2008/11/30

みちくさ市のことなど

 みちくさ市、寝坊。雑司ケ谷、午前十一時着(開始は午前十時)。
 言い訳にならない言い訳をすると、前の晩、渋谷BYGで東京ローカル・ホンクのライブがあって、次の日のこともあるから、打ち上げは参加しないつもりだったのだが、新曲(「昼休み」)が、あまりにも素晴らしく、メンバーに一言おもいを伝えてからでないと帰れないという気持になり、打ち上げに出て酒を飲んだら帰りたくなくなって、結局、終電くらいまで飲んでしまい、帰宅後も眠れず、徹夜でみちくさ市に行こうとおもっていたら、朝七時くらいに寝てしまい、遅刻してしまったというわけだ。

 みちくさ市は、ほんとうによかったですよ。天気もよかった。まったく人が途絶えなかった。
 売り場は八百屋さんの前。
 昼すぎ、カーネーションの直枝政弘さんがふらっとあらわれる。ふと通りの向いを見ると、南陀楼綾繁さんがいる。「い、い、今、直枝さん、来てますよ」と舞いあがりながら伝える。
 先日、直枝さん、関口直人さん(『昔日の客』の山王書房、関口良雄さんの長男。音楽関係の仕事でもたいへん活躍されている)、Yさん、音羽館の広瀬さん、岡崎武志さんと西荻窪で飲んだとき、みちくさ市のことをすこし話したら、来てくれたのである。
 隣で古本や雑貨を売っていたUさんに、「さっきの人、カーネーションの直枝さんですよ」というと、「CD、二枚持っている」と口惜しがっていた。

 あと近々、パラディさん、新しい展開があるらしい(正式に決まったらまた報告します)。

……これから仕事。やや正念場です。

2008/11/26

回復

 右ひじの関節痛もほぼ回復。オリンピックで買ったひじ用のサポーターはけっこう重宝した。
 部屋を換気して、窓ふきもする。

 連休中は、あまり外出しなかったのだけど、新宿のブックファーストに行ってきた。JRから都庁方面に地下道を歩いてすぐだ。雨の日でも傘なしで行ける。通路がわりと広くて、本をゆっくり見ることができた。
 地下一階と地下二階との行き来が面倒。ぐるぐるまわっているあいだに出口がどこかわからなくなる。文芸書と人文書がちょっと離れすぎか。でも営業時間が午後十時までというのはありがたい。
 買いそびれていた『カラスヤサトシ』(講談社)の三巻を購入する。
 そのあとビックカメラをのぞいて、小田急のデパ地下へ。天むすとぎょうざを買う。
 新宿西口。もうすこし喫茶店と安い食物屋があればいいのだが……。くつろげる場所がない。

 十一月三十日(日)は、わめぞイベントの鬼子母神通りのみちくさ市があります。

 出品する本の準備完了。本以外のモノもいろいろ出るらしい。楽しみだ。

2008/11/22

読書肘

 昨日、三十九歳になった。その日、右ひじの痛みに悩まされていた。

 毎年この時期、正宗白鳥の『今年の秋』(中公文庫)を読む。そのあと立て続けに、布団にうつぶせのまま、正宗白鳥の本、深沢七郎の本を読んだ。あと新刊本も二冊読んだ。
 そのときひじをついて顔をあげる格好で読んでいた。当然、ひじに上半身の体重がかかる。起き上がるときに、ビリビリといういやなかんじがした。その後、右手に力をいれるだけで関節が痛い。曲げても伸ばして力をいれても痛い。
 不便だ。コップひとつ洗うのもままならない。字を書くのも苦労する。
 横になっているとき、いつもは何も考えずに手をついて、立ち上がっているのだが、左手一本で起きるのは、むずかしいことがわかった。

 おそらく同じ姿勢でずっと本を読んでいたせいだとおもうが、齢もあるだろう。しかし読書でひじを痛めることになるとはおもいもしなかった。
 メシは左手で食った。左手一本でコーヒーを入れ、コップと皿を洗う。やりにくかったが、なんとかできた。

 ところが、生れてこのかた、まったく左手でやったことのないことがある。
 便所で尻をふく行為である。
 できなくはないのだが、すごく違和感がある。
 小さな発見であった。

 インドメタシン配合の痛みどめの薬をぬって寝る。
 だいぶよくなったので、西部古書会館に行く。
 本を持つと、まだすこし痛む。なんぎや。

2008/11/19

井伏鱒二

 先週末から『アホアホ本エクスポ』(BNN)の中嶋大介さんが上京し、広島から堀治喜さんも上京し、わたしの仕事部屋のほうに泊っている。
 土曜日、青山ブックセンターのトークショーも盛況だった。

 月曜、昼、荻窪のささま書店に行くと、待ち合わせしたわけではないのに、中嶋さんと遭遇。ラーメンを食う。家にもどって仕事。

 来月から『本の雑誌』で新連載がはじまる。八百字のコラム。今、この雑誌にいちばん足りないものは何だろうと考えていたら、突然「井伏鱒二だ!」とひらめいた。自分の思考がちょっとおかしいことにも気づいた。
 一晩中、井伏鱒二を読んでノートに五頁くらい下書きして八百字にまとめる(とりあげた本は一冊)。いつの時代の文章かわからないコラムになった。

 みちくさ市の準備もする。ちなみに、井伏鱒二は十年以上「わめぞ」界隈を転々と移りすんでいたことがある。
 井伏鱒二の小説やエッセイに青木南八という親友がちょくちょく出てくる。最近、この名前をどこかで見たなあとおもったら、宇佐美承の『池袋モンパルナス』(集英社文庫)の小島信夫の解説で見た。
 青木南八は宇佐美承のおじ。学生時代、自堕落な暮らしをしていた井伏鱒二をずっと励まし続けていた親友である。才能はあったが、夭逝している。

 夕方、都丸書店、アニマル洋子をまわる。南口のパル商店街にヴィレッジヴァンガードができることを知る。十一月二十八日オープン。
 急に甘いものが食いたくなり、久しぶり駅前のミスタードーナツに行く。大声で携帯電話でしゃべりつづける若者がいたり、バイトチョータリーとかブッコロスとか、まったく会話が成立しないまま、お互い好き勝手にしゃべりつづける若い女性二人組がいたりして、本が読めず、五分で店を出る。

 そういえば、高円寺北口のららマートが閉店。いきなりなのでおどろく。けっこう客いたのに。なぜだろう。卵と刺身はいつもららマートで買っていたのだが……。残念。

2008/11/14

二日酔い対策…失敗編

 水曜日、扉野良人さんが上京する。昼間、東京堂書店に行ったので、三階の畠中さんに声をかける。
 午後十時すぎにコクテイルで待ち合わせ。すると、岡崎武志さんが来店。偶然。午前二時すぎまで、コクテイルで飲んで、そのあと何人かで部屋飲みする。朝五時半まで。

 酒を飲むとラーメンが食いたくなる。でんぷんと塩分を補給すると、二日酔いの予防になる。あと水分もとったほうがいいらしい。

 それでも二日酔いになってしまうことがある。ひどい頭痛だ。からだが動かない。何もできない。貧血気味。ふらふらだ。
 月に一度か二度、そういう日がある。酒をやめようかとおもう。トイレでカラスヤサトシの『カラスヤサトシ』(講談社)を読む。
 二日酔いの予防だけでなく、二日酔いの解消も、ラーメン(それもインスタント)がいいようだ。
 半身浴で汗をいっぱいかいて、スポーツ飲料で水分補給する。これで頭痛はちょっと軽減する。
 あくまでもわたしの場合だけど。

『小説すばる』の十二月号が届く。連載の「古書古書話」は一年になった。

 ちゃんとからだが動くようになったのは夜十一時半くらい。ららまーとで買物。卵と牛乳を買う。クッパっぽいものを作る。味付は、塩こしょう、鳥がらスープ、ごま油、にんにく、オイスターソース、とんがら酢。具は、鳥肉、わかめ、あおさ、しいたけ、もやし、ねぎ、卵。
 ここまで作ってごはんをいれるか、焼きそばの麺をいれるか悩む。

(結局、ごはんにした)

2008/11/12

むずかしいところ

 歯の治療終了。三回ですんだ。歯石もとってもらった。以前、同じような治療で五回通ったことがある。
 それから歯石とりは、痛くて血も出てすごくいやなのだが、今、機械でやるんだね。まったく痛くなかった。
 たぶん、いい歯医者だとおもう。でもあまり客はいなかった。帰りぎわに予約表みたいなものを見たけど、まっしろだった。ひょっとしたら混んでないから、丁寧にやってくれたのだろうか。
 評判のいい歯医者は混む。その結果、治療時間が短くなり、行く回数が増える。その分、金もかかる。面倒くさい。

 今回の歯医者が、評判になって忙しくなったら、今回のような治療が受けられなくなるかもしれない。しかし繁盛しなければ、潰れてしまうかもしれない。
 むずかしいところである。

 これは飲み屋とか喫茶店にもいえる。
 混んでいる店はつい敬遠してしまう。それでゆっくり酒が飲める店、本が読める喫茶店に行く。ときどきこの店、こんなに客がいなくて大丈夫なのかと心配になる。
 とはいえ、のんびりしていた店が評判になって、忙しい店になってしまったら、複雑な気持になる。

 新刊で窪島誠一郎著『戦没画家 靉光の生涯』(新日本出版社)という本が出ている。池袋モンパルナスもの。気になる。
 今月の新刊といえば、色川武大の『遠景 雀 復活』(講談社文芸文庫)は買わないわけにはいかん。『虫喰仙次』(福武文庫、単行本は『遠景 雀 復活』という題だった)と同じかなとおもったら、「九段の杜」「疾駆」という短篇が増えていた。

「疾駆」という短篇の書き出しはこう。

《池袋のはずれに、今はもう建物に埋まっているだろうが、雑司ヶ谷という疎林を点々と含む大きな原があって、小学生の頃に学校をサボリ休みしてよく行った》

 池袋往来座の瀬戸さん、ぜひ読んでください。

2008/11/11

戦争になっても

 昔から小食なのだが一日四、五食分けて食う生活だ。先日テレビを見ていたら、そのほうが太らないらしい。ただし内蔵に負担がかかるため疲れやすいとも。
 常々健康情報はあんまり信用してはいけないと自戒しているのだが、たしかに太らないけど、疲れやすいというのはほんとうかもしれない。
 たいした運動もしていないのに、疲れている。
 だらだらと神田の古本まつり、京都百万遍の古本まつりなどで買った本を読む。

 中村光夫の『文學論』(中央公論社、一九四二年刊)もその一冊。この本の中に「知識と信念」という文章がある。読んでいて、いろいろ考えさせられた。
 文末には、昭和十六年十一月「文藝春秋」とある。日米開戦直前の文章である。

 防空訓練のことにふれ、「むろん空襲を徒らにおそれるのは、殊に我國のやうな場合には過りであらう。都市を空襲されたとしても、それで死ぬのはよくよく運の悪い者だけだとは、實地に空襲の洗禮を受けた人々が誰しも云ふところである」と中村光夫は述べている。

 自分のような凡人は、明日も一年後も自分の命が続くことを信じていないと、生活を営んでいけない、常に死を念頭に生きることは、容易に行えることではない、だからといって、死という事実は消え去るものではないという。

《現代の戦争は人類にとつて疑ひなく、大きな不幸ではあるが、その僕等の平素忘れがちな厳粛な眞實を、絶えず否應なく意識させてくれる點で、僕等の思想にとつては、或る何物にも代へ難い恩恵を與へてくれるのではなからうか》

 そして戦時下における知識人の意味を考える。

《もとより死を輕んずるのは武人の業であらう。文學者は——というより普通の人間は——正常な意味で死を恐れねばならぬと僕は信じてゐる。だが僕等が平素身につけたと信じてゐる知識や教養が、果たしてその期に及んでどれだけ自分に役立つか。いひかへれば僕等は本當に自分の死場所と云へるところに生きてゐるか》

 そう自問しつつ、こんなたとえ話をする。
 カントの哲学を講じ衣食の道を得ているだけの人と、カントに傾倒して自分の生きる道を見出している人が、平素の無事な時代であれば、両者は同じ哲学者であると信じていられるだろう。
 生計を得るか否かというだけでなく、自分の生死をかけられるものかどうか。
 それが戦争によって明らかになるはずだ……。

《僕の希ふところは、社會に對して文學の専門家顏をすることより、飽くまでかうした自己の知的本能に忠實に生きることである》

《現代の日本文化の混亂は、おそらく東洋にも西洋にもかつて類例のなかつた異様なものである。しかも僕等はこの混亂のなかで、少なくも次代に生きて育つべき眞の文化の種子を蒔いておかなければならないのである》

 好戦とか反戦とかそういう話ではない。
 明日無事かどうかわからない時代になったとき、いかなる生き方をすべきか。
 次代のために文化の種子を蒔かなければならない。
 日米開戦直前、三十歳の中村光夫はそんなことを考えていた。

 戦争ということになると、どうしても好戦か反戦かと考えがちだけど、いずれにせよ自分はやりたいことをやり続けるという考え方もあっていいとおもう。
 もちろん戦争になれば、それどころではなくなるかもしれない。そうであっても、同じ命をかけるのであれば、命がけで国のために戦う(あるいは反戦運動をする)より、命がけで好きなことをやるという考え方もあるわけだ。

 天下国家なんか関係ない。いや、天下国家なんか関係ないという人を許容できるような世の中であってほしい。
 そういうことがいえない世の中よりはいえる世の中のほうがいい世の中だとおもう。

(なんで今わたしはこんなことを書いているのだろう。現実逃避か……)

2008/11/09

雑記

 気温の変化。低血圧。今年はもうすんだとおもっていた秋の花粉症がまたきている気がする。ちょうど京都に行く前から鼻がぐずぐずしていて、この二、三日、ひどい。漢方(小青龍湯)を飲む。四、五時間経つと、くしゃみ鼻水が止まらなくなる。すこし酒をひかえる。

 土曜日、午後一時半くらいまでに行かなければならない仕事があったのだが、目ざまし時計を見たら午後二時すぎ。「大丈夫ですか?」という電話がかかってきた。「すみません」といって家を出る。
 人が待ち合わせに遅れてきたときは寛容になろうとおもう。
 夜、豚肉とほうれんそうとにんにくのスパゲティを作る。いきおいで翌日のためにタコ入りの炊込みご飯も作る。これで明日は外出せず、一日中、家でごろごろしていられる。

 すこし前、中古レコード屋でストロベリー・アラーム・クロックのCD(『ザ・ワールド・イン・ア・シー・シェル』)を買った。一九六〇年代のサイケロックの名盤。ライナー(上柴とおる)もおもしろい。

《興味深いのは、キャロル・キングの作品が2曲収録されていること。カヴァーではなく、書き下ろしである》

 ストロベリー・アラーム・クロックのメンバーがスタジオでレコーディング中、たまたまキャロル・キングが見にきて、次の日、彼らに自作の曲を手渡したのだそうだ。あとこのバンド、一九六八年にビーチ・ボーイズ、バッファロー・スプリングフィールドと三ヶ月もいっしょにツアーをしていた。ドアーズのメンバーとは飲み明かす仲だったとも。

《彼らのファーストを飾っていた曲「ザ・ワールズ・オン・ファイア」の際には、ドラマーのランディが、腕にガス管をくっつけ、ドラムを叩くと手から火が出て、ボンゴが爆発するという派手な演出で観客を沸かしたとか》

 どんなライブや。

……というわけで、いろいろ告知を。

十一月十五日(土) 大阪在住のBOOKONNの中嶋大介さんの『アホアホ本エクスポ』(BNN)の刊行記念トークショー(ゲスト:常盤響さん)が青山ブックセンター本店で開催。
18:00〜20:00(開場17:30)
定員120名。

それから翌日十六日(日)は、西荻ブックマークで佐藤泰志イベントもあります。
以下、西荻ブックマークのホームページからの転載です。
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第27回西荻ブックマーク
「そこのみにて光り輝く 〜佐藤泰志の小説世界〜」
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出演:岡崎武志(書評家、ライター)、文 弘樹(図書出版クレイン)、廣瀬洋一(古書 音羽館)ほか
会場:今野スタジオ『MARE(マーレ)』
1500円・定員25名・要予約
17:00〜19:00
※予約後にキャンセルの場合はお早めにご連絡願います。
主催:西荻ブックマーク実行委員会

18年前に惜しまれつつ世を去った佐藤泰志。昨年、吉祥寺の出版社クレインより作品集が刊行され、再び注目を集めつつあります。清冽な文体が織りなす作品世界を朗読や証言などを交え、本人不在のトークショーを成立させます。

<<さとう やすし>>
1949年4月函館生まれ。1974年、国学院大学卒業後、さまざまな職業に従事しながら、文筆活動を続ける。5度の芥川賞候補、第2回三島賞候補となる。1990年10月自ら命を絶つ。享年41歳。
               *
 日にちが近づいたら、また詳しく告知するつもりですが、十一月三十日(日)の鬼子母神通りの「みちくさ市」に「文壇高円寺」も参加することになりました。ひさびさに売り子もします。寝坊しないよう気をつけたい。

2008/11/06

温故知新

 昨日は家事に専念。掃除。本の整理。毛布と布団カバーの洗濯をする。コタツ布団を出す。午後は歯医者。治療費二千円ちょっと。あと一回で終わる。合計七千円くらいになる。前もって教えてくれた。夕方、うどん作る。夜、うどんの残りつゆを利用してブリ雑炊を作る。

 京都百万遍の古本市で平野謙の『志賀直哉とその時代』(中央公論社)を買った。三冊五百円の均一の残り一冊何にしようかなとおもって手にとって目次を見たら、すこし前に孫引きした「浅見淵」に関する文章が収録されていた。
 浅見淵は『続昭和文壇側面史』の中で室生犀星が、亡くなるまでにふたりの女性の面倒をみていたという話を紹介し、「犀星の晩年の作品が、色っぽかったゆえんの謎も、これで解明されそうである」と書いている。その指摘を読み、平野謙は「浅見さんの人間智」と評した。

「人間智」という言葉にいだいていた印象とは微妙にちがうのだが、単に言葉の意味を読み解いて文学理解するだけでなく、作者の生理のような部分まで認識する力が浅見淵にはあったのではないか。

 浅見淵、あるいは尾崎一雄もそうだが、わたしが彼らの作品を読みはじめたときは、完全に時代遅れの作家ということになっていた。

 日本の近代文学は、西洋より遅れているとおもわれていて、当時の知識人は、新しい思想、文学を西洋に学ぶことが多かった。海外の新しいものを学んだ人が古いものを学んだ人を駆逐する。そうやって世代交代してゆくうちに、だんだん西洋と日本の差がなくなってきた。

 すると、今度は新しいか古いかということより、視野が広いかどうかということが問われるようになる。私小説は古いのではなく、単なる身辺雑記で視野が狭いと批判される。世の中を俯瞰する視点があるかどうか。どれだけさまざまな文化に精通しているか。批評の世界はその高さを競うようなところが今でもある。
 俯瞰する視点が高くなればなるほど、視野は広くなるけど、その結果、あらゆるものが等価なんだというような思想も出てくる。

 その考え方からすれば、古いものにもプラスとマイナスがあり、新しいものにもプラスとマイナスがあるともいえる。わたしが「精神の緊張度」とか「人間智」といったことを考えているのも、そこに何らかのプラスの要素があるのではないかとおもってのことだ。

 平野謙は「人間そのものに対するみずみずしい好奇心みたいなもの」が「昨今の若い批評家」には欠乏しているといって、物議をかもしたことがある。浅見淵が亡くなった一九七三年ごろの話である。

(……未完)

2008/11/04

ここ数日

 図書新聞、小説すばる、ちくまの原稿を書いて送って、アルバイトを通常の倍のスピードでこなして、夜、のぞみで京都に行く。連休中だったせいか、東京駅のホームが人でいっぱいだった。格安チケットで指定席の券を買っていたのだが、満席のため自由席に乗る。

 扉野良人さんには午後十時すぎくらいに京都に着くといってたのだけど、一時間以上早く着いてしまったので、六曜社でコーヒーを飲んで、すきやの牛丼を食う。
 公衆電話がなくて、結局、京阪祇園四条駅の駅から電話。京阪の駅の名前が変わっていておどろいた。

 翌日、百万遍の古本まつり。ちょうど読みたいとおもっていた平野謙の浅見淵のことを書いた文章の載っている本などをちょこまか買う。思文閣の地下のうどん屋でなべ焼きうどんを食って、河原町のJTBで帰りのぷらっとこだまの切符を買ってから大阪の貸本喫茶ちょうちょぼっこに行く。
 古本の売り上げ金をもらい、天満橋に行って、天牛と矢野を見て、たこ焼食って、BOOKONNの中嶋さんの『アホアホ本エクスポ』(BNN)と浅生ハルミンさん、近代ナリコさんの本の出版を祝うパーティーに行く。
 ちょうちょぼっこの四人がそろっているの見たのはひさしぶりかもしれない。エエジャナイカの北村君とひさしぶり喋る。
 この日は、中嶋さんの家に泊めてもらった。
 ウイスキー用意してくれていたので、ありがたく飲む。インターネットの古書店をやっているだけあって、古本屋と同じにおいがする家だった。
 関西にいるあいだは、関西弁(というか三重弁)になる。関西弁だと軽くどもることに気づいた。しゃべるテンポがちょっと変わるせいか言葉が追いつかない。

 二日(日)、昼すぎのぷらっとこだまをとっていたので、それまで中嶋さんと梅田界隈を散策。第二ビルの四国屋のうどんを食って、第三ビルの古本屋をのぞいて、喫茶店をはしご。
 新大阪から東京。そのまま池袋往来座の「外市」の打ち上げに参加。世界の山ちゃん。店内放送がうるさくて、塩山さんが、ずっと文句いいつづける。数十分後、静かになる。水割三杯までにしようとおもっていたのだけど、五杯くらい飲んだか。
 退屈君にブックオカのブックカバーをもらう。西日本新聞のブックオカ特集の冊子も見せてもらう。

 三日(月)、旅疲れのせいか、十時間以上寝る。起きたら昼すぎ。午後一時から小さな古本博覧会の久住昌之さんの「高円寺とボク」というトーク&ライブ(無料)を聞きに行く。
 ふきっさらしの道路沿いの会場でビールケースに板をひいた台の上でしゃべる久住さんの姿があやしくてよかった。
 午後三時からは「最終大売り出し」。かなりいい本が残っていた。
 それからコクテイルで「古本催事のこれから」というイベントに行く。わめぞからは古書現世の向井透史さん、パラディさん、うさぎ書林さんが出演。噂の揚羽堂さんとはじめて会う。同い年であることが判明してはしゃぐ。
 コクテイルのあと、ささま書店のN君と文系ファンタジックシンガーのPippoさんと揚州商人でラーメン。ずっと詩の話。午前二時すぎ。この日も水割三杯までとおもっていたのだが、六杯くらい飲んだか。
……これから仕事。酒がぬけん。