

 どこにも行かず、酒飲んで寝ているうちに、夏休みといえるような期間が終わってしまった。

 新しい知識を仕入れなくても、それなりにこれまでの蓄積と応用で生きていけるのではないか、というような錯覚に陥ることがある。ただし、蓄積と応用に甘んじていると、ある時期、ぱたっと文章が色あせる。文章がパターン化し、書けば書くほど、みずみずしさを失う。

 いっぽう書くことで自分の意識が変わった(ような気がする)という経験もこれまで何度かある。自分の書いた文章だけでなく、引用するために書き写した文章も含めて、言葉にひっぱられるような形で、すこしずつ、感覚や考え方が変わる。すぐにはその変化はわからない。すこしずつわかる。

《文章の結論がどこへ行くかわかってしまえば、自分でもおもしろくないですね。だからわかっていることはぼくはけっして書こうとは思わない。どうなるか楽しみなんだな。そのかわり、書いていくことと考えることがいっしょなんですよ。ぼくなんか書かなくちゃ絶対にわからない。考えられもしない》(「教養ということ」/『小林秀雄対話集』講談社文芸文庫)

 田中美知太郎との対談で六十歳をすぎた小林秀雄はこんなふうに語っている。

 正解があるクロスワードパズル(ナンクロなど)にしても、当てずっぽうで升目に言葉をいれていくことでしか、次の言葉は見つからないようにできている。まちがえても、しばらくすると、つじつまがあわなくなることで、その言葉が不正解であることに気づく。

 わたしが考える「批評」、あるいは「生活的教養」もそうしたパズルの解き方にちかいかもしれない。パズルもやっているうちに、ある種のパターンがわかってくる。わかるとすぐ解けるようになる。すぐ解けると、つまらなくなる。

 ひょっとしたら、つまらなくなるのは、パターン化のせいかもしれない。生活のパターン化、仕事のパターン化、趣味のパターン化。パターンには、一定したパターン、変動するパターンがある。さらにパターンをどう変えていけばいいのか。あるいは変えないほうがいいのか。変えるとすれば、どのくらい変えればいいのか。

 小林秀雄と田中美知太郎の対談は、再読するつもりもなく、なんの気なしに再読した。そして(あくまでも自分にとっての)重要な問いに気づいた。

《小林 このごろは、ひところのように、いろんな条件をはっきり記憶して、ひとつの問題を考え抜くことが億劫になりましてね。考えるということは文体(スタイル)で考えるわけなんだけれども、なにかその辺で工夫はないものかと思っているんですけれど……
 田中 文章の問題といえば、プラトンの場合なんかも、六十歳くらいで文体がガラッと変わりますね》

 ふたりの対談は文体の話からはじまっている。
 さらに田中美知太郎は、「自分の文体があって、考えることがその文章の枠内に納まっちゃう。考え方を変えようと思っても、自分の書きなれた文章で考えるほうが楽なんだから」とも語っている。
 書きなれた文章というのもひとつのパターンである。そのパターンができあがるのには時間がかかる。時間をかけて作ったパターンを変えることは容易ではない。パターン自体に愛着があるし、自分の感覚や生理と不可分なものになっている。
 しかし、すぐに行き詰まってしまうような文体では、なかなか「ひとつの問題を考え抜く」ことができない。

 その後、小林秀雄が『本居宣長』を十数年にわたって書き続けることになるのだが、この執筆は「ひとつの問題を考え抜く」文体を作るための実験という意味合いもあったのではないか。ふとそんな気がした。

「批評とは何か」について考えているうちに、「文体とは何か」という問いが出てきた。

 書きはじめたころから、「その十」を区切りにやめようとおもっていた。どんどん収拾がつかなくなってきている。
 とりあえず今回でこのシリーズは完結する。続きは、タイトルを変えて、ときどき書くことになるとおもう。

 しりきれとんぼ、あしからず。

2009/08/13

批評のこと その九

 ここのところ、ずっと「批評」について考えている。わたしの関心事は「大正の」「昭和の」あるいは「近代文学の」といった前置を必要とする「批評」である。「構造」やら「記号」やらで作品を分析したり、解読したりする「批評」に興味のある人からすれば、かなり「時代錯誤」かつ「ベタ」な「批評」といわれるかもしれない。

 今では「批評」というジャンル自体、広く細かく分類されるような種類のものになっている。
 その世界から一歩外に出ると言葉が通じなくなる。
 それは「批評」の話にかぎったことではない。そもそも、むずかしくいおうが、わかりやすくいおうが、興味のないことには興味がない。

 かけだしのフリーライターのころ、よく「印象批評」を書くなといわれた。そういわれて、はじめて自分の文章が「印象批評」と呼ばれる種類のものだということに気づいた。
「印象批評ってなんですか」
「つまり、感想文ってことだよ」
 たしか、そんな会話をしたとおもう。
 今のわたしなら「感想文のどこがいけないのか」と反論するだろう。

「批評」の効用のひとつは、従来の読み方とはちがう新しい見方を提示し、作品や世の中の理解を深めるといったような意義がある。
 時代がすすむにつれ、「批評」は自分の生活や生き方に反映しない「知」のゲームのようなものになってきた。
 そうした「批評」にも読む快楽がある。読んでいると、複雑な世界が単純明解におもえてくる。

 時間が経つと、それが錯覚にすぎないこともわかってくる。

 自分の言葉の通じやすい世界から抜け出すこと。
 わかる人にわかればいい(長年、わたしはそうおもっていた)という考え方をあらためること。

《批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。それは、むしろ生活的教養に属するものだ》(「批評」/小林秀雄『栗の樹』講談社文芸文庫)

 小林秀雄は、今(というのは一九六〇年代半ばくらいのことだけど)の批評表現は複雑多様になっているが、それは批評精神の強さ、豊かさの証ではないという。批評家は「批評の純粋な形式」を心に描いてみるのは大事だといい、「自分のうちに、批評の具体的な動機を捜し求め、これを明瞭化しようと努力するという、その事にほかならない」ともいう。

 なにをどう批評するのかをかんがえる前に、なぜ批評するのか、そこから考える(心に描く)必要がある。

(……続く)

2009/08/11

台風・地震・古本

 二日間、ほとんど家にこもっていた。からだがだるい。ときどき台風情報を見ながら、朝五時、ようやく仕事を片づく。

 よし、これで京都に行ける。

 そのとき、音を消してつけていたテレビに「地震が発生しました。津波に気をつけてください」というような緊急テロップが映った。
 とりあえず、本棚のそばをはなれる。それから十秒くらいして部屋がゆれた。

 ニュースに釘付になる。静岡で震度六弱。
 新幹線も東京−名古屋間で運転見合わせのようだ。復旧しても大混雑はまぬがれないだろう。

 下鴨古本まつりに行くことは断念した。
 とりあえず、このまま起きつづけて、BIGBOXの納涼古書感謝市の初日に行くことにする。

2009/08/08

ハチマクラ一周年

 高円寺のハチマクラが一周年を記念して「紙市」開催。一日遅れになるけど、わたしも九日(日)から古本を出品する予定です。

ハチマクラ紙市&チャルカのアジ紙バザール
●8月8日(土)〜16日(日)までの9日間
●時間 午後1時頃〜午後9時頃

(追記)
 下鴨納涼古本まつり。前日から行かなくても、当日のぞみで行くという道があることに気づいた。とにかくギリギリまであきらめないことにした。

 前野健太さんの「鴨川」をききながら仕事する。

仙台、七ヶ宿

 八月五日〜七日、仙台に。今回は遊びではなく、取材である。たとえ往復の交通費や現地での飲み食いで完全に赤字になったとしても、あくまでも仕事なのである。
 五日の夜は、火星の庭で小宴会。九月の仙台写真月間に伊東卓さんの写真展が開催されるそうだ。
 前野健一さんが作った「晴ーリー」の動画も見せてもらった。傑作。

 六日、宮城県刈田郡七ヶ宿へ。大きなダム湖があり、そこに沈んだある村のことを知りたかったのである。七ヶ宿町水と歴史の館にも行きたかった。この館に古山高麗雄さんの展示室もある。七ヶ宿は、古山さんのお父さんの故郷だった。

 現地までは前野さんに車で行く。さらに七ヶ宿在住(近辺かな?)の漫画家の小松里佳さんを紹介され、地元をいろいろ案内してもらった。
 七ヶ宿は想像していた以上に素晴らしいところだった。
(詳しいことは河北新報のエッセイに書く予定)

 夜、仙台に戻って、七夕まつりも見た。
 とりあえず、今回の旅の目的であった取材も終わったので、おおいに飲む。

 翌日、昼から東京で仕事があったのだけど、またしても前野家で熟睡してしまう。起きたら、テーブルに鍵が置いてあった。
 午後一時半。どうかんがえても、間に合わない。
 あきらめてというかひらきなおって、しかも新幹線はつばさの指定は満席だったので、やまびこに乗って、東京に帰る。

 夜、神保町で毎年恒例の飲み会があり、やはり仕事が一段落したのと、NEGIさんがいたので、多少、酔っぱらっても家に帰れるとおもい、かなり飲む。

 来週は下鴨の古本まつりに行きたいとおもっていたのだが、仕事が山づみでどんなに無理しても、間に合いそうにない。

 今回はあきらめることにした。

2009/08/05

批評のこと その八

 動く前に考えるか、動いた後で考えるか。
 同じ考えるでも、ずいぶんちがうのではないかとおもう。

 仕事をしていても、引き受ける前にいろいろ悩むのだけど、(後悔もふくめて)引き受けた後に悩むことのほうが、得たものは多い気がする。
 現実のきびしさを突きつけられて、わかることはバカにできないものだ。

 昔、ある人の文章で、フリーの仕事をするのであれば、一年分くらいの生活費をためておいたほうがいいというような話を読んだことがある。
 フリーの仕事は、収入も不安定だし、失業保険もない。それはそれで有効な助言だとはおもうが、すくなくとも、わたしのまわりには、そんな堅実な計画を立てて、フリーになった人間はいない。
 わけもわからずはじめて、わけもわからず貧乏して、人に助けてもらったり、アルバイトしたり、それでもやめずに続けているうちに、いろいろ仕事をおぼえる。自分の能力(才能)の不足をおぎなったり、ごまかしたりする術を身につける。
 ふりかえると、ほんとうに冷や汗が出るようなあぶなっかしい道を歩んでいる。

 そういいつつも、二十年前にフリーの仕事をはじめるのと今とでは、条件がちがう。今のほうが、たいへんだとおもう。
 それでも条件のよしあしにかかわらず、やる人はやるし、続ける人は続ける。

 若き日の小林秀雄は、「賭は賭だ、だから嘘だ」といっていたけど、結局、何かに賭けるしかない。賭けないという人生を選ぶことだって、賭けの一種といえる。

 小林秀雄に「青年と老年」(『栗の樹』講談社文芸文庫)というエッセイがある。

 正宗白鳥は「つまらん」というのが口癖だった。それでも「つまらん」といいながら、あきもせず、本を読み、物を見に出向いていた。
 そんな正宗白鳥のことを「『面白いもの』に関してぜいたくになった人」と小林秀雄はいう。

《私など、過去を顧ると、面白い事に関し、ぜいたくを言う必要のなかった若年期は、夢の間に過ぎ、面白いものを、苦労して捜し廻らねばならなくなって、初めて人生が始まったように思うのだが、さて年齢を重ねてみると、やはり、次第に物事に好奇心を失い、言わば貧すれば鈍すると言った惰性的な道を、いつの間にか行くようだ》

 四十歳を前にして、この文章を読み、ちょっと救われた気持になった。

 自分の感覚が鈍ったのが、好奇心が衰えたのか、あるいは「『面白いもの』に関してぜいたくになった」のか、何をしても、停滞感をおぼえることがふえた。
 若いころは、世間のかたすみでひっそり、好きなことを続けられたらいいなとおもっていたけど、年々、情熱の持続の困難さを痛感している。

 いろいろなものがつまらなくなっていく。
 自分がつまらなくなっていく。

 そうした気分から脱け出すには、どうすればいいのか。

(……続く)

2009/08/04

批評のこと その七

 自分の考えていることに一般性はあるのか。ないとすれば、どのくらいないのか。世の中と自分のズレ、しっくりこないかんじ、そういうものを埋めるために、本を読んだり、文章を書いたりしているところがある。

 ここ数日、大岡昇平著『中原中也』(講談社文芸文庫)を読みかえしていた。

 中原中也の亡くなって十年後、大岡昇平は山口県の中也の故郷をたずねる。
 そこで告別式のときに飾られた無帽背広姿の中原中也の写真を見る。そして中原中也にたいする考えが変わったという。

《生涯を自分自身であるという一事に賭けてしまった人の姿がここにある》

 中原中也は、詩を書いたから詩人になったのではなく、詩人にしかなれないから、詩を書くしかなかったという詩人だ。

 大岡昇平は『中原中也』の中で「多分富永太郎宛の手紙の下書」という一行のあとの小林秀雄の文章が紹介している。

《雨が降る何処にも出られぬ。実につらい、つらい、人が如何しても生きなければならないといふ事を初めて考へたよ。要するに食事をしようといふ獣的な本能より何物もないのだな。又それでなければ嘘なのだな。だからつらいのだな。芸術のために生きるのだといふ事は、山椒魚のキン玉の研究に一生を献げる学者と、何んの異なる処があるのか。人生に於いて自分の生命を投げ出して賭をする点で同じぢやないか。賭は賭だ、だから嘘だ。世には考へると奇妙なセンチメンタリスムが存在する者だ》

 二十代のころ、わたしは小林秀雄のこの「手紙の下書」を引用したエッセイを書いたことがある。

 小林秀雄は、「新人論」を書けといわれ、「僕の身のうちに青春が感じられる限り、新人という名前は、僕の興味を惹かない。(中略)ほって置いても消え易い火に、何故水をかける様な事ばかりしているのか」(「新人Xへ」/『Xへの手紙・私小説論』新潮文庫)と語る。

「賭は賭だ、だから嘘だ」とおもう小林秀雄は、小説を書かなくなり、批評家になる。

 小林秀雄は「新人Xへ」で、いかに新しい批評方法を論議したとしても、その声は文壇を離れて遠いところまでとどくものではないというようなことも述べている。
 批評についてあれこれ考えていると「山椒魚のキン玉」という言葉が頭をちらつく。世の中の多くの人は、そんなものには興味がない。

 でも「人生に於いて自分の生命を投げ出して賭をする」ことは「嘘」なのか?

(……まだ続く)

2009/08/01

批評のこと その六

《自分の存在をかけない言葉が人を動かすはずはない》

 中村光夫のこの一文を読んだとき、わたしはそうかもしれないとおもった。しかし半分くらい釈然としない気持が残った。

 昭和の文人たちがどういう緊張感の中で小説を書き、批評していたのか。中村光夫の文章を読んでいると、そんなことも考えさせられてしまう。
 もちろん戦後の日本では、そこまでの緊張感はない。かつて「俗物」といわれることはかなりの打撃をあたえる批判ではあった。今の目で見れば、いったもの勝ちのレッテル貼りというかんじもしなくはない。

「ホンモノ」「ニセモノ」という評価の仕方もあった。
 はっきりと正統といえるものがないとこうした批評は成立しない。
 考え事をしていて、行き詰まったときに、古本屋に行くと、ちょうどいい助け船になるような本に出くわすことがある。
 仕事帰り、古書現世にふらっと寄ると、矢野誠一編『話がご馳走』(廣済堂出版、一九八五年刊)があった。
 目次を見ると、色川武大と太地喜和子、山本夏彦と結城昌治、神吉拓郎と品田雄吉といったゲストをむかえての座談会。この名前を見たら、読みたくなるというものだ。

 最初は、山藤章二と吉行和子がゲストの「男の笑い、女の笑い」。
 吉行和子がタモリ、ビートたけしの話を聞いているとちょっと緊張するけど、明石家さんまだと安心して聞いていられるというような話をしたあと、山藤章二が次のように述べる。

《山藤 いまの緊張という言葉が一つの目安みたいですね。プロというのは何となく緊張感を感じさせるところがあるでしょう。寄席がある程度の教養とか感性がないとプロの芸は味わえないという約束事があったりする。そういうのは若い子にはしち面倒なんですね》

 受け手側の変化。わかりやすさを求める。矢野誠一は、戦後まもなくの寄席で客席が笑うとガラスがゆれる、それがはっきりわかったと語る。今、どんなにおもしろいものがあっても、そんなふうには笑えない。
 笑いだけでなく、文学や映画もそうだ。今のように情報が飽和状態になると、言葉や文章にたいする飢えは、どうしても薄れてくる。

 ガラスがゆれるような笑いの話を読んで、わたしは二十年くらい前のライブハウスの様子をおもいだした。
 会場のまわりではケンカだらけ。鋲のついた服を着た客がごったがえし、客が酸欠で倒れて演奏中止。ステージに金網が張られているなんてこともあった。ライブのあと服はボロボロ、腕から血がたら〜。なんだったんだろうね、あれは。

 文芸への熱も、ある種の欠乏感、渇望感……飢餓感と無縁ではない。
 かならずしも、それはいいことばかりではない。いや、あんまりいいものではない。  

(……続く)

2009/07/29

岡山から京都へ

 二十五日(土)、のぞみで岡山に行き、ルネスホール内公文庫カフェのフジイユタカ写真展「オキナワノハナ」を見る。
 公文庫カフェに行くと、藤井くんが待っていた。
 写真は十年以上前のもので、そのとき、その場所にいなければ二度と撮れない写真ばかりだ。本人は「狙っていないような写真を狙って撮っている」というかもしれないが、ぱっと見、なぜこれを撮ったのかよくわからないままシャッターを押しているかんじがする。でも時を経て、そのかんじがいい具合に熟成されていた。
 そんなに昔の写真ではないのに「古写真」の味わいがある。

 公文庫カフェでアイスコーヒーを飲んだあと、倉敷に行く。この日、天領まつりだったせいか、駅前は人がごったがえしている。
 人通りをさけ、トンネルを通って、蟲文庫。
 蟲文庫の田中さんと藤井くんと三人で初の写真展開催を祝う小宴会。

 藤井くんが高円寺のアパートを引きはらい、岡山に帰ったときは、もうすこしこっちで仕事をしていれば、プロのカメラマンとしてやっていけそうだったのに、と残念だった。でも今みたいに、ふらふら旅行をしながら、気ままに写真を撮っているほうが、藤井くんには合っているのかもしれない。

 年内に蟲文庫でも、個展をひらいてはどうかという話になった。

 二十六日(日)、午前中に倉敷を出て、鈍行列車で神戸に。海文堂書店に寄る。
 福岡店長に挨拶して、山本善行さんの古本コーナーを見る。昼休みから戻ってきた北村知之くんに「善行堂行きましたか?」と声をかけられる。

 元町から三ノ宮のガード下を通って、阪急で京都、出町柳でレンタサイクルを借りて、古書善行堂を目ざす(善行堂の話は、八月発売の『小説すばる』に書きました)。

 ちょっと心配になるくらい安い。ほしいとおもった本が、ことごとく、自分の予想よりも安い。
 正宗白鳥著『文學修業』(三笠書房、一九四二年刊)、花森安治著『風俗時評』(東洋経済新報社、一九五三年刊)などを買う。
『風俗時評』は、はじめて見たかもしれない。

 自転車を返して京阪三条へ。汗だくになったのでサウナ・オーロラで一風呂浴び、六曜社でアイスコーヒー。

 夜は、徳正寺でサニーサイドアップ(増田喜昭、鈴木潤)、オグラ、友部正人のライブ「近所のお寺で涼んでいたら」。

 雨の音や風をかんじながらのライブ。サニーサイドアップは、鈴木さんの澄んだ声とシンプルなウクレレが合っていて心地よかった。
 オグラさんは、久々に名曲「架空の冒険者」のソロバージョンを熱唱。
『ガロ』の編集長、長井勝一さんが眠るお寺で、友部さんの「長井さん」を聴く。
 オグラさんと友部さんは、前の日に大阪で詩の朗読のイベントでもいっしょだったそうだ。

 お堂でのライブだったせいか、言葉がすっと入ってくる。踊りたくなる曲もあったけど、なんとなく、静粛に聞いていた。背筋をのばし、肩でリズムをとる、そのかんじが新鮮でおもしろかった。

 朝四時まで、扉野さんの両親と飲み明かした。

(追記)
 帰り、午後二時すぎのぷらっとこだまに乗るため、京都駅に行くと、新幹線の構内が厳戒態勢。トイレも封鎖されている。ホームには警察官と日の丸をふる人々。
 向いのホームに到着した新幹線から皇○子が……。

2009/07/24

小休止

 今週末は、鬼子母神通り みちくさ市(http://kmstreet.exblog.jp/)が開催されます。

 都丸書店で佐藤春夫著『窓前花』(新潮社、一九六一年刊)を買い、喫茶店で休憩する。読売新聞の夕刊に連載時は「愚者の樂園」という題だったが、すでにつかっている人がいて改題したらしい。

 本多顕彰著『聖書 愚者の楽園』(光文社、一九五七年刊)のことではないかとおもう。
 後に獅子文六が一九六六年に『愚者の楽園』という本を刊行している。
 ウィキペディアによると、川原泉の漫画の題でもあるようだ。

 ちょっと息ぬきに読もうとおもって買った『窓前花』だけど、新聞コラムとしての完成度が高い。単行本では一本が見開き二頁ちょうどにおさまる。ほんとうに読みやすい。

《今日のベストセラーズは千萬人が讀み、さうして明日のベストセラーズはまた明日の千萬人が讀む。
 今日は二三人しか讀む人もない。多くの人々がみなその存在を忘れてゐる。しかし明日も明後日もほんの二三人の人が讀んでゐる。さうしてその二三人がいつしか二三百人にもなり、やがていつまでも讀みつづけられて讀む人の數が少しづつ増加して行く。これがクラシックといふものであらうか》

 内容は文芸から政治まで意外と幅広い。わりとリベラルな理想主義者である。

「窓前花(さうぜんのはな)」という言葉は『佐藤春夫随筆集 白雲去来』(筑摩書房、一九五六年刊)の「處士横議せず」にも出てくる。

 新聞の連載では、身辺雑事、文芸放談、時代風俗、政治および社会時評の類をその都度書こうと心がけていたが、どうしても身辺と文芸の話に片寄ってしまう。しかし、みかんの木にみかんがなるようなもので、これは当然の話だとひらきなおる。

《新聞には政治記事は自分の執筆を待つまでもなく充滿してゐる。自分の任とすべきは多忙な社会人が多忙に紛れて忘れてゐる事どもを思ひ出させるにあらう。(中略)自分は處士横議を事とせず、閑雲野鶴を望み、窓前の花を品し、時に兒孫を擁してテレビに野球と相撲とを興ずるを優れりと思ふ者である。それではいけないといはれても外に仕方もあるまい》

 そういいながらも『白雲去来』には政治記事が多い。それがまたおもしろい。

2009/07/20

批評のこと その五

 行きあたりばったりに話をすすめる。
 読者の高齢化、インターネットの隆盛などによって、このままいくと出版の世界は確実に崖が待っていると書いた。

 すべてが落ちるわけではないとおもうけど、今まで通りの人数、収入を活字産業は維持できないだろう。
 銀行が合併したように、大手の新聞や出版社の合併もありうる。中小零細はどうなるか。フリーの人はどうなるか。

 もともと活字の世界というのは、趣味と仕事の領域が曖昧だ。
 同じような原稿を同じくらいの時間、労力をかけて書いても、原稿料は出版社の規模によってまちまちだし、まったくもらえないこともある。

 お金はほしい。でもそれだけではない。
 批評の自立のためには、生活費は別に稼ぐ必要があるのではないか。長年、考え続けているが、まだ答えは出ていない。

 くりかえしになるけど、「どう生きるべきか」を主体にする、根源に置かないと駄目になるという谷川俊太郎の言葉をおもいだしながら、もうすこし批評について考えたい。

《——ぼくはこの管理された社会の中で、単に労働力として存在する人間にはなりたくない。たとえ人生を棒に振っても、ある純粋さを保持した、あるがままの人間でありたい……》(「頭上に毀れやすいガラス細工があった頃」/辻征夫著『ゴーシュの肖像』)

 十代の辻征夫が「それだけでは生活できない」とわかっていながら、詩人になりたいとおもったときの心情だという。

 詩人になりたいとおもう辻征夫は「そういうことは趣味として余暇にやれ」といわれる。

 批評も詩と似たような境遇になっているのではないか。

 かつて中村光夫は、批評家が独立の存在として認められていないと述べた。作家の解説者、読者との仲介人という役割しか与えられていないともいう。

《もし批評する者が、批評される者に従属していたら、それだけで批評の公正さは失われ、したがって価値もなくなるのは自明のことだからです》(「批評の精神」/『批評と創作』新潮社)

 ここで「批評の公正さ」という言葉が出てくる。この「公正さ」は「批評家の独立」によってしか得られないというのが、中村光夫の意見である。

 趣味あるいは余暇としての批評は、批評される側に従属する必要がない。それは批評の独立といえるのか。

「批評の精神」はこんな一文でしめくくられている。

《自分の存在をかけない言葉が人を動かすはずはないという文学の鉄則は、批評にも適用されるので、この単純な原理を忘れた批評はどんなに「問題意識」にみちていようと、空疎な大言にすぎないのです》

(……続く)

2009/07/18

批評のこと その四

 批評の役割についておもいついたことを書く。
 たとえば、ある作品について、従来とはちがう、読み方、見方を示すこともあげられる。

 主人公ではなく、脇役にスポットを当てて読むとどうなるか。スポーツであれば、試合で目立つ活躍した選手だけ縁の下の力持になった選手を評価する。
 売れなかった作品、失敗作も、見方次第ではおもしろくなる。
 従来の常識やおもいこみをくつがえす、視点をかえる。
 それも批評の仕事だろう。

 ただ、批評の技術が発達すると、それこそ、どうとでもいえるようになる。名作でもけなせるし、どんな凡作でもほめようとおもえばほめられる。
 つまり作品の「独創性」よりも、批評の「独創性」がひとり歩きする。そこで「公平」かどうかということが問われてくる。

 もうすこし話をややこしくしよう。

 奇をてらった手法も、やりつづけていれば、凡庸になる。凡庸を批判する意見も、くりかえしていけば、凡庸になる。
 目新しいところが見られない作品にたいして「古い」と批判した場合、その批判のパターン自体が「古い」と批判されるおそれがある。
 つまり、おもしろくても批判でき、つまらなくても批判でき、批判すること自体、批判できる。

 批評の技術が進歩し、どうとでもいえるようになると、そういう問題も生じてくる。

 批評なんて意味がない。
 そういうことにもなりかねない。

 今さらとはおもいつつ、「批評とは何か」を考えてみたくなった理由もそこにある。

(……まだ続く)

2009/07/17

批評のこと その三

 批評についてかんがえているあいだ、頭からはなれなかったキーワードが「精神の緊張度」だった。
 小説ではなく、むしろ、批評にこそ、「精神の緊張度」は必要なのではないか。

 もうひとつ谷川俊太郎の次の言葉——。

《詩人の主体というのかな、どう生きるべきかみたいな、そういうものを根源に置かないとね、どうも詩が駄目だという感じがあるんですよ。いつでもその間を揺れ動いて来たんですね》

 あらゆる文学が「精神の緊張度」を高め、「どう生きるべきか」を問うべきだといいたいわけではない。
 わたしは肩の力のぬけた、とぼけた文章が好きだし、生々しい現実から逃避したくて本を読むこともある。

 おもしろいか、つまらないか。
 わかりやすいか、わかりやすくないか。
 売れるか、売れないか。

 当初、「独創」の有無、あるいは「公平」ということについて考えていたのだけど、しだいに、わたしは優秀な審判のような批評を求めているわけではないことに気づいた。

 ある作家のある作品に、自分の理想をたくし、自分のおもいを述べる。
 そういう批評のあり方について模索していたこともある。

 どう生きるか、何をすべきかということは、重要な問いである。
 ただ、もうすこし別の方向、自分の内側ではなく、外側に関心が向かうようになってきた。

 二十代、三十代の編集者と会う。書店員と会う。
 定年まで会社がもつかわからない。
 そんな話をよく聞かされる。
 あと何年かしたとき、雑誌はウェブに移行してしまうかもしれない。
 雑誌や新聞の読者が高齢化している。その高齢化にあわせていれば、しばらくのあいだはあるていど売り上げは維持できるかもしれない。
 ただし、その先、確実に崖が待っている。

 崖から落ちないようにするには、どうすればいいのか。

(……話の流れは変わってしまったが、もうすこし続けたい)

2009/07/16

批評のこと その二

 批評の公平さについてかんがえてみた。

 公平であることは大事だが、批評家の好み、価値観が反映した批評もおもしろいのではないかとおもう。
 たとえ標準、平均からズレていたとしても、ある種のおもいいれやおもいこみで強引に読ませてしまう、そんな批評があってもいい。

 昔は何らかの思想をもった人が、その思想に合致するか否かによって、作品のよしあしを決めるような偏った批評がけっこうあった。

 そのときどきの流行、潮流によっても批評のあり方は変わってくる。
 自然主義が盛んだったころは、そうでない作品はきびしく批判されたり、プロレタリア文学の隆盛期には、ブルジョワ文学が否定されたりした。
 ただ、そうした批評は、時代の変化とともに効力が失われがちだ。

 わたしの場合、時代性よりも、自分の適性、向き不向きに固執する癖がある。
 二十代のころ、「自己完結している」とよくいわれた。
 その傾向についていえば、たぶん、昔とくらべると、多方面に気をつかいながら文章を書くようになったとおもう。そうしたほうが、摩擦のすくない文章になり、わかりやすく、通りがよくなる。
 それがいいことかどうか、いまは判断保留中。

 自分が拠って立つ場所を守るために、あえて独断と偏見を貫く。
 ただ、その姿勢を貫いたとしても、対立や衝突が起こりにくくなっている。

「あの人はそういう人なんだ」
「そういう意見もあるね」

 そんなかんじで受け流されてしまうのである。

 若い知り合いの文章を読んでいると、いつもバランスがよくて器用でうまくておどろくのだけど、もうすこし、そこからはみだすもの、空回りするもの、ぎこちないもの、あとで読み返して恥ずかしくなるようなものがあってもいいのではないかという気がする。

(まだ続く……はず)

2009/07/15

批評のこと その一

 たまに批評の意味についてかんがえる。
 批評とは何か。

 こうした問いにはかならずしも正解があるわけではないが、作品を紹介し、感想を述べるだけではなく、批評する以上、作者の「独創」とおもわれる部分をつかまえることは大事なことではないかとおもう。

「独創」とは何かという問題もある。

 ある独創家が、紫色のスープのラーメンを作った。でも紫色のスープはオリジナリティにあふれているが、まずいということがある。独創であれば、いいというものではない。
 逆に、一見、ふつうのラーメンのようにおもえても、隠し味にこれまで誰もつかったことがないようなダシがはいっているということもある。批評というのは、ダシの分析のようなところがあるかもしれない。

 ラーメンの批評には、そうした微妙な味わいがわかる舌、そのちがいを表現できる言葉が必要である。
 そのためにはかなりの量のラーメンを食い、種類を知っていなければならない。

 うまいか、まずいか。それにも個人差がある。
 こってりしたものが好きな人とあっさりしたものが好きな人がいる。
 ラーメンにかぎらず、批評家の好みによって、評価もちがってくる。
 好き嫌いをこえて、公平な分析ができるかどうか。
 でも公平とは何かとなると、わけがわからなくなってくる。

 味、値段、スピードみたいなポイントごとに評価をする方法はあるかもしれない。でも最後は個人の好みや懐事情に左右されるだろう。

 批評の能力ということにかぎっていえば、細部の味わい、ちがいに気づくことができるかどうか。

 あまり詳しくないジャンルのことは鈍感になる。
 音楽にしても演芸にしても、みんな、同じに見えたり、聞こえたりする。

「私小説は貧乏と女と病気の話ばかりだ」
「現代詩は難解だ」

 よくそういう「批評」がある。そのジャンルが好きな人にいわせれれば、同じような貧乏話でも作者によってまったく味わいがちがうし、難解におもえる詩でも、その作者のこれまでの作品を読んでいれば、緻密な工夫や仕掛けを楽しむことができる。

 細部がわかるかどうか。批評の浅さ、深さはそういうところに出てくるとおもう。

(……続く、かもしれない)

2009/07/14

オキナワノハナ

 週末、横浜に行く。飲んで食って新しいブックオフ(アクロスプラザ東神奈川店)に行って帰ってきた。

 大口駅の商店街(あけぼの通商店会)にあったナカトミ書房にも行ったけど、閉まっていた。二階建の古本屋で店の奥のほうに階段がある、おじいさんがやっていたものすごく古いかんじの店で、二年くらい前に行ったときには、昔の文庫本が昔のままの値段で売っていた。
 もう(店頭の)営業はしていなさそうだったが、どうなったのだろう。

 横浜への行き帰りに、JRの湘南新宿ラインに乗る。
 新宿横浜間三十分。
 ふとおもったのだが、名古屋や京都から東京に帰るときに新横浜駅で降りて横浜駅に出て、湘南新宿ラインで高円寺に帰るというのはありかもしれない。
 
 河北新報の夕刊「まちかどエッセー」の連載はじまりました。
 7月13日が第1回掲載。以後、8月3日、17日、31日、9月14日の5回の予定です。

 それから7月16日(木)から7月30日(木)までカメラマンの藤井豊さんが岡山のルネスホール内公文庫カフェで「写真展 オキナワノハナ」という個展をします。
 午前11時〜午後10時まで(火曜日定休)

 これまで東京、京都、岡山で何度も撮影現場に立ちあっているのだけど、藤井さんは撮影しているときの雰囲気がちょっと独特(かなりヘン)である。

 被写体との距離感もおかしい。でも写真はいい。それがいつも不思議なのである。
 なんとか時間を作って、見に行こうとおもっている。
    
 詳細は、フジイユタカ写真記録(http://fujiiyutaka.seesaa.net/)にて。

2009/07/10

8月のライオン

 若手のお笑い芸人がわからなくなってきている。齢かもしれない。
 テレビを見ていて、おもしろかったとおもうものが、あんまりウケてなかったり、まったく笑えなかったネタが会場その他で盛り上がっていたりすることも多くなった。

 ザ・イロモネアを見ていて、もやもやした気分になって、その原因をさぐろうとインターネットを検索していたら、チャルさんという人の「8月のライオン」というブログにたどりついた。

 素晴らしいの一言。我を忘れて読みふけってしまった。
 わたしが雑誌の編集者だったら、すぐスカウトしたい。

 観察が細かくて的確、文章に芸がある。軸もぶれない。深い。

 「オードリーの若林の試練」だけでも読んでみてほしい。

《オードリーは、とにかくインパクトのあるボケの春日に、トークができて仕切りもできるツッコミの若林という、最近珍しいほどの王道路線を突っ走っているコンビです。遅かれ早かれ、大きな番組のレギュラーになったり、深夜の冠番組を持つことになると思います。
その時に成長しなければならないのは、やはり若林です》

《これから先、オードリーが大きい仕事を任されていくにつれ、若林にはものすごくたくさん勉強しなければならないことが出てくると思います。ツッコミの人は売れてからの方が成長を強いられることが多いのです。浜ちゃんだって上田だって名倉だって、自分の相方だけを相手にしていた時よりもはるかにたくさんのことを求められて、それに応えるための努力をして、今の地位を得ているわけです。爆笑問題の田中は…田中のままでMCをしているような気がします》

 オードリーの若林を論じ尽くした、ほんとうに愛のある批評だ。決められた枚数(八百字か千字くらいの)のコラムも読んでみたい。

2009/07/08

出口の方向

 最近、酒飲んで下書き(手書き)、シラフで清書(パソコン)という執筆パターンが自分には合っていることがわかってきた。
 鉛筆、万年筆、いろいろためしてみたけど、この五年くらいパイロットのジェルインクのボールペンをつかっている。楽に書ける。自分の頭の中のイメージにちかい字になる。
 替え芯が安く買えるのもありがたい。

 たっぷり睡眠をとり、古本屋に行き、喫茶店に寄り、食料を買いこみ、掃除と洗濯をして、レコードを聴きながら、本を読み、料理を作る。
 ひさしぶりにのんびりした気がする。

 鮎川信夫の『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社、一九六八年刊)を読みかえした。
 二十代のころからこういう文章が書きたいと憧れていた。ただ、どうすれば、その域に達することができるのか。そのことをかんがえると途方にくれた。
 自分の専門領域ではない問題にたいして、(あるていど大雑把でもいいから)大きく外れない判断ができるようになるにはどうすればいいのか。
 鮎川信夫の頭脳はどうなっているのか。

 世の中が複雑になっている。昔とは比べものにならないくらい文化が分散している。専門外のことはわからなくても当然なのかもしれないが、それだけではない。何が大事で、何が大事でないか。鮎川信夫はそうした「均衡の感覚」を重視していた。

『時代を読む 鮎川信夫 コラム批評100篇』(文藝春秋、一九八五年刊)の「あとがき」で、「この時代の迷路が、入組んだ壁や紛わしい曲り角でいかに錯綜していても、出口の方向を見失うことはなかった」と述べている。

『一人のオフィス』では、未来にたいして楽観はしたくはないが悲観もしたくないといっている。
 鮎川信夫は、シニシズムに陥らないことを自分に課していたのではないかとおもう。安易なヒューマニズム、理想主義を手厳しく批判することはあったが、けっして冷笑、嘲笑はしなかった。

 二十代、三十代、迷路の中で文章を書いてきた。
 出口の方向を示すような仕事がしたくなってきた。
 準備不足、勉強不足をいいだしたらキリがない。

『一人のオフィス』の最終回は「『たしかな考え』とは何か ある知識人にみるゆるぎない知性」というコラムである。

 ある知識人とは、津田左右吉のこと。
 場所がなくて何年も押入にしまったままの『津田左右吉全集』を出そう。その分の蔵書を整理しよう。

 まずはそれから。

2009/07/06

入り口

 古書往来座外市、終了。
 行くたびにおもうことだけど、往来座(店内)の棚はおもしろい。
 たとえば、文学が好きな人にとって、「入り口」になるような本(いわゆる代表作)とマニア向けの本のバランスがほんとうにいい。

 この「入り口」をちゃんとおさえていくのは、すごく大事なことなのではないか。ここ数年、わめぞのイベントに参加するようになって以来、そのことを意識するようになった。
 ライター業にしても、同じことをくりかえしていてはいきづまる。仕事の幅をひろげたり、せばめたり、すこしずつ変化を試みているのだが、ついつい楽なほうに流れてしまいがちになる。

 わめぞ民、若手が増え、活躍している。いつの間にか、u-sen君、本の縛り方がうまくなっている。実は、仕事ができる男なのかもしれない。

 ゲストのBOOKONNの中嶋大介くんは、本業はデザイナーだけど、インターネットの古本屋、大阪で「三人の本棚」、あと京都のガケ書房でも古本を販売している。
 まもなくメルマガ「早稲田古本村通信」の連載もはじまるそうです。

 打ち上げの途中、睡魔におそわれ、午後十時前に帰る。七夕の短冊に「体力がほしい」と書けばよかった。

(追記)
 往来座の瀬戸さんに話した雑司ケ谷が出てくる尾崎一雄の小説は「霖雨」でした(『小鳥の聲』三笠書房、『懶い春・霖雨』旺文社文庫にも収録されています)。

2009/07/05

外市初日

 午前九時、十時くらいに寝て、起きると午後三時、四時という生活が続いている。

 予定がまったく組めない。
 疲れもとれない。
 困っている。

 外市初日、池袋往来座に着いたのは午後七時であった。
 後片づけをちょっと手伝って午後八時から打ち上げ。

 起きてから四時間しかたっていない。

 前日も十時間くらい飲んだ。
 からだがだるい。
 こんな生活をしていてはいかんとおもう。

 朝から外市の補充用の本の値付をする。

 京都では今日、山本善行さんの店(古書善行堂)がプレ・オープンする。
 ほんとうにいい本が並んでいるんだろうなあとおもう。
 最近、山本さんの『古本泣き笑い日記』(青弓社)を読みかえした。読み出したら、止まらなくなった。あとがきにじーんときてしまった。

 いつか下鴨古本まつりに(岡崎武志さんと)特別出店したいというようなことも書いていた。
 もし山本さんが下鴨で売る側になったら、両手いっぱいにその日の収穫をかかえて見せびらかしたい。

 あと藤子不二雄の『オバQ』が全集で復活するみたいですね。古本漫画界に激震か?

2009/07/01

今週末は外市

 どうにか六月の仕事をのりきることができた。まだ大丈夫、まだ大丈夫とおもっているうちに、どんどん時間がなくなって、満遍なくすべてのしめきりを遅らせてしまうことに……。

 精神疲労の回復ため、部屋をまっくらにして、ひたすらCDを聴く。スピーカーのコードをつなぎなおしたら、ちょっとだけ音がよくなった気がする。

 夕方、気分転換のため、神保町に行く。三崎市場でかすうどんを食い、神田伯剌西爾でコーヒーを飲んで、田村書店の均一を見に行くと、赤丸羊三クンがいた。
 とりあえず、気がつくまで横に立ってずっと凝視していたら、めちゃくちゃおどろかれた。

 高円寺のアニマル洋子で村上春樹、川本三郎著『映画をめぐる冒険』(講談社、一九八五年刊)を買う。
 次号の『小説すばる』の連載の資料。

 まもなく出る『別冊本の雑誌 SF本の雑誌』は、かなり読みごたえありそうですよ。

 夜、外市の集荷。立石書店の岡島さんと羊三クンが来る。
 天気がちょっと心配だけど、今回は補充も力をいれるつもりです。

 ◎2009年7月4日(土)〜5日(日)
 第15回 古書往来座外市〜軒下の古本雑貨縁日〜
 ゲスト BOOK ONN
 4日⇒11:00ごろ〜19:00(往来座も同様)
 5日⇒12:00〜18:00(往来座も同様)

 詳細はhttp://d.hatena.ne.jp/wamezo/

 最近、リンクの貼り方をおぼえました。

 日本屈指のパブロックバンド(誰が何といおうとそうおもう)、ペリカンオーバードライブが、「サマソニ」に応募していた。最近までメンバーのマサルさん(ベース)も知らなかったらしい。
 もしよかったら、投票おねがいします。
 http://emeets.jp/pc/artist/1664.html

2009/06/30

ここ数日

 仙台から帰ってきて、京都から薄花葉っぱが来る。東小金井の海風で、薄花葉っぱと東京ローカル・ホンクが共演。沖縄そば、泡盛を飲みながら堪能する。
 薄花葉っぱは五年ぶりの新譜『朝ぼらけ』発売記念の東京ツアー、中尾勘二さんもライブ出演。
 ホンクは戸越銀座商店街の歌(「昼休み」)がしみた。
 たぶん気にいるだろうとおもって木下弦二さんに星野博美(戸越銀座出身)のエッセイをすすめてみた。

 月末のしめきり週間に突入しつつ、日曜日に西荻ブックマークの「『昔日の客』を読む」に出席し、二次会にも出る。
 仙台から直行した岡崎武志さん、山王書房の関口良雄さんのご子息の関口直人さん(音楽関係の仕事をしていて、その話もおもしろい)のト−クショー。わたしの席の前には、石神井書林の内堀さん。すぐ横にカーネーションの直枝さん、山王書房の資料集をつくった萩原茂さん、天誠書林の和久田さんと客席もすごい。

 山王書房で野呂邦暢が諌早に帰る前に購入したといわれる『ブルデル彫刻作品集』(筑摩書房、一九五六年刊)を持っていって、会場で見せた。
『ちくま』で『昔日の客』と野呂邦暢の原稿を書いている途中、彫刻にまったく興味がないのに衝動買いしてしまった本なのだが、買ってよかったとおもった。

 二次会で内堀さんが『spin』の北村知之君の文章をほめてた。
 その話を聞いて、そろそろ退屈君もブログ以外の、紙に印刷される形の文章(ミニコミでもなんでもいい)を書いてほしいとおもった。まあ、本人に会ったときにいえば、いいことなのだが、たぶん、そうおもっている人はわたしだけではないはず。

2009/06/23

わめぞ縁日in仙台

 チョコレートを食い、コーヒーを飲み、原稿四本、うち三本を送ってから、新幹線に乗って仙台へ。
 仙台通いをはじめたのはちょうど昨年の六月だった。その後、七月、八月、十二月と今年の四月、六月と一年で六回、仙台に行ったことにある。まだ秋の仙台には行ってない。
 春、夏、秋、冬のすべての季節に行ったことのある土地は、故郷の三重、今住んでいる東京をのぞくと名古屋と大阪と京都の三都市である。
 なんとか今年中に仙台の四季を体験したい。

 火星の庭に着くと、わめぞの古本縁日がはじまっていた。ハチマクラが大盛況だ。
 近所の中華屋でたんめんとぎょうざを食う。
 文壇高円寺古書部は火星の庭で常設なので、何もすることがない。
 そのあと書本&cafe マゼランに行く。
 珈琲を飲んで、本を見て、気がつくと、宴会の時間になる。
 手打ちうどん、カレー、うまい料理が次々と並ぶ。
 赤ワインと白ワインが出てくる。
 食って、飲んで、寝てしまう。起きると、藤井書店のリボー君や白シャツ王子が妙なテンションになっている。

 そういえば、この日、昼、海月書林さん、夕方、マゼランのお客さん、あと宴会中に「寝起きですか?」といわれた。
 一日三回も「寝起き?」といわれたのは、生まれはじめての経験かもしれない。
 ほんとうに寝起きだったのは、宴会中だけなのだが。

 翌日、昼起きて、前野宅の戸締まりをして、火星の庭に向かう途中、道をそれてしまったので、そのまま尚古堂書店をのぞいて、青葉城を見に行く。
 青葉城、坂道がおもったよりたいへんだった。ちょうど帰りぎわに小雨がふりはじめる。
 るーぷる仙台(バス)に乗る。運転手が観光案内(三分に一回くらい笑いをとろうとする。小田和正が東北大学卒であることを知った。あとは忘れた)をしながら走る。
 定禅寺通り市役所前で降り、火星の庭へ。
 瀬戸さんと向井さんが、めぐるちゃんと遊んでいる。

 わめぞ縁日、あっという間だったなあ。
 仙台の人には、本家わめぞの外市、みちくさ市に遊びにきてほしいです。

 打ち上げのあと、東京に帰るわめぞ組を仙台駅で見送って、もう一軒飲んで、前野宅にもう一泊させてもらう。
 次の日、駅前のビルの古本市、ジュンク堂のジュンちゃんに挨拶して、東京に帰る。

2009/06/17

Love is

 仙台の火星の庭、それから七月の外市に出品する本の値付をする。
 蔵書をどんどん入れ替えたい気分。
 本棚(三本ほど)をもらったので、組立作業もした。手作業というのは、気がつくとあっという間に時間がすぎてゆく。

 JR高円寺駅の総武線のホームに、おかしの自動販売機がある。とはいえ、自販機でおかしを買う習慣はなかったので、気にしていなかったのだが、よく見ると、ブルボンの自販機で、関西方面に遊びに行くたびに五袋くらいずつ買い求めていた「羽衣あられ」もあってビックリした。
 三重県の鈴鹿にいたころ、「羽衣あられ」は缶に入ってジュースの自販機で売っていて(という話を人にしても信じてもらえない)、わたしはこのあられが好きだった。

 今週発売の『サンデー毎日』に村上春樹の『1Q84』(新潮社)の書評をかきました。

 書けなかったというか、書かなかったことをいうと、ちょっとしたきっかけで異次元というか異空間にまぎれこんでしまう話といえば、松本零士の漫画でもおなじみのパターンなんですね。主人公のキャラクターが、あまりにもちがうので、まったく似ている気がしないけど、四畳半の畳をめくったり、近所の道の角をまがったりすると、(唐突に)ヘンな世界につながっているというような作品(『四次元時計』『闇夜の鴉の物語』いずれも講談社漫画文庫など)がよくある。

 東京堂書店で橋本治著『大不況には本を読め』(中公新書ラクレ)を購入。『日本の行く道』(集英社新書)の続編としても読める本かも。

 東京古書会館、新宿展の最終日をのぞいて帰る。

 家に帰ると、季村敏夫、扉野良人編『Love is 永田助太郎と戦争と音楽』(震災・まちのアーカイブ発行、みずのわ出版製作)が届いていた。

 五月に扉野良人さんと倉敷に遊びにいった帰り道に神戸のみずのわ出版に寄った。
 スーパーの上の階にある、生活感あふれるというか、貧乏学生の下宿のような雰囲気の出版社で、みんな日本酒を飲んでべろんべろんになって仕事をしていたことをおもいだした。
 永田助太郎(一九〇八年〜一九四七年)は、戦前に『新領土』などの詩誌で活躍していたモダニズム詩人で、鮎川信夫や田村隆一にもすくなからぬ影響をあたえた人物でもある。
《愛は
 みんなの王様ヨ みんなの王様
 最初に渾沌あり
 次いで鳩尾の大地と
 エロス エロスうまれたりとナ
 オオ ララ オオ ララ》(永田助太郎「愛はⅠ」抜粋)
 昔の詩人を紹介するというだけでなく、「スズメンバ」というバンドのメンバーの本田未明と太田泉のユニット「クルピア」が、その詩に音楽をつけ、(即興で)演奏するといった試みもおこなわれている。

 永田助太郎を知らない人に、いや、そもそも詩自体に興味のない人に、そのおもしろさをどう伝えるか。
 かなり斬新な実験をしている本だとおもう。

2009/06/13

わめぞと仙台その他

「空想書店 書肆紅屋」で、上り屋敷会館で開催されたシークレットワメトーク「Take off Book! Book! Sendai!」の模様を公開。労作にして傑作(会場でものすごく集中しながら、紅屋さんがメモをとっていた姿が忘れれない)。

「一箱古本市」「ブックオカ」「ブックマークナゴヤ」「外市」といった一般参加型の古本イベントが出てくるまでの流れの話、向井さんの古本業界の現場報告(分析が鋭い)はいろいろ考えさせられた。

 その日、わたしも会場にいて、二〇〇二年十月にリブロ池袋&青山店でおこなわれた「本屋さんでお散歩〜『sumus』が選ぶ秋の文庫・新書100冊」フェアのことが語られ、懐かしくおもった。青空古本市の『古本共和国』に『sumus』同人が関わったのも同じころだったんですね。

 関係ない話をすると、ちょうどそのころ、結婚した。当時、定収入はないわ、貯金はないわ、この先どうなるんだという状態で、毎月、古本とCDを売って家賃を払っていた。一日二、三枚の原稿を書くと疲れて何もできず、この先、ライターとしてやっていけるのかと悩んでいた時期でもある。

『sumus』関係の話では、この年の秋、山本善行さんの『古本泣き笑い日記』(青土社)が刊行、岡崎武志さんが国立に引っ越し、あと年末に林哲夫さんの『喫茶店の時代』(編集工房ノア)が、大衆文学研究賞を受賞している。

 シークレットワメトークで、古本ヒエラルキーの変化の話を聞いていて、中央線沿線住民としては「おに吉」のことが抜けているかなともおもった。

 二〇〇〇年代以降、中央線沿線(とくに西荻窪)で新しい古本屋がどんどん開店しはじめたのも、今おもうと古本業界の変化の兆しかもしれない。当時はまったく気づいてなかったが。

 いろいろ記憶を補うために、火星の庭のホームページの二〇〇六年十月の「晩秋の東京行脚」(前編・後編・最終編)を読み返したら、当時の前野さんの行動力もすごい。
 秋の一箱古本市(写真に塩山さんらしき人が)、神保町の古書会館に寄って、次の日、海月書林があった荻窪の「ひなぎく」、その後、ささま書店(レジにNくんがいた)、高円寺の古本酒場コクテイル、それから荻窪のボーリング場に行って、わたしもそこに合流して、そのあと居酒屋で飲んだ。

 さらに次の日、早稲田の古書現世、経堂のロバロバカフェ、青山の古書日月堂とまわって、仙台に帰っている。
 まさに怒濤というかんじだ。

 あとワメトークで、人のつながりの源流みたいなものが、ほとんど南陀楼綾繁さんにつながるという古書現世の向井さんの話も印象に残った。

 わたしが向井さんと知り合ったのも南陀楼綾繁さんが主宰していた「ブックマンの会」がきっかけだった(とおもう)。古書現世には行っていたが、ちゃんと話をしたことはなかった。

……というわけで、BOOK! BOOK! Sendaiの告知を——。

BOOK! BOOK! Sendai × わめぞ from 東京 コラボイベント
古本縁日 in 仙台 〜〈わめぞ〉の古本・雑貨市〜

古本あり雑貨ありの古本縁日が東京から大移動して、仙台のブックカフェに初登場!マゼランと火星の庭に、「わめぞ」の古本と雑貨がドーーンと並びます。どなた様もたのしめる敷居のひくい縁日気分の古本市です。

■日時
2009年6月20日(土)〜21日(日)
■会場
book cafe 火星の庭  http://www.kaseinoniwa.com/
6/20 11:00〜20:00  6/21 11:00〜17:00
書本&cafe magellan(マゼラン)http://magellan.shop-pro.jp/
6/20 10:00〜19:00  6/21 11:00〜17:00
*2会場ともに入場無料(予約不要)
 

■こちらも併催しております!
武藤良子個展「みんな夢の中」
6月18日(木)〜7月6日(月) 会場・火星の庭

また6月27日(土)には、仙台のサンモール一番街で「一箱古本市」も開催します。
11:00〜17:00

問合せ先:杜の都を本の都にする会
BOOK! BOOK! Sendai http://bookbooksendai.com/
わめぞ http://d.hatena.ne.jp/wamezo/

2009/06/11

ひとりっこのツケ

 月曜日、BOOKONNの中嶋大介さんと退屈君、火曜日、扉野良人さんとPippoさんが高円寺にきて部屋飲み。扉野さん、Pippoさんとはいろいろ詩の話をしたのだが、まさかヘルマン・ヘッセの話でもりあがるとはおもわなかった。

 辻征夫の『かんたんな渾沌』(思潮社)の「谷川俊太郎についてのいくつか」という論考を再読した。
 谷川俊太郎はひとりっこで、そのせいかどうはわからないが、他人とどろどろするような関係に入らないし入れなかったと語っている。

《つまり、自分の鬱屈とも無関係でいられたみたいなさ、ま、それはたぶん、心理学者がいいうみたいに、母親に充分に愛されて一人でも安定していたということだと思うんですね》

 そう自己分析したあと、「ぼくはいま、そのツケを払っているんですよ、いってみれば」とつけくわえる。
 谷川俊太郎が払っているという「ツケ」がなにかはすごく気になる。

 意識の中では、人間との関係に入っていかなければならないとおもっている。それで入っていくのだが、どこか距離がある。
 四十代のはじめごろ、「私は私は」という自己表現の呪縛から逃れたという。
 ただし——。

《詩人の主体というのかな、どう生きるべきかみたいな、そういうものを根源に置かないとね、どうも詩が駄目だという感じがあるんですよ。いつでもその間を揺れ動いて来たんですね》

 この「揺れ動いて来た」という言葉にはっとさせられた。
 谷川俊太郎が、そういったことを考え、試行錯誤していたのは、四十代のはじめごろだった。

 わたしは詩を書いているわけではないが、昔とくらべれば、文章も自分の考え方も安定してきたとおもう。同時に谷川俊太郎がいうところの「主体」も、以前とくらべて弱くなってきた。
 不安定だけど(不安定だからこそ)、おもしろい文章がある。
 安定しているようにおもえるのは、いいたいことがこんがらがってうまく書けないことをはじめから書かず、書きやすいものだけを書いているからかもしれない。

 目先の仕事におわれて「どう生きるべきか」をかんがえなくなっている。「思想」あるいは「文学」にとって、いちばん大切なことは「どう生きるべきか」という問いのような気もする。

2009/06/07

おぼえがき

 最近、仕事のあいまの休憩所として、高円寺南口のルネッサンスという名曲喫茶に行くようになった。おそらく店の人は、中野の名曲喫茶クラシックの元関係者とおもわれる。最初に代金を払うシステム、調度品、レコード、いずれもクラシックを知っている人なら、きっとなつかしいとおもうにちがいない。ただし、床は傾いていない。

 ルネッサンスに行く前、都丸書店、大石書店、アニマル洋子をまわる。頭が古本の棚に反応しない。
 散歩を続ける。中通り商店街に行くと、素人の乱で味二番のイスが売っていた。味二番は、素人の乱の向いの、カツ丼やオムライスやカレーもある中華屋で、上京当初、すぐ近所に住んでいて、とにかく安かった。
焼きめしをよく食った。
 上京して半年ほど住んだ下赤塚の寮から高円寺に引っ越したときに、友人が味二番の角で車をぶつけて、修理代十三万円……。以来、引っ越しは“台車”でするようになった。

 何年か前に、中通り商店街のかきちゃんというラーメン屋もなくなった。この店のからあげラーメンとスタミナ丼が大好物だったので、閉店を知ったときは悲しかった。

 古本酒場コクテイルの石田千さんとのトークショーもどうにか終了。
『きんぴらふねふね』の話にもっていかなくてはとおもいつつ、ひたすら雑談になってしまった。
 仙台からブックカフェ火星の庭の前野さんが上京する。
 後半、東京堂書店の畠中さんにも挨拶してもらった。

 週明けのしめきりがいくつかあり、午後十一時すぎくらいに帰る。

 翌日もコクテイル。バサラブックスの福井さん、アスペクトの前田くんと飲む。

 午後十二時すぎに、火星の庭の前野さんも合流(新宿で南陀楼さん、古書現世の向井さんたちと飲んでいたらしい)し、コクテイル閉店後、前田くん、前野さんと三人で部屋飲みになる。前野さん、酒、強すぎる。午前四時、解散。

 土曜日、自分でも酒くさいのがわかるくらいの状態で仕事。まったくはかどらず、『カラスヤサトシ』(講談社)の四巻を読む。

 カラスヤサトシが宇野浩二のファンであることを知る。 

2009/06/01

六月

今日から仙台で「Book! Book! SENDAI 2009」がはじまります。
わたしも「わめぞ」の「古本縁日 in 仙台」(六月二十日、二十一日)にあわせて、仙台に行こうとおもっています。
ブックカフェ火星の庭の「文壇高円寺古書部」も大補充しますよ。

すこし先ですが、七月から河北新報の夕刊で隔週で二ヶ月間、エッセイを連載することになりました。

それから六月四日(木)、古本酒場コクテイルにて、石田千さんの『きんぴらふねふね』(平凡社)の刊行記念トークショーを行います。
開場:午後七時、開始:午後七時半。チャージ千円(要予約)。
聞き手はわたしです。

古本酒場コクテイル 店長日記(http://blog.livedoor.jp/suguru34/)に
店の電話とメールアドレスが出ています。

2009/05/27

倉敷・牛窓・神戸・京都

 先週、倉敷の古本屋の蟲文庫で、友人のインチキ手まわしオルガンミュージシャンのオグラさんのライブを見るため岡山へ。

 ライブ前日、インターネットで三千円ちょっとで大浴場とサウナ、朝・夕食付の岡山市内のホテルを見つけ、そこに宿泊。次の日、万歩書店の東岡山店に行ったあと、倉敷に向かう途中、大雨が降ってきて、そのまま電車に乗って、総社でうどんを食う。

 総社から倉敷にもどると、小雨になっていた。美観地区をちょこっと観光して、ジャズ喫茶で休憩し、蟲文庫に行く。一年以上前から、ずっと実現させたいとおもっていた念願のオグラさんのライブである。といっても、おもっていただけで、わたしは何もしていない。これまでわたしが見たライブの中でも、屈指といえるくらいの熱演で、詩がからだに響いてきて、ぞくぞくしっぱなしだった。

 浅生ハルミンさんの猫ストーカーの本に触発されてつくったという曲、二度目のアンコールのときに歌った「詩人誕生」をはじめ、選曲もすばらしかった。オグラさんのライブで、コールアンドレスポンス(ちょっと照れくさかったのか、笑いに走っていたけど)があったのは、ほんとうに珍しい。

 ライブの写真を撮っていたカメラマンの藤井豊さんに、カブトガニ博物館に勤務する友人(藤井さんの幼なじみ)を紹介してもらう。十年くらい前に藤井さんは、わたしの部屋のすぐ近所に住んでいて、しょっちゅう遊びにきていた。そのころから、よくカブトガニ博物館の友人の話を聞いていて、ずっと会いたいとおもっていたのだ。

 山に行ってサメの化石を発掘することが趣味らしく、ほとんど毎週のように、六、七年通いつめて、はじめて見つけたときには雄叫びを上げたそうだ。

 ライブのあと、Uさんというハンサムな青年も紹介される。こんど岡山にきたときは万歩書店をいろいろ案内してくれるという。よろしくおねがいします。社交辞令ではないことを祈りたい。

 ライブのあと、蟲文庫の田中家に扉野良人さんといっしょに泊めてもらい、翌日、藤井さんの車で“日本のエーゲ海”といわれる瀬戸内海の牛窓に連れていってもらう。それから神戸の海文堂書店に行き、みずのわ出版をまわる。三ノ宮の駅前で、若者がマスクをバラで売っていた。北村さんも働いていた。みずのわ出版で、扉野さんが仕事をしているあいだ、藤井さんと元町のガード下を散歩する。そのあと、電話がかかってきて、みずのわに行くと、さっき牛窓で買ったばかりの千寿のにごり酒が一本空いている。まったく仕事にならなかったようだ。

 藤井さんには神戸まで送ってもらう予定だったのだが、ここまできたら、いっしょに京都まで行こうということなり、扉野宅にお世話になる。翌日、仕事に出かけた扉野さんを見送り、四条から出町柳まで藤井さんと散歩し、恵文社一乗寺店とガケ書房を案内する。

  ガケ書房で来月オープン予定の山本善行さんの古本屋の場所を教えてもらい、見に行くと、ちょうど店の前に山本さんがいた。山本さんの店は、ガケ書房から歩いて五分くらいの今出川通り沿いにある。京都に遊びに行く楽しみが増えた。

 夕方から東京で仕事があったので、金券ショップで新幹線の回数券を買おうとしたら、店員さんに「今日、おつかいになるのでしたら」と期限ギリギリの東京・京都間の乗車券・指定席券(「見合せ」と印字されているもの)を五千円で売ってもらった。こんなこともあるんですね。もちろん買いました。

              *

 ええっと、それから。旅行の一週間前にわめぞのフリーペーパーの創刊準備号で仙台を特集するというので原稿を書いた。すると、倉敷行の直前に武藤さんから、ほぼ全面リライトしてほしいという趣旨のメールがきた。武藤さんのいうとおりに一から書き直したところで、たいして変わらないというか、自分が作りたいとおもってはじめたことである以上、何でもいいから武藤さん自身の文章を載せたほうが格段に面白いものになるとおもったので「原稿はボツにしていいから、今すぐ仙台に行って自分で書け」というような返事を送った。

 そのメールが武藤さんをかなりへこませしまったようで、わめぞ関係者にも多大な心配をかけてしまったみたいで、申し訳なくおもっているのだが、結果はいい方向に出たのではないかと……。

 というわけで、今週末、五月三十日(土)、三十一日(日)の「第十四回 古書往来座 外市 〜軒下の古本・雑貨縁日〜」(今回のゲストはBook! Book! SENDAI! 詳細は、http://d.hatena.ne.jp/wamezo/にて)で、「武藤良子、渾身の仙台ルポ」掲載のフリーペーパーが配付される予定です。こうご期待!

2009/05/21

大人の知恵

 一年二年と月日が流れるうちに、自分の書いた文章や思考の欠陥が、大きく浮び上がってくる。書かなければ、そのことに気づかない。そのときそのときはわかった気になっていたことも、時間とともにどんどん更新されてゆき、何年か経つとすっかりちがう考えになっていることがある。

 たとえば、二十代のわたしは、旅行のさい、お金をかけずに時間をかけたほうがいいとおもっていた。目的地に普通列車で行けば、途中の景色も楽しめるし、その間、本も読める。ただし、移動による疲れで、目的地に着いてから、十分に活動できないこともよくあった。新幹線で行けば、お金はかかるし、旅情のようなものは味わえないが、体力が温存できるし、目的地に着いてからの時間も長くとることができる。

 お金と時間と体力その他を計算して、よりよい手段はなにかと考え、そのときどきの最善を選んだほうがいい。そんな当たり前のことを今さらとおもう人もいるかもしれないが、四十歳を前にわたしはようやくそのことに気づいたのだ。何年かしたら、また考えが変わるかもしれない。

 住まいについても、いろいろ優先事項が変わってきた。二十代のころはどうせ仕事場に泊って家に帰らないのだから、なるべく安い部屋がいいと考えていた。風呂なしでもいいから、本をたくさん置ける広い部屋がいいと考えていた時期もある。しかし今は自分の希望と同居人の希望の折り合いをつける必要がある。そうしなければ、生活が成り立たない。

 そのうちまず折り合いのつくような条件を考えるようになった。だんだん、その条件に合わせて、自分の考えや行動を変えることに慣れた。むしろそのほうが楽かもしれないとさえおもえるようになった。

 結論を保留することはあっても思考を停止させない。常に変化を前提にして考える。

 入念に計画して準備が整うまで動かない、行き当たりばったりでもいいから動く、どちらがいいのかという問題がある。

 わたしは慎重かつ小心ゆえ、行き当たりばったりで行動することが得意ではない。何も考えずに行動しているようにおもえる友人を見ていると、いつもハラハラする。しかし、これも長い目でみると、計画派と行動派、あるいはそのバランスをとる派のどれがいいのか、その人の向き不向きもあるし、ケースバイケースだ。

 苦手なことは人にまかせたり、逆に相手の苦手なことを引き受けたり、何でもかんでも自分でやろうとしないことが、大人の知恵だろう。ただ、一度、いや、二度か三度か、何でもかんでも自分でやってみるという経験なしには、なかなか大人の知恵は身につかない。はじめから分業に徹すると、自分の中に眠る可能性、ほんとうの得手不得手に気づかずに一生終えてしまうこともある。もちろん幸せならそれでいい。

 だからこれから何かしたいと考えている若い人には「とりあえず、やってみれば?」ということにしている。失敗は失敗で次の糧にすればいい。自分のことになると二の足を踏むことが多いが、そうおもう。

2009/05/18

初台でyumbo

 先週はずっと高円寺ひきこもり状態。うどん、焼きそば、ラーメン、スパゲティと麺類ばかり作っていることに気づく。
 家飲み用(寝酒用)のウイスキーがなくなり、OKストアに角を買いにいく途中、気がかわって、たまにはちがう酒を買ってみようと、駅前の酒屋でエズラブルックス(アルコール分四十五度)を購入した。
 円高のせいか、洋酒、輸入食材が安くなっている気がする。

 日曜日、初台の東京オペラシティの中にある近江楽堂で、yumboの“甘い魂”発売記念のリリースパーティに行く。同じくyumboファンの浅生ハルミンさんといっしょに招待してもらったのだ。
 京王新線に乗るのは何年ぶりだろう。新宿駅でちょっと迷いそうになる。

 ライブは、事前にリクエストをしていて、ベストテン形式で曲を演奏。十四曲+一票しかはいらなかった曲のメドレー、アンコール二曲。ゲストミュージシャンも何人かいて、ステージは十人くらいの編成になることもあり、しかも曲ごとに楽器が変わり、どこからどんな音が出てくるのか予想がつかない。
 何度かライブを見て、CDも聞いているけど、見るたびに曲の構成がすこしずつちがっていて、変幻自在というか、ものすごく緻密に計算されたとおもわれるのに野放しでやっているようにかんじられる演奏に、翻弄されっぱなしだった。

 帰りの電車、マスクしている人がいっぱいいた。

2009/05/11

高円寺界わい

 先週末、音羽館に行ったら、『長谷川七郎詩集』(皓星社、一九九七年刊)を見かけた。

 長谷川七郎は、高円寺に住んでいたこともある詩人で、アナキスト詩人の植村諦、岡本潤、また菅原克己とも交遊があった。
 とはいえ、わたしはその名前を知るだけで、詩を読んだことがなかった。なんとなく、高円寺の詩があるんじゃないかと頁をめくっていたら「高円寺界わい」と題した詩があった。

  看板は喫茶店だが
  酒も飲ませたし
  なにより女がごろごろしていた
  ロートレアモンを気どったへっぽこ詩人が
  目のまわりに隈のできた女を相手に
  《毒素》とがなって酒を呷っている
  潜伏中の共産党員が
  度の強い近眼をしょぼつかせて
  出稼ぎ女をねちこく口説いている
  野獣派の絵描きくずれが
  酒場づとめの女房から
  飲み代をせびってくる相棒を待って
  いらついている
  洋服屋のひものうれない文士が
  隅の方でとどいたばかりの《ヴォーグ》や
  《アーバス バザー》を
  女のためにせっせと訳している
  絵描き 音楽家 文士 新聞記者 その他正体不明
  見まわしてまともなやつはいない
  いつもきまった顔ぶれで
  がやがや夜が更けてゆく

 この詩がおさめられた詩集『演歌』は一九八七年、長谷川七郎、七十四歳のときに刊行されている。
 年譜によれば、長谷川七郎が高円寺の喫茶店に下宿していたのは一九三〇年代なのだが、そのころ中央線沿線にいたかもしれない「洋服屋のひものうれない文士」のことが気になる。

 今はそれを調べる時間がない。

2009/05/09

無理は承知

 東京に戻ってから、中野高円寺阿佐ケ谷を散歩する以外、ほとんど家でごろごろしていた。体力と気力の回復に専念。脳細胞が減った気がする。

 休日にやりたいこと掃除と本のパラフォンがけというのはどういうことなのか。欲望とか意欲とかそういうのがないといかんとおもう。気がつくと、古本屋通い、本を読むことが惰性になってしまう。

 過去にも新しいことに興味がもてなくなる時期があった。そういうとき、どうしていたかというと将棋とか音楽とか漫画とかに走っていた。でも、それもすぐマンネリ化する。

 新しいことをはじめたいなとおもうと、人があんまり興味をもたないような地味なことだったり、すっとんきょうなことだったり、なんとなく、すきま産業みたいなことになってしまう。なんかちがうぞとひっかかる。マイナーなことはもういいや。夜中、ふとそんなことをおもう。年に何回かそんな気持になるのだが、結局、自分は地味なものが好きなことを再確認する。

 十年二十年といい仕事を続けている同業者をいろいろ見ていておもうのは、サービス精神が旺盛な人が多いということだ。自分のこと以外にも、時間、金、労力を払っている。いろいろな損を引き受けている。自分のやりたいことをやろうとおもったら、恩や義理の積み立てがあるのとないのとではずいぶんちがう。遠回りが近道というか、なんというか、経験を積むと、いろいろ処理速度が上がる。処理速度が上がると、これまで無理だったことが、無理ではなくなる。とはいえ、無理しすぎると潰れてしまう。

 そういうことも経験を積まないとわからない。年に何回か、仕事量を増やして、自分の限界に挑戦してみようという気持になる。ちょっと忙しくなると仕事を断り、その後、まったく依頼されなくなって、気がつくと生活に困るということを繰り返してきた。若いころ、もうすこし無理していたらよかった。無理をすることによって身につく能力を軽視していた。

 仕事にとりかかるまでに時間がかかりすぎる。四十前にして、この問題に取り組むのはけっこうきつい。

2009/05/03

帰省して

 四月二十八日(火)から京都へ。二十九日(水)に出発するかどうか迷っていたのだけど、仕事も終わって、ぷらっとこだまのチケットがとれ、あとネット予約するとホテルが格安になることを知り、行ってしまえということになった。

 京都に着いて、ブックオフに行って、ラーメン食って、酒飲んで、寝た。

 翌日、徳正寺でパーティー。京都のミュージシャンが次々と登場する。オクノ修さん、かえるさんの歌を至近距離で堪能した。

 近鉄電車の中で読む本を買いにジュンク堂へ。『橋本治という考え方』(朝日新聞出版)を買う。前作よりもトーンダウンしている気がする。いつもより思考のうねりが少ない。疲れているかんじがする。感想は後日また。

 三重に帰省。父が仕事をやめたというか、自動車産業の大不況で年金生活になる。

 十八歳から六十八歳まで、途中、失業期間があったようだが(わたしが生まれたころ)、五十年も働き続けた。企業年金は五〇%くらいカットされるらしい。頼りにならないひとり息子の親は大変である。

 それから家の近所が様変わりしていた。家から歩いて数分のところにブックカフェがオープンし、リサイクルショップとインターネットカフェ、「古本ラッシュ」という大きな新古本屋もできていた。万代書店の系列店のようで、漫画、ゲーム、フィギュア、CD、DVD、古着、釣具から金、プラチナの買い取りまで、何でもありの店だった。

 巨大リサイクルショップが並ぶ通りを歩いていると、この先、新しいものを作らなくても、今あるものを再利用するだけでも、生きていけるのではないかとおもえてくる。  

 あと前からおかしいとおもっていたのだが、母は家を出て以降のわたしに関する情報を一切知りたくないということがわかった。今の自分の話をしようとすると、突然、まったく関係ない話(テレビの話とか地元の選挙の話とか)をまくしたて、何もしゃべらせまいとする。わざと、というより、本能でそうしているかんじがした。悪気はなく、ただ、理解できないものを拒絶しているにすぎない。

 長年の疑問が氷解したのはいいが、対処の仕様がない。両親の家に一泊し、午前中に名古屋に出る。リブロ名古屋店に寄ってから、それから上前津、鶴舞の古本街をまわった。

 いつもこのパターンだ。帰省のストレスで大量に古本を買ってしまうのも……。

2009/04/28

みちくさ市雑感

 第一回みちくさ市、終了。今回は「わめぞ」枠の第2みちくさ案内所の一角で出品させてもらった。
 JR中央線で新宿に出て、丸の内線の新宿駅の改札をとおってから、副都心線への乗り換えが新宿三丁目駅であることに気づく。駅員さんに「まちがえました」というと、「丸の内線で新宿三丁目まで行ったほうが早いですよ」と教えてくれた。たしかにそのほうが楽だった。
 
 四月末、連休進行の正念場だったので、飲まないようにしようと気をつけていたのだが、レジをしているときに、隣のうすだ王子が、ずっと氷結をうまそうに飲んでいるのにつられ、豊島屋のレバ−をつまみに飲みはじめてしまう(すぐちかくに酒屋があったのもいけない)。

 途中、池袋の古書往来座、あと読売新聞夕刊(月)の「ベストセラー怪読」(四月からだいたい月一で執筆することになりました)で紹介する本を買いにリブロとジュンク堂に行く。
 往来座でずっとさがしていた『BGM(ブックガイドマガジン)』の第二号を見つけた。
 一九九〇年ごろの雑誌で、三号で終刊。一号と三号は持っていて、二号だけ未入手だったのだ。
 編集人は東雅夫。創刊号は澁澤龍彦の特集で、新刊書店で買った記憶がある。

 あとパート2だけ持っていた講談社文庫版の殿山泰司著『三文役者あなあきい伝』のパート1を立石書店の棚で買う。
 ちなみに講談社文庫版のパート1の解説は吉行淳之介、パート2は金井美恵子。

 上・下巻の単行本や文庫、全集、雑誌のバックナンバーなどをバラで買って、揃ったときはほんとうに嬉しい。いちおう財布の中に、メモをいれているのだが、ときどきまちがえて、すでに持っているほうを買ってしまうこともある。

 この日、商店街を二往復する。夕方、あちこちで値引合戦がおこなわれていた。

 片づけ作業中に、古書荒川の小林亜星著『あざみ白書』(サンケイ出版)が目にとまる。
 背表紙では気がつかなかったが、表紙(本文の絵も)が滝田ゆう、裏表紙には吉行淳之介の「失われたものへの墓碑銘」という評が載っている。
 赤線地帯の女性について回想しているエッセイ集。
 やっぱり本は手にとってみないとわからない。

 この二ヶ月で、ブックマークナゴヤ、外市、月の湯、みちくさ市と四回の古本イベントに出品した。
 古本好きのあいだでは昔から「本は買うより、売るほうがむずかしい」といわれているが、古本イベントに参加するようになって、売れる本を買うこと、それに値段をつけることのほうがもっとむずかしいとおもうようになった。

 売れる本、売れない本の潮目のようなものが変わる。その変化がどんどんはやくなっている。
 その変化に対応していったほうがいいのか。独自路線をきりひらいたほうがいいのか。
 自分の興味関心と今の売れ筋みたいなものとのあいだにはズレがある。ズレが生じるのはしかたがないけど、どのくらいズレているのかは知っておきたい。

 それは文章を書くこと、古本を売ること、両方に通じる課題ではないかという気がしている。

2009/04/26

晴れました

昨日、雨天順延になった「第1回 鬼子母神通り みちくさ市」が、本日二十六(日)開催されます。
午前十時から午後四時。

詳細は、みちくさ市ブログ
http://kmstreet.exblog.jp/

主催・鬼子母神通り商店睦会
協賛・わめぞ

仕事を片づけしだい向います。
……すみません。

2009/04/18

イギリスのコラム

 岩波文庫の新刊を発売後すぐ買うことはあまりない。
 たいてい刊行して数ヶ月後、あるいは古本屋で見かけるまでガマンする。
 ただし、この四月に発売された行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選』(岩波文庫)は例外である。新刊案内で知って、刊行を待ちわびていた。

 コラム傑作選とあるが、内容はエッセイ文学といわれるものだ。
 わたしはアメリカのアンディ・ルーニー、ビル・ブライソンのコラムが好きで、ひまさえあれば、再読しているのだけど、その源流は、このイギリス・コラム選におさめられているような文章にある気がした。
 もっともさかのぼることもできるかもしれないが、よくわからない。
 巻末の訳者解説に、チャールズ・ラム、ウィリアム・ハズリット、リー・ハントの名が出ている。
 ラム、ハズリットは、翻訳が出ているが、リー・ハントは知らない。

『たいした問題じゃないが』には、ガードナー、ルーカス、リンド、ミルンの四作家のコラムがおさめられている。
 最初の「配達されなかった手紙」(ガードナー)でいきなりまいった。

 ポケットの中から、二週間前に書き、投函しそこねた大事な手紙が出てくる。
 自分が手紙を出し忘れていることを知らずに、相手からの返事を待っていた。そんなうっかりミス、小さな誤解から、人間関係がちょっとギクシャクしてしまうという話。
 誰にでも身におぼえのあることではないかとおもう。
 そこからの教訓のひきだし方も絶妙で、読後、いろいろなことを考えさせられる。

 ガードナーの「怠惰について」の書き出しを紹介したい。

《自分が怠惰な人間なのではないかという、嬉しくない疑惑を以前から抱いていた。一人でそう思っていた》

 読みたくなりませんか?

 リンドの「時間厳守は悪風だ」には、次のような辛辣(?)な一節があった。

《時間厳守の人は、時間を守らぬ者が経験することについて、まったく想像できないと思う。どんなに体力を消耗させ、どんなに胸をどきどきさせるか、見当もつかないだろう。遅れるのが好きで遅れているのだと考えているようだ》

 ほかにも「冬に書かれた朝寝論」など、リンドのエッセイは、タイトルからしてすばらしい。

 日本でいえば、遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介らの「軽エッセイ」も同じ路線かもしれない。『ぐうたら生活入門』『なまけものの思想』『軽薄のすすめ』といったタイトルも、ガードナーやリンドの精神に通じる。

 それをコラムというかエッセイというか随筆というか身辺雑記というかは、たいした問題じゃない。

2009/04/16

衣替え

 衣替えと本棚と資料のコピーを整理していて、二日つぶれる。
 それでもまだ片づかない。
 押入にしまっていた服(ズボンも)を出すと、くしゃみが止まらなくなるので、掃除をしながら、ずっと洗濯していた。
 ひたすら現状維持に時間や労力をさいている気がする。

 東京の四季は、春と秋がひと月ずつへって、夏が五ヶ月くらいある気がする。
 数年前、いわゆる「秋冬もの」の薄手のコートを買ったのだが、一週間ちょっとしか着ていない。
 ストーブと加湿器はしまったが、コタツはまだ出ている。

 ライターの仕事は、原稿を書くだけでなく、校正の時間も考慮しなければならない。
 月末にしめきりが重なるので、ほかの原稿を書きながら、前の原稿の直しをすることがよくある。
 連休進行、年末進行のときは、いつも混乱する。

 毎日、睡眠時間が四、五時間ズレる。

2009/04/10

枝を伸ばす

 いろいろやらなくてはいけないことがあるのだが、仙台で買った本を読みふけってしまい、何もできない。

 火星の庭では、藤子不二雄著『トキワ荘青春日記』(光文社カッパノベルス)があった。帯付、はじめて見た。状態も新品同様。どうしてもほしくなり、買うことにした。

 マゼランでは石ノ森章太郎の『絆 不肖の息子から不肖の息子たちへ』(鳥影社)を買い、これは帰りの電車から、メモをとりながら読んだ。
 石ノ森章太郎は、漫画家(萬画家というべきか)ではなく、ほんとうは映画監督か小説家になりたかった。
 忙しい仕事のあいまに、膨大な量の本を読み、映画を見ていた。

《自分を語るという作業には、ある種の過剰感(プラス)と欠落感(マイナス)みたいなことが必要なんだろう。いつもバランスをとってしまう僕には、やっぱり自分語りの適性がないのかもしれない》

『絆』は、膨大なインタビューをライターが構成したもので、若い世代に向けたメッセージがたくさんつまっている。

《壁を越えるのはちょっと苦しいけれど、越えればそこには必ず新しい世界がある。それを見られるだけでも楽しいじゃないか。人生は木のようなもので、まっすぐに伸びた幹だけの木より、枝があちこちに伸びている木のほうがおもしろい。まっすぐな幹をスルスル昇っていくより、枝々をいろんな方向に伸ばしたほうがいろんな方向が見渡せて人生が何倍も楽しめるぞ》

 このところ、ひまさえあれば、「自分の仕事の幅をひろげるべきか、しぼりこむべきか」というようなことを考えていた。ひろげたほうがいいという人もいるし、しぼりこんだほうがいいという人もいる。わたし自身、あれはしない、これもしない、とすぐ限定してしまう癖がある。

 四十歳手前になって、昔の失敗その他、いろいろ横道にそれたことが、無駄、無意味ではなかったとおもえるようになった。
 石ノ森章太郎のような枝の伸ばし方は、まず不可能なのだが、自分なりにいろいろ枝を伸ばしてみようかなと……。

2009/04/08

仙台古本の旅

 日曜から水曜まで仙台に行ってました。またです。これといった用もなくです。
 火星の庭の文壇高円寺古書部の売り上げが交通費と酒代くらいになったので遊びにいきました。

 火星の庭の前野さん、書本&cafeマゼランさん、本にゃら堂さんと和民で飲み(本にゃら堂さんが話し上手で、古本屋開業前の話が壮絶で笑わされっぱなしだった)、前野家に泊る。
 六月一日からのBook! Book! SENDAIも着々と準備がすすんでいるようだ。

 月曜。またというか毎度のことだけど、起きたら、誰もいない。昼二時くらいまで熟睡していた。
 本にゃら堂に寄って、火星の庭、それからマゼランに行って、愛子開成堂書店に連れていってもらう。愛子は「あやし」と読む。地名だ。
 萬葉堂系列(?)の古本屋で、二階建て、蔵書も十数万冊。
 途中、立ちくらみがするくらい、本棚に集中した(もっともまだこれが序の口であることは後に判明)。
 そのあとyumboの澁谷さん宅で小宴会。

 火曜。また熟睡し、ひとり前野家を出て、火星の庭にむかう。
 そのあと秋保温泉のちかくにログハウスの古本屋があるというので連れていってもらう。ゆめの森というアトリエやカフェが何軒か集まっているところにある森遊舎という店。
 本だけでなく、衣類、雑貨も販売している。
 売っている本も値段も、三十年ほどタイムスリップしたみたいな店だった。一九七〇年代くらいの単行本、文庫、漫画がすべて五十円か百円なのである。
 ビックリですよ。しかも客がいなくて、よりどりみどり。カゴいっぱい、四十数冊買ったけど、会計は二千円ちょっと(百円の本もすべて五十円にまけてもらったみたい)。
 揃いじゃなかったけど、寺田ヒロオの漫画文庫もありました。
 大満足。もう心おきなく東京に帰れるなあとおもっていたら、前野さんが、もう一軒、大きなリサイクルセンターでも古本が売っているというので、その店にも連れていってもらった。

 こんどは全品、定価の二〇%で販売だという。こちらも一九六〇年代から八〇年代くらいの絶版本がゴロゴロしていた。
 二店舗で百冊くらい買ってしまったかもしれない。自分の買った本の量におどろく。

 夜、仙台駅前で飲み会。河北新報の人を紹介してもらう(本好きの人で話もおもしろかった)。
 この日、帰るつもりが、帰れなくなり、もう一泊することに……。

 帰宅すると、NHK名古屋放送局からFAXが届いていた。
 ラジオの朗読コーナーで『古本暮らし』のエッセイを紹介してくれるそうです。
 四月二十五日(土)、NHKラジオの「中部あさいちばん」(午前7時40分〜午前8時。東海、北陸)です。

 帰りの新幹線で、旅行のときにもっていく小さなメモ帳を読んでいたら、一年くらい前に「移動しながら考える」と書いていた。  

2009/04/05

好きな文章

 仕事漬けの一週間、ようやく峠が見えたかんじだが、月の湯の古本市に間に合わず。
 でもすこしだけ打ち上げには参加した。

 ブックマーク・ナゴヤの本も返ってきた。売り上げ冊数は一二一冊(補充あわせて二〇四冊中)だった。六割ちかく売れた計算になる。といっても、ほとんど三〇〇円〜五〇〇円の本。

 初心にかえり、自分が買ってもいいとおもう値段にしたのがよかったのかもしれない。でもなんといっても、自分の好きな作家の本が売れるのはうれしい。
 尾崎一雄と吉行淳之介は、あわせて二〇冊くらい出しほとんど完売。やっぱり、一冊読むと、ほかの本も次々と読みたくなるような中毒性のある作家は強い。

 そういう文章が書けるようになりたいとおもう。

 その作家の声がするような文章が好きだ。上手いにこしたことはないのかもしれないけど、それだけではすぐあきてしまう。

 最近、好きなのは滝田ゆうの文章かなあ。

《先ず、深ァーく息を吸ってェー、それからハイ、肩の力を抜いて「フホー……」と息を吐き出す。これ深呼吸みたいだけど、そうではありません。溜息です。
 その思わず出る溜息のもと。金欠病。まったくふところ具合が淋しいというのはいやですね。眼にうつる、まわりの風景までも、やたら淋しく見えてくる》(「聖しこの夜」/滝田ゆう『昭和夢草紙』新潮社)

 天才としかいいようがない。

 もうすこし続きを書きたいけど、これから出かけます。

2009/04/01

月の湯、出品します

 今週末、四月四日(土)、「月の湯古本まつり」があります。

(銭湯)月の湯
文京区目白台3−15−7
11:00〜18:30 
入場無料/雨天決行/当日入浴不可

 近々、ブックマークナゴヤのリブロの古本市に出した本が返ってくるので、蔵書スペース確保のため、途中から、いつもより安く値付しました。

 雨の中、立石書店さんに集荷にきてもらう。

 月の湯古本まつりのあと、旅の予定があり、しめきりの前だおし。残り時間を逆算すると、睡眠時間を削らねばならないような状況だけはなんとか避けたいとおもいつつ、昨日も飲んでしまった。一昨日もだ。

2009/03/27

可もなく不可もなく

 記憶をたどると、二十五歳くらいのときにがくっと体力が落ちたような気がする。それまで一日寝れば、どんなに疲れていても、元気になった。でも、だんだん疲れがとれなくなる。
 年齢のちがいはあるかもしれないが、たいていの人は経験することだろう。

 三十代でもそれがくる。
 四十代になったら、もっとたいへんだよと教えてもらった。
 覚悟はしておこう。

 これまでの研究では自分への期待値をあまり高く見つもらないほうがいいということがわかってきた。
 気力が充実し、体調も万全の状態なんてものはそうそうない。「可もなく不可もなく」くらいの調子でよしとする。

 バロメーターとしては、布団を上げたり、食器洗いをしたり、近所の古本屋に行ったりする元気があるかどうか。
 調子がよくないとそれすら億劫にかんじる。そういうときはなるべく怠ける。「可もなく不可もなく」ではなく、あきらかにダメなときは休むしかない。

 そのときどきに何らかの課題があるときのほうが、やる気は出やすい。
 ただし、その課題が今の自分の手に負えるものかどうか。楽すぎても難しすぎてもいけない。

 二十代のころは、とにかく自分ひとりどうにか食っていければいいとおもっていた。目の前の仕事を片づけることでいっぱいいっぱいだった。

 そうこうしているうちに三十代になり、書けば書くほど書くことがなくなってくる。
 日々の疲れをとりながら、日々の仕事をこなしながら、日々の家事その他の雑用をこなしながら、今後のための勉強もしなけれならない。
 それがだんだんむずかしくなる。

 自分がほんとうに知りたいこと、ほんとうに必要なものというものは、そんなに多くない。むしろ情報過多におちいっているのではないかと心配になる。

 二、三年、古典を読みふけって頭の中を整理したい気もするが、そんなことをしていたら、仕事にならない。

 どうすれば好奇心や探求心を持ちつづけられるのか。

2009/03/23

ブックマーク・ナゴヤ

 二十日、東京から名古屋、名古屋からJRで千種駅に。ちくさ正文館(新刊書店)、神無月書店(古本屋)を通って、今池のウニタ(新刊書店)という予備校時代にしょっちゅう通ったコースを経て、地下鉄東山線のシマウマ書房へ。

 本山駅に降りるのは十八年ぶりくらいか。ずいぶん様がわりしていて、おしゃれな町になっていた。昔の印象とちがう。名古屋大学のちかくで、高校時代の友人が下宿していたアパートがあったのだけど、よれよれのTシャツ、ボロボロのジーンズか短パンにサンダルをはいた人(そのころの名大生は“本山原人”と呼ばれていた)が歩いているかんじの町だった。

 シマウマ書房でのトークショーは「東西古本よもやまはなし」。林哲夫、岡崎武志、山本善行、南陀楼綾繁、扉野良人、わたしの六人。京都、東京の「sumus」同人が六人も集まるというのは、ひさしぶりのことだった。名古屋で「sumus」はほとんど売っていなかったはずで、こんなイベントが成立するのか心配だった。
 当日、東京堂三階の畠中さん、晩鮭亭さん、Pippoさん、書肆紅屋さん、大阪からアホアホ本の中嶋さんがいて、すこしだけ緊張がやわらいだ。

 トークの内容は「sumus」の前身の「ARE」のことから、古本ブームの変遷みたいな話になった。「sumus」が創刊した十年くらい前までは、古本好きのあいだでは初版本、稀覯本の話ばかりしていたが、だんだん好きな本を勝手に面白がるような雰囲気になってきたというようなことを林哲夫さんが語り、「ああ、そうだったのか」と感心した。

 古本界の変遷の話を聞きながら、そろそろ次の展開を考えないとなあとぼんやりおもっていた。そのことばかり考えていて、トークショー中はまったく喋ることができなかった。名古屋まで何しにきたのかといわれたら、すみませんとあやまるしかない。

「sumus」にかかわりだしたのは、ちょうど三十歳くらいで、最初はここで何をしていいのかわからなかった。創刊号を読んだとき、自分も高尚なことを書かないといけないとおもったが、岡崎さんや山本さんを見ていたら、好きなことを好きなようにやろうという気になった。
 同人それぞれ、興味の重なる部分と重ならない部分があって、同じ作家、同じ本が好きでも興味のあり方もちがっているということがだんだんわかってきた。
 ひとりで書いていたときには漠然としていた自分の輪郭みたいなものもつかめてきた気がする。

 変な人たちの中にいると、自分のまともなところが見えてきたり、まともな人たちの中にいると、自分の変なところが見えてきたりする。
 そのうちだんだん自分の立ち位置のようなものが形成されてくる。

 同人が東京と京都に離れて住んでいたこともよかったともおもう。
 扉野さんがそうなのだけど、京都の「sumus」同人は、ものすごく時間をかけてひとつのことをほりさげる。
 そういうふうに書かれたものを読んだり、会って話したりしていると、知らず知らずのうちに自分が効率とスピードを追求し、世の中の変化にふりまさていたことに気づかされる。

 名古屋の話からズレてしまったけど、東京と京都、大阪のあいだにあって、独得の変化をとげている町だ。ほかの都会と比べて、地元志向が強く、住めば都だけど、住まないとよくわからない町かもしれない。
 三重県にいたときは、名古屋のことをたんにだだっぴろくて車がいっぱい走っている騒々しいところだとおもっていた。ちょっとした用なら名駅(名古屋)前、あと駅の地下街でだいたいすんでしまうのである。

 今回一箱古本市が開催された円頓寺商店街も知らなかった。名駅から歩いて十分くらいのところにこんなところがあったのか。昔ながらの商店街で道をすこしそれると古い町並も残っている。なつかしの昭和といったかんじで、一日中歩きまわったけど、ほんとうに楽しかった。この場所で一箱古本市を開催したのは大正解でしょう。いいイベントだった。
 年に一度といわず、三ヶ月にいちどくらい古本市や骨董市を開催したら、県外からもいっぱい人がくるんじゃないかなあ。

 以上、よそ者の勝手な感想です。

 そのあともうひとつトークショーがあり、駅前で打ち上げをする。この日は三重の親元の家に一泊しようとおもっていた。飲んでいるうちに面倒くさくなって、南陀楼綾繁さん、古書ほうろうさんたちと栄のジャズ喫茶に。結局、カプセルホテルに泊るつもりが、漫画喫茶の十時間パックで朝まですごす。

 翌朝、リブロの古本市(想像以上に棚が充実。文壇高円寺古書部も補充しました)を見てから東京に帰る。  二泊三日では足りない。

2009/03/18

充電というか

 日曜日、北口のスーパーのららまーとのあとにできたユータカラヤがオープンしたので行ってみた。
 入場制限があるほどの大盛況。卵十個百円、鳥肉(国産もも)が百グラム四十九円だった。鮮魚コーナーもよさそうだ。
 残念なのは営業時間は午後八時までということ。ららまーとは深夜二時まで営業していた。

 ここ数日、何かやらなければいけないことを忘れているような気がして落ちつかなかった。夜、それが確定申告であることに気づいた(どうにか間に合った)。
 西部古書会館の「大均一祭」で買った本にパラフィンをかける。
 その後、ひたすら掃除。
『ヴィンランド・サガ』の七巻、『へうげもの』の八巻、『岳』の九巻を読む。
 酒飲んで寝る。
 現実逃避。

 やる気が出ない。いつもなら四十八時間くらいだらだらすると、さすがに怠けることに飽きてきて、何かやろうという気になるのだけど、どうも調子が出ない。疲れたときに、甘いものを食ったら元気になるというような、単純な解決策はないものか。

 読書欲も減退している。たまにそういうことはある。
 いつもどうしていたのかとかんがえてみると、本を大量に整理していた。
 蔵書が減ると、心おきなく本が買える。それで読書欲も復活する。

 これからやる気のないときの研究をしようとおもう。

2009/03/13

グループ・ジーニアス

 キース・ソーヤー著『凡才の集団は孤高の天才に勝る』(金子宣子訳、ダイヤモンド社)を読んだ。
 三年くらい前にジェームズ・スロウィッキー著『「みんなの意見」は案外正しい』(小高尚子訳、角川書店)という本が出ていて、「似たような本かな」とおもいながら手にとった。似ているところもあるが、ちがうところもあった。

『「みんなの意見」……』のほうは、「集合知」(集団の知恵)というテーマをあつかっていたとおもう。たとえば、グーグルなどであやふやな人名を検索すると、検索結果の数が多いほうが正解であることが多いというような話だ(ごめん、うろおぼえ)。

『凡才の集団は……』のキーワードは、「グループ・ジーニアス」あるいは「コラボレーション」である。

 タイトルや装丁は、ビジネス書っぽいが、パラパラ読んでいるうちに、「グループ・ジーニアス」という言葉は、わたしの関心事である中央線文士、第三の新人、「荒地」の詩人、「トキワ荘」の漫画家とも無縁ではないことがわかってきた。

 現在のイノベーションの多くは、一人の天才が生み出したものというより、相互に影響しあうグループから生れているという。
 マウンテンバイク、グーグル・アース、eメール、リナックスといった発明も「グループ・ジーニアス」によって生まれた。
 それだけではない。
 トールキンの『指輪物語』、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』も、孤独な作家の思索が生み出した作品ではない。トールキン、ルイスらは地元の学者たちと「インクリングス」というグループを作っていた。そして毎週火曜日にパブに集まって、神話や叙事詩について議論したり、自身の作品の朗読をしたりしていた。
 トールキンの未完の叙事詩に、ルイスが感想を書き送る。さらにメンバーが次々とアイデアを出し、それぞれの章を自宅で書き、会合で朗読する。

《私たちが作家に抱くイメージは、内なる霊感に突き動かされる孤独な姿といったものだが、『指輪物語』と『ナルニア国物語』は、独りで仕上げたものではない。孤高の天才の手がけた作品ではなく、前述のとおり、コラボレーションに満ちたサークルで展開された物語なのである》

 ファンタジー文学好きには有名な話なのだろうか。もちろん「インクリングス」は「凡才の集団」ではなかったけど……。

 日本でいえば、さいとう・たかをの『ゴルゴ13』が、ある種の分業、コラボレーションによって作られているのは有名な話だ。
 分業や共作ではなく、もうすこし見えにくい形の「グループ・ジーニアス」というものもあるだろう。

 たとえば「阿佐ケ谷会」は、井伏鱒二や木山捷平の作品にどういう影響をあたえたのか、あたえなかったのか。あるいは、小沼丹はどうか。小沼丹は、井伏鱒二と知りあわなかったら、どうなっていたのか。
 ある時期の鮎川信夫と吉本隆明の交流は「グループ・ジーニアス」といえるようなものではなかったか。

 かならずしも、コラボーレションというものではないかもしれないが、個々の才能が影響しあい、刺激しあうような関係や場所はあるとおもう。
 そうした関係を作ったり、新しいものが生まれる場所を見つけたりすることも才能のひとつかもしれない。

2009/03/11

北、行く?

 ブックマーク・ナゴヤ開催中。今月二十一日(土)、二十二日(日)に「sumus」関係のイベントのため名古屋に行く。そのまま京都あるいは神戸あたりまで旅行しようかなとおもっていた。でもその前に月末の仕事を終わらせる自信がなく、田舎(三重)に一泊して帰ることになりそう。
 浪人時代に名古屋で一年すごした。予備校には家から通っていたのだけど、千種から今池、あと鶴舞から上前津あたりの古本屋をよくまわった。
 当時はアナキスト詩人の本をあつめていた。
 ここ数年、ブックオカ、ブックマーク・ナゴヤ、BOOK! BOOK! Sendaiと全国各地で本のイベントが開催されるようになった。そういう場所に行くと、本が好きで「今の状況をなんとかしたい」とおもっている熱意のある若い人とたくさん会う。
 そういう場所に居合わせるだけで、ほんとうに刺激を受ける。

 長年、地味でマイナーな場所にいると、なにをいっても無駄だという気持にしょっちゅうなる。正確な分析だとおもう。ただ、どうにもならないとおもっているとますますどうにもならなくなる。
 どこかに損得ぬきで楽しもうという気持がないとだめだし、損ばかりでは続かない。そのバランスは続けていくことでしか見えてこない。

 ちょうど一年くらい前、火星の庭の前野さんとコクテイルで飲んだときに「文学を売りたいんです」といわれた。
 なにがなんでも売ってやるとおもいましたね。逆に「文学が売れない(雑誌が売れない)」という愚痴をこぼしていてもしょうがないともおもった。もちろん、その熱意を持続させることがむずかしいのだけど、その話はまたいつか。

 というわけで、まだ少し先ですが、六月のBOOK! BOOK! Sendaiの告知を——。
 今回は「わめぞ」も参加します。「文壇高円寺古書部」もセールをする予定です。

「北、行く?」 古本縁日 in 仙台 開催!! わめぞが、外市が仙台に!

■日時
2009年6月20日(土)・21日(日) 営業時間など詳細は後日発表
■会場
book cafe 火星の庭 http://www.kaseinoniwa.com/
書本&cafe magellan(マゼラン) http://magellan.shop-pro.jp/ 

BOOK! BOOK! Sendai http://bookbooksendai.com/
わめぞ http://d.hatena.ne.jp/wamezo/

◎武藤良子個展
6月11日(木)〜29日(月) 会場・火星の庭

2009/03/09

外市二周年

 今週はじめに大阪からアホアホ本の中嶋大介さん、金曜日から「正式の証明」のu-senさんが上京し、うち(というか仕事部屋)に宿泊していた。

 外市には第二回から参加。第一回のときは客として行って「続けてほしい」と書いた(気がする)。この調子だと十周年くらい、あっという間かもしれない。

 外市初日、仕事のあと、終了まぎわに顔を出す。「古書荒川」で、かつてヤクルトスワーローズのエースだった松岡弘のサインボールを買う。
 腰痛の影響で重いものを持ち上げるという動作にちょっと不安があり、後片づけは見学させてもらう。昼間、部屋探しとアルバイトの面接をすませてきたu-senさんも合流。どちらも無事決まったそうだ。この春からわめぞ民に。おめでとう。

 二日目。古書現世の向井さんが読みたいといっていた能條純一『哭きの竜』の全巻セットを持って行く(西部古書会館で安く売っていた)。
 池袋往来座の瀬戸さんに松本圭二の詩集を売ってもらう。うれしい。
 昼食後、ジュンク堂に『没後33年記念事業 時代を先取りした作家 梶山季之をいま見直す』(中国新聞社、二〇〇七年刊)を買いに行く。この本すでにインターネットではプレミアが付いている。ジュンクにかろうじて在庫が一点あった。けっこう微妙な作り。でも藤本義一の講演はよかった。

 しかし二日間、よく雨に降らなかったなあ。お台場のほうは、雨降っていたらしい。 

 あと来週は、西部古書会館で『第3回 大均一祭』(paradis、コクテイル書房、オヨヨ書林)が開催されます。
 十四日(土)→全品二百円
 十五日(日)→全品百円

(西部古書会館)
 杉並区高円寺北2-19-9
 http://www.kosho.ne.jp/~tokyo/kaikan_w.htm

2009/03/03

書かずにはゐられない

 辻征夫の本を読んでいて、ふとリルケの『若き詩人への手紙』(佐藤晃一訳、角川文庫)のことが気になりだした。
 最初の手紙のタイトルが、「私は書かずにはゐられない」。十代の辻征夫は、この文庫を読み、その教えを守り続けた。

《沈思黙考しなさい。あなたに書けと命ずる根拠をお究めなさい》

《何よりもまづ、あなたの夜の最も静かな時間に、自分は書かずにはゐられないのか、と御自分にお尋ねなさい》

 手紙の日付は一九〇三年二月十七日。百年以上前の助言だ。

 書く根拠。
・しめきりがある。
・原稿料がほしい。

 しめきりがせまってきたら、書く根拠は何かといちいち自問している暇はない。時ならざれば食わず、というわけにはいかない。
 おそらく定年まで辻征夫が勤め人をしていたのは、「書かずにはゐられない」ことだけを書きたかったからだろう。

 書きながら、すこしずつ自分の書きたかったことが見えてくることがある。書き終えてから、気づくこともある。わたしはそういう書き方が好きだし、自分の性に合っているのではないかとおもっている。言い訳か。

2009/03/01

雑記

 二月が終わった。二月の仕事も終わった。腰痛もだいぶよくなった。でもまだ重い物を持つのが怖い。
 ブックマーク・ナゴヤ用の古本の梱包も終わり、あとは送るだけ。外市に出品する本も七、八割箱につめた。

 土曜の夜、家でくつろいでいたら、深夜十二時すぎにコクテイルから電話。久住卓也さんからのおさそい。石丸澄子さんも呼ばれてきたらしい。
 久住さんは二月中旬からほとんど部屋にこもって仕事をしていたという。

『ちくま』の連載。今回は辻征夫のことを書いた。書いても書いても書ききれないかんじで、最初に書こうとおもっていたこととちがう原稿になってしまった。
 でも書きながら自分の今後の課題がすこしだけ見えた気がした。
 そのヒントが、辻征夫のエッセイの中にあった。

 すこし前まで、社交性を身につけたい、人前でおどおどしないようになりたいとおもっていた。
 もうその努力はしないことにした。無理だ。というか、そこで無理をすると、いろいろマイナスもある。人前で緊張したり、パーティの席で居心地がわるくて逃げたくなったりするような感覚は、(ある種の)詩や文学を味わうためには不可欠とまではいわないが、あったほうがいいのではないか……。

 その感覚をどうやって守っていくか。
 守っても何の得もないが、損得の問題ではない。

2009/02/25

腰痛

 日曜日、腰痛になる。寝る起きる。立つ座る。そうした動作のたびに小さな痛みが走る。安静あるのみ。無理は禁物。とはいえ月末、仕事がつまってきている。いちばん追い込みの時期なのに。
 いろいろ原因を考えるが、おもいつかない。気温の変化、疲れ、そんなところだろうか。同じ姿勢を長く続けるのはよくない。とくにコタツ。ここ数年、用心していたのだが、油断した。

 ナボリンを飲みながら、休み休み、原稿を書く。ひさしぶりに机で仕事する。三十分仕事して一時間横になるというペース。
 もうすこし無理がきくようにからだを鍛えるか。無理をしないですむ方法を身につけるか。
 神経痛持ちだった「冬眠居」こと尾崎一雄は冬のあいだあまり仕事をしないようにしていた。
 生活を見直そう。

 腰痛三日目。すこしだけ痛みがやわらいできた気がする。
 まだ靴下をはくのがむずかしい。

2009/02/18

告知いろいろ

 仕事で神保町へ。東京堂書店、三省堂書店、書泉グランデ、岩波ブックセンターをまわる。
 東京堂の三階で畠中さんに神戸の海文堂書店の福岡さんが上京していたことを教えてもらう。[書評]のメルマガ vol.397を読んでいたら、「エエジャナイカ」の北村知之君が「先週より神戸元町の海文堂書店に勤めることになりました」と近況報告していた。

 四谷書房日録(http://d.hatena.ne.jp/yotsuya-shobo/)の「ふるほん文庫やさんの280円文庫」の話を読んで、東京堂書店のふくろう店に寄ってみた。全品二百八十円という貼紙があったけど、値札がそのままだったので、レジで「ほんとうに二百八十円なんですか?」と確認してしまった。図書カード(京都河原町の六曜社のちかくの金券ショップでは一万円のカードが九千六百円で買える)が使えるのも嬉しい。

 三月は古本イベントがいろいろあります。

◎第13回 古書往来座外市〜街かどの古本縁日〜 
開催日:3月7日(土)〜8日(日)
時間:7日午前11時ごろ〜午後7時、8日正午〜午後6時
会場:古書往来座 外スペース
“古本ソムリエ”山本善行さん参戦!
詳細はhttp://d.hatena.ne.jp/wamezo/20090201


◎BOOKMARK NAGOYAイベント
◆「東西古本よもやまはなし sumusの集い」
日時:3月20日(金)午後6時〜 
会場:シマウマ書房
参加費:1000円
出演:林哲夫、岡崎武志、山本善行、南陀楼綾繁、荻原魚雷、扉野良人
詳細は→http://www.shimauma-books.com/
「一箱古本市 in 円頓寺商店街」
日時:3月21日(土)・22日(日)
時間:午前11時〜午後4時
詳細はhttp://www.bookmark-ngy.com/hitohako

◆古本市巡りが何倍も楽しくなる、「一箱古本市ツアー」
日時:3月21日(土)午後2時〜/午後3時〜(2回)
集合場所:円頓寺商店街ふれあい館前
案内人:林哲夫、岡崎武志、山本善行、南陀楼綾繁、荻原魚雷、扉野良人

◆古本大学in円頓寺キャンパス 
日時:3月21日(土)午後5時〜午後6時30分
場所:那古野コミュニティーセンター
講師:林哲夫、岡崎武志、山本善行、南陀楼綾繁、荻原魚雷、扉野良人

※名古屋リブロのAさんからブックマーク・ナゴヤ期間中に中嶋大介さんのアホアホ本イベントも急遽開催が決まったという連絡がありました。
詳細はwww.bookmark-ngy.com/event_information/116


◎「さんどめ さんがつ にのにのいち」
2009年3月7日(土)、8日(日)
13日(金)、14日(土)、15日(日)
20日(金)、21日(土)、22日(日)
(出展者…M堂/エス堂/古本教育/古書くらしか/貸本喫茶ちょうちょぼっこ)

「くらしか視聴覚教室 vol.1 100円ジャンボリー」
日時 :2009年3月8日(日)19時頃から
ゲスト :中嶋大介(オンライン古書店BOOKONN店主、『アホアホ本エクスポ』BNN著者)
「古書くらしか」さんと中嶋大介さんが100円で買った中古レコードと古本を持ちより雑談するそうです。

詳細は貸本喫茶ちょうちょぼっこ http://www.geocities.co.jp/chochobocko/

2009/02/17

たぶん気のせい

 三千円のCDプレーヤーにかえたら、音がぬるくなった気がした。ところが、一日、二日すると慣れた。わるくない。気のせいだったか。
 ポータブルプレーヤーの横にボリュームがついていることを見落としていて、音量を小さくしたまま、アンプにつないでいた。ボリュームを上げたら、音がよくなった。

 ケーブルそのほかをかえたら、もうすこしいい音がするだろう。でもそこまでしなくてもいいやという気になった。
 自分の感覚を疑うこと。
 言葉も。

 新しいCDデッキを買うため、漫画とCDを売ろうとおもっていた。
 中野ブロードウェイで換金したら、一万円ちょっとになった。予想より高く売れた。嬉しくて五千円分くらい本を買った。古書うつつに『詩人会議』の黒田三郎の追悼号があった。ずっと探していた雑誌。そのあとあおい書店で書評の資料を五千円分くらい買い、プラスマイナスゼロ。
 喫茶店に行くのをガマンした。

 家でコーヒーを飲む。すこし仕事をする。

 夜、コクテイル。
 帰りに『大岡昇平対談集』(講談社)を買う。水割一杯分くらいの値段。
 対談相手は、桑原武夫、中村光夫、水上勉、開高健、藤原彰、吉田満、吉本隆明、秋山駿、石原吉郎、本多秋五、平野謙、菊地昌典。うーん、すごい。

2009/02/16

ブラザー軒

 ブックマーク・ナゴヤに向けて、古本のパラフィンがけ、値付をはじめる。
 この本は外市、この本は火星の庭かなあ、と勘で選り分けながらの作業。値段も勘。売るかどうか迷っている本は、心なしか値段がちょっと高くなる。そして引っ込める。衝動買いではなく、衝動売りというのもあるんですね。

 パラフィン紙がなくなったので、阿佐ケ谷の文房具屋に行く。百枚買う。
 そのあと荻窪まで歩く。ささま書店に寄って、タウンセブンで焼さば寿司。

 CDデッキが壊れた。これで何台目か。中古のアンプは健在なのに、CDデッキはすぐ壊れる。こんなにすぐ壊れるんだったら、安いのでいいやとおもい、三千円ちょっとのポータブルCDをオリンピックで買ってきてアンプにつなぐ。
 新しいCDデッキの音を確認するときは、かならずスティーリー・ダンの「Aja」をかけるのだが、んん? なんかちがう。音が、ぬるい。
 CD一枚分くらいの値段のポータブルプレーヤーだから、贅沢はいえない。やっぱり、ちゃんとしたデッキを買おうとおもう。
 安物買いの銭失いか。うむ。

《ぼくに困ることがなくなったら、詩なぞ書かなくなるだろう。そんなとき、嫌味なぼくができあがるだろう》(菅原克己著『詩の鉛筆手帖』土曜美術社)

 菅原克己は室生犀星の初期の詩を読んで詩作をはじめたという。

 菅原克己は宮城県出身。
 亘理郡亘理町。仙台からやや南、阿武隈川のそば。三歳のときに仙台に引っ越している。菅原克己の詩の「ブラザー軒」はいまも仙台にある。まだ行ったことはない。

《東一番丁、
 ブラザー軒。
 たなばなの夜
 キラキラ波うつ
 硝子簾の向うの闇に。》

 子どものころ、菅原克己は七夕の季節(旧暦かな?)になると、家族そろって、仙台の東一番町に出かけたそうだ。

2009/02/15

酔っぱらいのことば

 仕事せんとなあとおもいながら、部屋の掃除、洗濯、アイロンかけで一日が終わる。
 何かをするときに、プラスになるか、マイナスになるか、そういうことを見極めないとなかなか動けない。で、その状態にある自分に苛立ったり、落ち込んだりする。
 京都にいって、まほろばで飲んでいたとき、オクノ修さんが隣にいた。酔っぱらっていたから、その真意が理解できたかどうかはわからないけど、歌をうたう、表現するというのは、仕事とかなんとか以前に、わけもわからず歌いたい気持のようなものがあって、それがあるかないかが大事なんだといっていた。
 東京に帰ってきてからも、しばらくその言葉が頭から離れなかった。

 土曜日、高円寺古書会館。『定本 菅原克己詩集』(永井出版企画)の署名本があった。署名がなくてもほしかった本。

 一九三六年、二十六歳のときの菅原克己の年譜——。

《この頃、長谷川七郎に連れられて、高円寺の「噺の家」という喫茶店で「詩行動」の秋山清、清水清といった詩人たちに初めて会う。「噺の家」は無政府共産党事件で留置された植村諦の夫人がやっていた店で、アナキスト詩人たちのたまり場でもあった》

 ここ数年、詩人の長谷川七郎、植村諦は気になっている。「強固な精神構造を持った先輩」の秋山清も再読したい。

2009/02/12

なにをするでもなく

 また大阪、京都へ。二週連続。数日前まで風邪で寝込んでいたが、すっかり回復した。

 土曜日の仕事のあと、そのまま東京駅に行って新大阪。そこから中津に出て、BOOKONNの中嶋大介さんの家に。
 大阪に着いた途端、花粉症のような状態になってしまう。
 翌日、大阪古書会館。初日ではなかったけど、いい本が残っていた。ちょっと高円寺の西部古書会館の古書展と雰囲気が似ているかも。安さは高円寺のほうが過激だとおもう。ただ、五百円から千円くらいで、けっこう珍しい本が買えるなあという印象だ。

 そのあと梅田の阪急かっぱ横丁に寄って、京都へ。薬局で鼻炎の薬を買う。飲んだらなおった。ジュンク堂書店京都店で石丸澄子さんと待ち合わせして、徳正寺に行く。かやくごはん、ごちそうになる。
 夜、拾得でふちがみとふなとと上野茂都さんのライブ。石丸さんは、ふちがみとふなとの「ふなとベーカリー」のシングルのジャケットを手がけている。

 ライブのあと、わたしはまほろばへ。オクノ修さんとキョージュ、薄花葉っぱの下村さんがいる。オクノさんの話が、おもしろく、考えさせられた。生活の安定と表現の関係のことについて。

 翌日、出町柳のコインロッカーに荷物をあずけ、古本屋めぐり。ガケ書房に行く。古本コーナーが充実していた。遅ればせながら、『大阪人』の三月号「特集 続々古本愛」を購入。
 それから京都造形大学のGALLERY RAKUで「人生劇場」と題した鬼海弘雄の展覧会を見る。いい顔のおっさんがいっぱい。
 そのまま歩いて、恵文社一乗寺店。

 二時半、六曜社で扉野良人さんと待ち合わせのため、河原町に行くと、レンタサイクルに乗った古本酒場コクテイルの狩野さんとバッタリ会う。なんで、こんなところで? どうも狩野さんは道に迷っていたようだ。

 六曜社のあと、扉野さんと古い中華料理屋でビールとギョーザ。羽良多平吉さんが、この店の近くの橋の下で、釣りをしていたら、テレビに取材されて、放映されたという話がおかしかった(たまたまその番組を北村知之君が見ていたらしい)。鴨川沿いを歩いて、そのあと書砦梁山泊に行く。
 長年の探求書だった『筑摩書房の三十年』(和田芳恵執筆、非売品)があり、すこし高かったけど、おもいきって買う。昔、山本夏彦さんに会ったとき、この本をさがしているといっていた。
 梁山泊から少し歩いて、mizukaという喫茶店に行く。アホアホ本の中嶋さんの個展もやったことがあるという店。
 ほんとうはこの日、東京に帰るつもりだったが、コーヒーを飲んでいるうちに、だんだん帰りたくなくなって、もう一泊することに。

 夜、鍋をごちそうになる。うまかった。

2009/02/03

辻潤の書画

 一月三十一日の夜から京都へ。電車の中で、坂口安吾の『風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇』(岩波文庫)を読む。ほとんどの登場人物が実名で出てくる。
 七北数人編の年譜も充実していて、読みごたえがあった。
 ちょうど京都行の新幹線の中で読んだこともあって、一九三二年、安吾、二十六歳のときのこんな記述が気になった。

《三月初め頃から約一カ月、京都へ旅行。河上徹太郎の紹介で京大仏文科卒業まぎわの大岡昇平を訪ね、大岡の世話で独文科の加藤英倫が住む左京区八瀬黒谷門前のアパートに部屋を借りる》

 そのあと安吾は詩人から小説家になることに決めたそうだ。
                *
 京都では徳正寺でおこなわれた辻潤の書画十数点の撮影に立ちあうことになった。岡山から友人のカメラマンの藤井豊君も大きな機材を持ってやってくる。
 扉野良人さんが上京したときに、たまたま藤井君もうちに来ていて、それからいろいろあって、今回の話になった。

 前にも書いたかもしれないけど、扉野さんと知りあったのも辻潤が縁だった。
 ある編集者に「辻潤のことが好きな学生がいるんだけど」と紹介してもらい、高円寺の飲み屋で会った。
 藤井君も、学生時代からの友人のライターが自分の同級生に岡山で写真をとっているおもしろいやつがいるという話を聞いて、上京をすすめたら、その数日後、いきなり鞄ひとつで東京にやってきて、そのまま高円寺に住み着いてしまった。
 今は岡山で宅配便の仕事をしながら、写真を撮っている。

 掛け軸の撮影中、虚無思想研究会の大月健さん、久保田一さんにいろいろ解説してもらいながら、書画のほか、めずらしい資料をたくせん見せていただいた。

 日曜日の夜は、元田中のザンパノ。「浮田要三選 青谷学園/ふゆてん 人間の基本を訴える作品群」というイベント。カリキリンと名古屋のバンド、Jaaja(ジャージャ)のライブ。
 カリキリンは童詩雑誌『きりん』の詩に曲をつけてうたうという薄花葉っぱの下村よう子さんと宮田あずみさんのユニット。
 ジャージャをみるのは、はじめてだった。手づくりのかぶりものをかぶって登場、ヨーロッパの民謡風のカラフルな音、詩とちょっと情けないかんじの声(非常に好み)がすごく合っているなあとおもった。
 メンバーは音楽活動だけでなく、同じ名前で喫茶店経営、雑貨の制作、販売もしているとのこと。

 日中ぶっとおしの撮影で疲れていた藤井君も急に元気になってステージ最前列で写真を撮りまくっていた。打ち上げにも参加。ザンパノの料理、うまかった。
 そのあとザンパノのちかくのたこ焼屋でたこ焼を注文。すこし時間がかかるというので、扉野さんの案内ですぐ隣の中華料理屋でビールを飲んだ。

 翌日、また撮影。
 この書画の写真は、扉野良人さんの作っている『ドノゴトンカ』の創刊号に掲載される予定です。
 詳細がわかりしだい、また報告します。

2009/01/30

苦いお茶

 飲みすぎた。
 次の日、BOOKONNの中嶋大介さんが、大阪に帰るというので、コクテイルで神田伯剌西爾の竹内さんと三人で飲む。そのあと部屋飲み。いっしょに「あらびき団」を見る。竹内さんはガリガリガリクソンが好きらしい。わたしは東野幸治のファン。
 飲んでいるうちに寝てしまった。二日酔いにはならなかった。楽しい酒だったからだろう。

 夕方、新宿の紀伊国屋書店、ジュンク堂に寄ってから、仕事に行く。
 必要な資料があったので大手町の丸善に行く。むしょうに博多うどんが食いたくなり、東京駅の地下街へ。八重洲地下街、うどん屋がけっこう多いのだ。
 その帰り、R.S.Booksに寄ると、見たい棚の前でなかなか動かない若者がいて、「うーん、邪魔だなあ」とおもっていたら中嶋さんだった。新幹線の時間までちょっと時間があったからのぞいていたらしい。
 木山捷平の『苦いお茶』(新潮社、一九六三年刊)があって、函の畦地梅太郎の装丁の絵(丸いテーブルにコーヒーカップとカバンが置いてある)がよくて「二千円くらいならほしいなあ」とおもいながら表紙裏を見たらピタリ賞だった。

 ぱっとひらいた頁には「難航苦行みたいな二十時間がすぎて、東京駅に到着すると、私は気違いみたいに便所にとびこみ、それから中央線にのりかえて、高円寺に向かった」という文章が書いてあった。

「竹の花筒」という短篇小説の一節。戦後しばらくして、帰省先の岡山から、東京に向かう。すでに高円寺の下宿は焼けていたが、それでも東京に行きたくてしかたがない。まだ切符をとるのが、難しい時代だった。

《そうして二年三カ月ぶり、高円寺駅の改札口をぬけ、駅から二分のもとの住居の、いまは芽が二三寸のびた麦畑の霜柱を感慨こめて眺めた。その足で同じ町内ながら戦災をまぬがれた菅井家をたずね、一週間ばかりお世話になったのである》

 それから西荻窪の古道具屋をまわったり、井の頭公園を散歩したりする場面も出てくる。

 また『苦いお茶』には「市外」という小説もある。
 神楽坂に原稿用紙を買いに行き、池袋まで歩く。その途中、木山捷平がはじめて上京したころ住んだ町があるという。

《私が間借りしていたところは雑司ケ谷という地名で、葉書や手紙に、芥川龍之介が「東京市外田端」と書くのと同じように「東京市外雑司ケ谷」と書いて出すと、何となくそれがハイカラに感じられた》

 しかし木山捷平の父親はかならず「東京府北豊島郡高田町雑司ケ谷」と書いて手紙をよこしたそうだ。
 池袋往来座の瀬戸さん、知ってましたか? 「市外」(今、気づいたけど、「外市」みたいだ)は講談社文芸文庫の『白兎 苦いお茶 無門庵』にも収録されている。

 大手町から三鷹直通の東西線に乗る。音羽館に行きたくなり、高円寺で降りず、西荻窪へ。音羽館にむかう途中、晶文社のMさん(まもなく刊行予定の浅生ハルミンさんの本の担当者)に道でばったり会う。
 駅をおりたときから、今日あたりMさんに連絡しないとなあと考えながら歩いていたのだ。
 最近よく道で知りあいに会う。たいていぼーっとしているので、挙動不審になる。

 話はかわるけど、先日、東京堂書店三階の畠中さんが、扉野良人さんと郡淳一郎さんが編集している『Donogo-o-Tonka(ドノゴトンカ)』の創刊準備号を入荷するといっていた。

《Donogo-o-Tonkaとは「未だ曾て世界の何処にも存在した事がない理想郷」を示している》

 一九二八年から一九三〇年に、城左門(昌幸)、岩佐東一郎、木本秀生、堀河融、西山文雄の五人がそういう名前の同人誌を作っていたそうだ。

(目次)
・Donogo-o-Tonkaへ
・稲垣足穂拾遺 「竹林談」
 解題=高橋信行
・花遊小路多留保逍遥
 扉野良人
・煌めく、モダニスト・亀山巌さんとの縁で
 古多仁昂志
・菅の中へ
 細馬宏通
・書容設計一千一冊物語 第一冊 北園克衛「白のアルバム」
 羽良多平吉
・戦前の神戸の詩の同人誌のこと“牙 KIVA”について
 季村敏夫

……東京堂書店に並んだら、ぜひ手にとって見てください。素晴らしい小冊子です。
 ちなみに「菅の中へ」の細馬宏通さんは「おっさんの肉体にユーミンが宿る」のかえるさんです。

2009/01/28

潔癖な好悪

 今月のしめきり山をなんとかこえた。来月の『小説すばる』の連載は、吉行淳之介の本について書いた。

 月曜日、仕事が終わっていなかったが、ずっと家にこもっているのは精神衛生上よくないとおもい、ささま書店に行く。荻窪駅で降りると、ちょうどBOOKONNの中嶋クンが電車に乗ったところだった。

 帰り際、Nさんに入荷したばかりの山田稔さんの署名本をすすめられる。持っていない本だったので買う。

 コープのインスタントラーメン(夜食用)を大量に購入。
 晩飯は、冷蔵庫の在庫一掃雑炊。めかぶ入りのとろろ昆布もいれる。

 火曜日、昼、原稿と校正の直しを送って、そのまま都丸書店とアニマル洋子、さらに中野へ。一仕事終えると、中野ブロードウェイセンターに行きたくなる。
 重力サーベルはもう売れてしまったようだ。残念。やっぱり千五百円は安かったんだ。
 二Fの古書うつつは、ほんとうに詩の棚が充実している。
 中村光夫の『小説とはなにか』(福武書店、一九八二年刊)を買う。
 この本におさめられている「烏有先生再問」は、晩年の中村光夫の最高傑作ではないか。

《戦争がすんでから、二三年しか経たぬころのことです。創刊されて間もなかった「群像」が月例の合評会に、正宗白鳥氏、上林暁氏と僕を招んだことがあります。
 会場は熱海の何とかいふ旅館で、一晩泊りといふことでした》

 合評会での正宗白鳥は、細かいノートを書いてきていて、話ぶりも見事だった。
 中村光夫は「やはり仕事はまともにやる人なのだ」と感心する。
 わたしは正宗白鳥のことが気になりだして、かれこれ七、八年になるのだが、いまだにどんな人物なのかちゃんとつかめていない。気難しいイメージと文章のとぼけた味わいが結びつかないのだ。

 でも「烏有先生再問」を読んで、腑に落ちるところがあった。

 むかし中央公論が正宗白鳥賞を作りたいと申し出たとき、白鳥は「自分の名を嫌ひな作家の顕彰に使はれるのはかなはない」といって断わった。

《文学者に好き嫌いを云ひだせば切りのない話ですが、一般にあたへる印象では、公平といふ点で第一級の批評家として振る舞つてゐる正宗氏が、内心ではかういふ潔癖な好悪の持ち主であることは、氏の意外な、しかし本質的な一面を示してゐるやうに思はれました》

 潔癖な好悪の持ち主。
 これだ、とおもった。白鳥に魅かれるのは、それが自分に欠けているからだ。もちろん、そういうものがまったくないとはいわないが、年々なしくずしになっている気がする。
 内田百閒や山田風太郎の根強い人気も、ある種の潔癖さ、悪くいえば融通のきかなさゆえだろう。山本周五郎もそうかな。
 そんなこともおもった。
               *
 ブロードウェイ四Fの記憶の前に行くと、股旅堂さんと古楽房(こらぼう)のうすだ王子がいた。偶然。「ちいさな古本博覧会」ブログの「アルバイト店番日記」(http://d.hatena.ne.jp/collabonet_project/)も好調。初々しい文章で古本の市場の話とか、マニアックなことが書いてあっておもしろい。ちょっと偏った食生活も気になる。

 そのあとうすだ王子いっしょに奥の扉に行って、中央市の話などをいろいろ教えてもらう。

 家に帰って、漢字ナンクロをやっているうちに、まだすこし仕事が残っていたことをおもいだした。
「やはり仕事はまともにやる人なのだ」といわれたい。

2009/01/25

アホエク

 金曜日、仕事で神保町。信号のところでディスクユニオンの人とばったり会う。この日、ちょうど前野健太のセカンドアルバム『さみしいだけ』が届いたばかりだった。
 見本版(チラシにコメントを書くためにもらった)のときから聞き込んでいるけど、まったく飽きない。一生ものです。年末、前野さんに「鴨川」という曲がよかったといったつもりが、わたしはずっと「下鴨」「下鴨」といっていたらしい。

 夕方、お台場で開催された中嶋大介さんのアホアホ本のイベントに行く。
 途中、東京駅の八重洲古書館に寄る。菅原克己の『一つの机』、『遠い城』(いずれも西田書店)を買う。『遠い城』は創樹社版は持っているのだが、西田書店版には、単行本未収録のエッセイが収録されていることを池袋往来座の瀬戸さんに教えてもらったばかりだった。

 アホアホ本イベントの会場は、ゼップ東京の二階。ゆりかもめに乗る。未来に来たかんじがする。
 ふだんの古本イベントとはまったくちがう客層で、若いカップルが多くて驚いた。コンビニ本、セーターの本、エロアホ本など、出演者三人それぞれ独自の視点で選んだ本を紹介してゆく。テンポよく、一分、数十秒おきに笑いが起っていた。vol.2、vol.3とシリーズ化していきたいという話も出た。

 なんかしらんけど、クジに当たって、飲食代が無料になった。
 会場内に古本販売スペースで『みうらじゅんのみうジャン』(PARCO出版、一九八五年刊)を買う。おまけしてもらった。
東京テレポート駅からりんかい線で帰る。はじめて乗った。

2009/01/22

お台場で

 大阪からアホアホ本の中嶋君が来て、ZQ、古楽房をまわる。京都から薄花葉っぱの下村よう子さん(二日前から)、ウエッコさん(ザッハトルテ、ブリキサーカス)がレコーディングのため、上京。コクテイル、部屋飲みと今、合宿状態になっております。急だけど、中嶋君が、こんなイベント(ディナーショー?)をするそうです。

「アホアホ本エクスポ〜大古本祭!!」
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_081224201391_1.htm

アホ本、バカ本、マヌケ本が大集合!
アホ本コレクター達が自慢の逸品をスライドで紹介します。
自慢のアホ本古本も一部販売します!!
古本好きの方には爆笑スライドショーと古本オークションも楽しめる
お得なイベントです!!

【出演】
中嶋大介(アホアホ本エクスポ著者)、
林 雄司(デイリーポータルZ)、
シンスケ横山(東京カルチャーカルチャー店長)、他

1/23(金)
18時半開場・19時半開演・21時半終了(予定)
【場所】お台場・東京カルチャーカルチャー(観覧車右横、ゼップ東京2階)
前売券はローソンチケットにて1人6枚購入可能で発売中!!
ローソンチケット:http://l-tike.com/d1/AA02G01F1.do? DBNID=1&ALCD=1&LCD=32993

※東京カルチャーカルチャーはニフティ株式会社運営の飲んだり食べたりしながら気楽にイベントを楽しめる飲食スタイルのイベントハウスで全席自由席で入場は前売券の整理番号順となります。
東京カルチャーカルチャー PC:http://tcc.nifty.com/
             携帯:http://tcc.nifty.com/m/
         問い合わせ先:tcc@list.nifty.co.jp

(付記)
 それから京都で、こんなイベントも。

 2月1日(日) 浮田要三選 展覧会openningパーティー @cafeZANPANO(京都元田中)
 “人間の基本を訴える作品群”
 浮田要三選  青谷学園「ふゆてん」
 2009.2.1(日)-15(日)
                                
■出演:Jaaja(from名古屋) 【http://www.jaaja.jp/】      
    かりきりん(下村よう子+宮田あずみ)
                                             
 時間:19時より         .
 料金:1,200円(要1オーダー)
 会場:cafe ZANPANO(京都市左京区田中里ノ内町81宮川ビル2階)
 お問合せ:075-721-2891

●浮田要三氏・・・1947年、竹中郁・井上靖主宰による童話雑誌
       「きりん」の発行に参加 
        1955年具体美術協会に参加、64年退会以降、
        現代美術家として活躍、現在に至る      
       【http://cafedream.info/art/ukita_hp/index.html】

●かりきりん・・・お友達のお坊さんであり文筆家の扉野良人氏
        による企画もの二人組
        戦後に発行されていた児童詩集「きりん」
        の詩に音を付けて演奏しています

2009/01/20

まとまらない話

 日曜日、夕方まで寝る。起きて中野に行く。あおい書店で新刊本と雑誌のチェックし、そのあと中野のブロードウェイセンター。二階の古書うつつ、四階のまんだらけ「記憶」をまわる。古書うつつでは、ずっと探していたある詩人のエッセイ集を見つける。この本のことは『本の雑誌』のコラムに書く予定(……変更。次の次くらいに書きます)。
 二階の中古おもちゃ店で松本零士の漫画に出てくる重力サーベルが売っていた。千五百円だった。ちょっとほしいとおもった。

 帰り道、中野駅前の総菜屋でイカめしを買う。イカめしは、大好物でありながら、自分で作る気になれないもののひとつだ(作り方は知っている)。

 今月はたるんでいる。そろそろネジを巻いていこうとおもっている。数年前から年にひと月かふた月、わざと調子を崩すようにしている。そこから徐々に上げてゆく。一年通して、調子を維持しようとすると、崩れたときに長引く(……というのは怠ける口実である)。
 わたしはもともと低迷しているときに読めるような文章が好きなのだとおもう。弱っているときに読んで、ちょっとだけ元気になるようなもの、そういうものを読んだときがいちばんうれしくなる。

《今週は自分を改善しようと思う。
 もっと本を読むべきだ。たぶん明日は重要な本を買い、読破し、なにか知らなかったことを学ぶだろう。実際、なぜ毎週そう決意しないのだろう。一週間に一冊、いい本を読もう。そうすればわたしは改善されるだろう》

 これはアンディ・ルーニーの〔男の枕草子〕『自己改善週間』(北澤和彦訳、晶文社)の一節。

 これといって斬新なことが書かれているわけではない。でもその語り口が好きなのだ。最初に「べきだ」と強くいったあと、「だろう」「だろう」と続けることで、すっとぼけたかんじになって、意味を押しつけない。

 アンディ・ルーニーは知性には二種類あるという。
 ひとつは試験の点数で測れる知性、もうひとつは数字では測れない「人生の理解力」ともいうべき知性だ。
 平野謙がいう「人間智」(浅見淵を評した言葉)も同じような意味だとおもう。

「人生の理解力」「人間智」というのは、なんてことのないところにあるのではないか。

 最近おもったのは、それは「楽」ということと関係あるかもしれないということだ。自分が「楽」になること、他人を「楽」にさせること。自然にそうふるまえること。自分が「楽」だとおもう状態が、他人にとってはそうでもないこともあるし、その逆もある。

 ほどよく「楽」になるにはどうすればいいのか。「楽」にはわからない。

2009/01/15

割に合わぬ賭

 夕方から仕事。神保町の三省堂書店に行き、その向いの三崎市場でかすうどんを食う。最初はあまり期待していなかったのだが、好みの味だった。
 そのあとダイバーの古本市に行くと、NEGIさんがいた。
 すこし前に、NEGIさんが、職場で歩きながら本を読んでいたら、同僚に笑われたというような話を聞いた。こんどフルマラソンに挑戦するそうだが、たぶん本を読みながら走るのではないかとおもう。
 それはさておき、わたしもよく歩きながら読む。エスカレーターやエレベータに乗った瞬間、ほとんど無意識のうちに本を開く癖がついている。
 
 ここ数日、文庫化された『手塚治虫大全』(全三巻、光文社知恵の森文庫)を読み続けている。おもしろい。
 一巻の「若さの証明」というエッセイには、昔は「仕事即道楽」だったが、上京してからは執筆から趣味の部分が消えたと述懐している。漫画家のような人気稼業は、すこしの油断も妥協も許されない。

《きびしい競争に負けて、ぼくの同世代の描き手がどんどん脱落して行き、ぼくのまわりは一世代も二世代も若い後輩ばかりになっていった》

 手塚治虫は「若さ」とは「自信」だという。作品が失敗しても、連載が打ち切られても、「おれの作品は正しい」とおもい、「次の作品を見ていろよ」と新しい仕事にとりくんだ。

(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)

2009/01/14

明哲保身

 寒さに弱く、寝起がわるい。そのかわり睡眠時間はやたら長くなる。酒量も増える。外出するときは、ユニクロのヒートテックの長そでのシャツ(中に半そでのも着る)を着て、防寒仕様の靴をはき、耳まですっぽりはいる帽子をかぶり、さらに腰に温楽を貼って、葛根湯も飲む。文明の力を借りて、どうにかなっているかんじだが、こんな生活をしていたら、ますます脆弱になってしまうのではないかと心配だ。

 池袋往来座の「外市」の翌日も、ほぼ一日寝ていた。充電期間というより、ほとんど冬眠状態である。
 年末に買ったPSPの「ボナンザ」という将棋ゲームばかりやっている。
 春になったらもうすこし元気になるとおもう。

 ある古典を読んでいたら、「知恵ある者たちは知性のいとも心穏やかな僕たる意志の力」をもっているという文章があった。ヴィーコという十七世紀生まれの哲学者の書いた『学問の力』(上村忠男、佐々木力訳、岩波文庫)にあった一節だ。
 古本屋通いをしていると、おそらく膨大な本を読んできて、いろいろなことを知っているとおもわれる年輩の人々が、人を突き飛ばしたり、いきなりレジで怒鳴りつけたりするような光景をよく見る。
 知性によって自分を律する「意志の力」が足りない。

 かつては自分を律したいとおもう気持があった。でもだんだん、無理をしないということに意志の力をつかうようになった。多少の不義理はいたしかたなしと諦めている。

2009/01/05

帰省

 三十日、ぷらっとこだまで帰省。すこし時間に余裕があったので、東京駅で降り、R.S.Booksをのぞくと、『深沢七郎ライブ』(話の特集)があった。ちょっと高い本は、何かきっかけがないと買えない。それが今だ。これから田舎に帰るというのに、重い本を買ってしまった。八重洲古書館のすこし先にあるアロマでコーヒーを飲む。
 電車の中では、山田風太郎エッセイ集成『風山房風呂焚き唄』(筑摩書房)を読む。旅先に単行本を持っていくことはめずらしいのだが、山田風太郎のこのシリーズはゆっくり読みたい。
 電車が小田原駅の手前で止まる。一時間四十分。風太郎、読み終わる。結局、名古屋まで六時間くらいかかってしまった。『深沢七郎ライブ』を買っておいてよかった。

《仕事をすることは食べること以外に意味を求めてはいけないのです》

 という深沢七郎の一行にうなる。
 
 前に帰省したとき、沼津で電車が止まったことがあった。そのとき電車の中で読んでいたのも山田風太郎だった。たしか『戦中派不戦日記』だった気がする。
 そんなこんなで鈴鹿へ。
 父も自動車関係の工場で五十年ちかく働いているのだが、鈴鹿ではフィットなどの小型車が中心のため、今のところ自動車不況の影響はそれほど受けていないらしい。でも今年、小型車の生産を関東の工場にも分割するという話もあり、そうなると、かなり深刻な事態になるかもしれない。
 大晦日、町に出る。ブックセンター白揚の場所が田舎の家の近くに移転していた。それから鈴鹿ハンター。ゑびすやでかやくうどん。そのあとボンボンという喫茶店でコーヒーを飲む。
 母、テレビを見ながらずっとナンクロをやっている。自作の回答用紙も作っていた。

 元旦は静岡に移動。妻の親族が大勢集まる。十四、五人。にぎやか。食いものがあっという間になくなる。
 次の日、自転車を借りて浅間神社へ。
 近くには正月からやっている古本屋がいくつかある。
 三日、各駅列車で東京に帰る。

 今日から仕事はじめ……といっても、昨年渡した原稿の校正をちょこっとやっただけ。
 そのあと高円寺の古本屋をまわる。
 まだちょっと正月ボケ。