2007/05/22

収集人生

 荻窪のささま書店に行った。いろいろ本を買ったけど、その中でも高木実の『小さな地図への旅 地図切手の世界』(旺文社文庫)がおもいのほか面白くて、名曲喫茶ミニヨンで読みふけり、家に帰ってからも熟読した。

 小学生のころ、切手ブームでわたしも当時は記念切手を集めていた。すぐ飽きた。でもとくに切手マニアではなくても、この本はたのしめるにちがいない。
 どんな小さなことでも深くほりさげていけば、おのずと広い世界に通じる。そのことを証明しているような本なのだ。

『小さな地図の旅』は、切手のなかでもさらに「地図切手」についての本である。著者は地図の描かれた切手のコレクターである。「地図切手」をテーマに一冊の本を書き上げてしまうことも驚きだが、「地図切手」から歴史から国際情勢(竹島問題や西沙・南沙諸島問題など)まで、話題は縦横無尽におよび、コレクションについて思索は、あらゆるマニアに共通する普遍性に達している。

“解放区切手”と称される中国東北地域の地図が描かれた切手がある。一九四七年九月一八日に発行された中国内戦中の中共解放区でつかわれた切手だそうだ。旧満州地図の描かれた切手は、文字通り“幻の切手”だった。世界中の切手コレクターのバイブルといえるようなアメリカのスコット社のカタログにもこの地図のことは書かれていない。
 それはなぜか。

《このスコット・カタログには、全世界のありとあらゆる切手が簡潔に解説されているが、ただアメリカの国情が反映されていて、アメリカと国交のない国々の切手は掲載されていない》

 それゆえニクソンが訪中した一九七二年の版までは、「新中国と中共解放区の切手は一枚たりとも紹介されなかった」のだという。この本が刊行(単行本は一九八一年)されたころの東西冷戦構造も、切手収集家に大きな影響を与えている。

 正直、絵はがきとかマッチラベルとか紙ものを集める人の気持がよくわからなかったのだが、コレクションへの情熱と知識が高まれば高まるほど、たった一枚の切手からでも、いろいろなことがわかることを知り、わたしは紙ものマニアにたいする考え方をあらためた。奥が深いんだ。
 よくよくかんがえてみれば、古本の収集にしても、函とかカバーとか帯があるかないかで、値段がぜんぜんちがってくる。文庫本なんかだと、カバーがないと売り物にならず、捨てられてしまうこともある。
 古書価についていえば、中身の活字よりもカバーや帯のほうが高いのではないかとおもうことがある。カバー付だと一万円以上する本が裸本だと千円くらいで売られているときがある。
 そうなってくると、古本は見かけが九割なのかもしれないとかんがえざるをえない。

《本来、収集などというものは、未完成な無限なものを、少しでも完成に近づけようと、コツコツと努力して追求し続けるプロセスそのものなのかもしれない。山あり谷ありのプロセスにじっと耐えていく持続性が不可欠であり、その追求過程を通して、思いもかけぬさまざまな体験や愉しみが派生してくるといえるのではないかと、一人心の中で独断的につぶやき続けている》(第一章 “集める”愉しみ)

 わたしもかれこれ二十年くらい古本を収集している。といって、コレクターというほどの情熱もなく、読んだ本はけっこう売ってしまう。でもあるジャンル、ある作家の本に関しては、すこしでもコレクションを完成に近づけたいというおもいはある。
『小さな地図への旅』を読んでいて、自分はまだまだだなあとおもった。
 いかに趣味への情熱の継続させるか。すでにそんなことを考えてしまうということは、その情熱は衰えつつあるということかもしれない。やみくもにあるひとつのジャンルを追いかける。でもだんだんその難易度があがり、行きづまってくる。そして停滞する。いつだってそうだ。あらゆるコレクションがそうだろう。

 コレクターの世界は、けっこう共通点が多い。
 切手コレクターは「コレクター本人の存命中、家族の者達は、自分達のものをあまり買ってくれないで、お父さんはあんな紙切ればかりにお金と時間をつぎ込んでという反撥感を、潜在的にせよ、持ち続けている」という。
 だからコレクターが亡くなると、遺族はこれまでのうっぷんを晴らすかのように「存命中の努力の結晶 」ともいえる切手コレクションを売り払ってしまう。そのおかげで「後続の切手コレクターにとっては、なかなか入手できない切手を収集するチャンス」もまわってくるのだ。
 古本も同じだなあとおもってため息が出る。

《自分がこの世との別れを告げる日まで、自分なりの何かを追求し続け、この世にいささかなりとも自己の存在証明としての足跡を残したいものだと思うのは、万人共通の願望といえないだろうか》

 その願望を実現するためには、一日二十四時間の中に「自己の関心事に対する自分一人の自由な時間を、それこそ強引にでも、割り込ませて、それを定常化させること」が必要だという。
 著者の高木実さんは、新日鉄勤務のサラリーマンで、会社勤めをしながら、ライフワークの「地図切手」収集に打ち込んでいる。

《宇宙の歴史からみれば一瞬ともいえる短い人生、この人生を自分なりに自己を完全燃焼させて悔いないものにしたいという願望だけは、哲学者に負けず劣らず私も強く抱き続けている》

 その自己の存在証明と完全燃焼の対象が著者にとっては「地図切手」なのだ。
 なんだかよくわからないが、勇気づけられる本だ。