2007/04/28

古本暮らしのこと

 単行本『古本暮らし』(晶文社、一七〇〇円+税)が出ました。
 はじめての単行本です。

 晶文社ワンダーランドに「散歩は古本屋巡礼」(「出版ダイジェスト」(二〇〇七年五月一日号)の「散歩は古本屋巡礼」をもとに改稿)というエッセイが掲載されました。
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「神保町ライター」という言葉がありますが、どちらかというと、わたしは中央線沿線の古本屋ばかりまわっているフリーライターです。

 このたび『古本暮らし』(晶文社)と題する本を書きました。古本屋通いをはじめたのは高校時代、最初は大正アナキズムに興味を持つようになったのですが、そうすると新刊書店ではなかなかそのての本が売っていないので、どうしても古本屋に行くしかなく、しかも当時、三重県の田舎に住んでいたため、電車に乗って、名古屋や大阪や京都の古本屋に行ってました。

 十九歳で上京後、『評伝辻潤』などの著作で知られる玉川信明さんと知り合い、アナキズムから辻潤、辻潤から吉行エイスケ、さらにその息子の吉行淳之介、それから第三の新人や同世代の「荒地」の詩人といったかんじで詩や文学に興味がひろがっていって、だんだん古本屋通いも本格化し、気がついたときにはかなり重度の活字中毒になっていました。

 上京してしばらくして高円寺に住むようになったのですが、この界隈だけでも二十件以上の古本屋や古本を売っている飲み屋、古着屋、古道具屋、レンタルビデオ屋があり、さらに西部古書会館で月に三回くらい古書展が開催されていて、中央線沿線の中野駅から吉祥寺駅のあいだに百軒以上の古本屋があり、そのあたりを毎日のように巡回しています。もちろん神保町、早稲田の古本街、京都、大阪の古本祭にも行きます。年間三百六十日くらい古本屋に通っているかもしれません。仕事中も古本のことばかり考えています。

 二十代はずっと食うや食わずの生活で、原稿の発表場所は、ミニコミや同人誌、小出版社の雑誌が中心だったので、年収百万円をきることもよくありました。こんなに食えないのによくやめなかったとおもいます。

 そんな自分の人生の転機になったのは、高円寺のある飲み屋で知り合った岡崎武志さんに『sumus』という京都で発行していた書物同人誌にさそっていただいたことです。そのことがきっかけで、古本や文学のことを書くようになり、四年前に『sumus』に発表したエッセイを林哲夫さんに『借家と古本』(スムース文庫)という小冊子にまとめてもらいました。
 この冊子はすぐ完売し、しばらく品切になっていたところ、こんどは高円寺の古本酒場コクテイルの狩野俊さんがぜひ復刻したいといってくれて、昨年秋に増補版が出ています。

 そうこうするうちに、今回の『古本暮らし』の単行本の話が決まりました。編集者は中川六平さん。中川さんは、坪内祐三著『ストリートワイズ』、高橋徹著『古本屋月の輪書林』、内堀弘著『石神井書林日録』、田村治芳著『彷書月刊編集長』、石田千著『月と菓子パン』(いずれも晶文社)などを手がけた名(迷?)編集者ですが、そんな中川さんに最初の単行本を作ってもらえたことは、ほんとうにうれしくおもっています。

 もともと中川さんとも十数年前に高円寺の飲み屋で知り合いました。数年前に「編集の仕事を手伝ってくれよお」という電話があって、飲むことになって、いろいろ話をしているうちに、中川さんが新人の本が作りたいというので「じゃあ、わたしの本はどうですか」というような流れで出来たのがこの本です(くわしくはあとがきを読んでください)。

 装丁は間村俊一さん、装画は『sumus』の林哲夫さんにお願いしました。ふたりは大西巨人の『神聖喜劇』(光文社文庫)などを手がけ、わたしの「古本道」の大先輩にもあたります。

『古本暮らし』を簡単に説明すると、高円寺在住のひまな中年男が町を散歩して古本を買ったり、部屋の掃除をしたり、自炊したり、酒を飲んだりしている日常をつづったエッセイ集です。
 天野忠、鮎川信夫、色川武大、梅崎春生、尾崎一雄、神吉拓郎、小島政二郎、十一谷義三郎、辻潤、西山勇太郎、庄司(金子)きみ、古山高麗雄、山田稔、吉行淳之介といった詩人や作家も登場します。

 当り前のことですが、本を買えば、本が増えます。部屋の壁はすべて本、床も本、そして台所や玄関、トイレにも本……。

 さらに本を買うとお金がかかります。本を買うために仕事をすれば、本を探す時間と読む時間がなくなります。
 古本マニアにとっての永遠の葛藤といえるでしょう。わたしもまたひまさえあれば、生活と仕事の両立、読書と仕事の両立についてかんがえてばかりいて、そんなことを考えているあいだに仕事をするか、本を読めばいいのにとおもうこともよくあります。

 本を買うために、上京以来、髪もずっと自分で切り、外食もほとんどせず、服もめったに買っていません。いまだに携帯電話もなく、車の免許もクレジットカードもありません。

 長年そういう生活をしているおかげで、倹約の知恵と家事のノウハウだけでは身につけることができました。
 洋服ダンスは、いつも二、三割空けておくのが理想とよく整理術の本に書いてありますが、同様に、本棚もいつも余裕のある状態にしておけば、本もすぐ見つかるし、気持よく本が買えます。しかしそれがおもいのほか困難であることは、本好きにとってはいうまでもない悩みです。
 おもいきった処置が必要なのはわかっているのですが、おもいきるための心の準備はなかなかできないのです。

《本も売ったり買ったりしているうちに、自分がほんとうに必要とする本がわかってくるのかもしれない。でもそれがわからないうちは手あたりしだいに買うしかない。
 なにを残し、なにを売るか。バランスをとるのがいいのか。偏ったほうがいいのか。ひとつのテーマを追いかけるのがいいのか。なんにでも対処できるように懐を深くかまえていたほうがいいのか。
 なにかしらの制約を自分で決めないときりがない。
 向き不向き、要不要。その見極めはとてもむずかしい》(「要不要」/『古本暮らし』に所収)

 限られたお金と時間と本の置き場所をどう有効に活用するかということは本好きにとっての切実なテーマです。
 わたしは、本を読むことによって、知識を増やすだけでなく、自分の考えを深めたり、感覚を鍛えたりしたい。そういう意味では『古本暮らし』は、自分中心の読書のすすめになっているかなとおもいます。

 とはいえ、毎日古本屋に通っていると、読書にたいする飢餓感がうすれてきますし、いろいろな本を読んでいるうちに、それなりに目が肥えてしまって、なかなか自分を満足させる本を見つけることがむずかしくなります。
 好きな作家の本をたいてい読みつくし、未読のものはあと残りわずか。その残りわずかの本は、当然、入手難ということになります。読書家ならかならず経験する、そうした低迷、停滞をどう乗りこえるか、もしくはやりすごせばいいのかということもこの本のテーマになっています。
 あと、どうすれば古本屋に高く本を売ることができるかという長年の経験をふまえたコツのようなものもいろいろ書いたつもりです。