2007/03/21

クーヴァーと色さん

 一昨日、吉祥寺のバサラブックスの福井さん、退屈君と部屋飲みして、昼起きる。起きたら、CDとレコードが散乱している。うーん、またやってしまったか。

 吉祥寺のレコファンでa-haのファーストアルバム(わたしの高校時代にものすごく流行した)を買って、その話をしたら、おもいのほかバサラの福井さんが食いついてきた。a-haからパイロット、エジソンライトハウスとロック史をさかのぼり、途中からAOR講座などをやり、終電で福井さんと途中参加の福井さんの友人が帰ったあとも深夜三時ごろまで退屈君におやじロックを聴かせつづけた。

 次の日、都丸書房支店でふだんはあまり行かない奥の美術関係の棚を見ていたら『富士正晴展カタログ』(企画・監修、杉本秀太郎、山田稔、廣重聰、一九八九年)があった。
 書とか絵とかにはあんまり興味がないのだけれど、いい顔だよな、富士正晴。おじいさん好きにはたまらん顔だ。家や書斎の写真もいい。

 夕方、柳瀬徹さんから電話があり、高円寺で飲みましょうということになった。
 コクテイルが定休日なので眉山亭に行く。
 カウンターに座って、長崎の平戸の話をしていたら、お店の人が「平戸の福井酒造のカピタンがありますよ」という。三十五度。さくっと飲めるけど、あとから効きそうな酒だ。ちょっとウイスキーっぽい。
 飲み屋に行く前にZQで清水潤三の『鉄道雑学事典』(広済堂出版、一九七六年)を買い、なにげなくカウンターの上に置いていたら、「うわ、なつかしい。子どものころ持っていたよ。この本」と鉄道ファンのお客さんに見つかり、鉄トークになる。
 鉄道がらみの映画の話になり、山田洋次の『家族』をすすめられた。長崎の炭坑労働者の家族が国鉄で日本列島を縦断し、北海道の開拓村を目ざす話らしい。

 柳瀬さんからは海外文学のことをいろいろ教えてもらっている。カタカナの名前はおぼえられないというと、紙に作家名と作品名を書いて渡してくれるのでとても助かる。
 そのメモにあったロバート・クーヴァーの『ユニヴァーサル野球協会』(越川芳明訳、新潮文庫)をようやく音羽館で見つけ、読んでびっくりした。
 ひたすら自分が考案した野球ゲームにのめりこむヘンリーという中年会計士の話なのだが、まるで色川武大の「ひとり博打」(阿佐田哲也著『外伝・麻雀放浪記』双葉文庫)みたいな小説なのだ。
「ひとり博打」のほうは相撲ゲームなのだが、やはり自分の考んたゲームにのめりこんで、身動きとれなくなってしまうという大筋はおなじだ。

《初日が終れば二日目を、二日目が終れば三日目をやらなくてはならないから、気持のくぎり目というものがない。そうやって星取表が埋まっていき、やがて千秋楽がくる。すると番付会議を敢行しなくてはならぬ。(中略)例えば幕内の尻で負け越すとする。しかし下が無ければそのまま据えおくより仕方がないのであり、そうした不自然さは私自身が辛うじて呑みこんで居ればよいとしても、一番一番の勝負において幕尻の力士にとっては、黒星が無意味なものになる》

 それで十両を作る。さらに同じ理由で十両の下の幕下、三段目、序二段、序の口、新序、本中と作ってゆく。

《弱ったことにはその下の下部組織が番付には作りようがない。(中略)相撲社会に飛びこんでくる全国の青年たちの育ち方から、徐々にこちらに集合してくる状態まで頭の中にいれていかないとなんとなくおちつかない気になる》

 力士の数が増えてくると、おぼえきれないので、カードを作る。番付によってカードの大きさを変え、二場所ないし三場所で一歳ずつ年をくわえる。ゲームがだんだん精緻になるにつれ、そのいそがしさは言語を絶するようになる。
「ひとり博打」は、相撲だけではなく、野球、映画、寄席芸人のカードも作り、競輪にいたっては「四千人のカード」を作ってしまう。たんなる勝負ではなく、その四千人の選手の実生活までかんがえる。

『ユニヴァーサル野球協会』も常軌を逸している。
 基本はサイコロゲームなのだが、主人公の球団勝敗盤を作り、花形選手や主戦投手、新人選手などを分類した一覧表を印刷している。ほかに「二盗専用の一覧表」をはじめ、「補助変数」という四球、失策、怪我などの組合わせの一覧表もある。

《選手の個人成績を算出したり、協会の記録を表に移すことに注意を集中すればするほど、勤務中にミスしがちになると、自分でも認めないわけにはいかなかった》

《ヘンリーはこの野球ゲームを創始するにあたり、手始めに、いわゆる南北戦争と再建の時代、野球の草創期から八球団を選びだし、各球団につき二十一人から成る選手名簿を作ったのだった》

《死亡者名簿の作成は保険統計表と協会人口に基づいていた。つまり、生存中のOBが千人を下まわらないように心がけたのだ》

 主人公は、ゲームにのめりこみすぎてからだが消耗してくるのだが、やめることはできない。完全にゲーム中毒だ。

 阿佐田哲也(色川武大)は一九二九年、ロバート・クーヴァーは一九三二年に生まれた。
「ひとり博打」は一九七〇年に「早稲田文学」に発表した作品で『ユニヴァーサル野球協会』は一九六八年に出版されている(初邦訳は一九八五年、若林出版)。
 時期は『ユニヴァーサル野球協会』のほうが二年早い。偶然だとおもうのだが、どうなんだろう。

 柳瀬さんと高円寺駅でわかれたあと急に酔いがまわる。おお、ぐるぐるだ。

……今日は休肝日にします。