2017/04/18

課題

 天気予報、東京の最高気温二十八度。室温は二十五度くらい。暑い。
 月曜日、荻窪。ささま書店に行く。編集工房ノアの品切本が並んでいる。大槻鉄男『樹木幻想』をはじめて見た。函入りだったとは。
 久しぶりにタウンセブンで鯖の押し寿司を買う。もうすこし荻窪界隈を散歩しようかとおもっていたら、小雨。家に帰る。

 高松在住の福田賢治さんが作っている『些末事研究』の三号が届く。この号の特集は「親と子」。福田さん、東賢次郎さん、扉野良人さんとわたしの座談会は、昨年六月に京都で収録した。
 わたしはずっと三重弁で喋っている。文字にすると、けっこう違和感があるが、そのままにした。

 昨年の五月末に父が亡くなって、それで東京と三重を行ったり来たりしていた。『些末事研究』の座談会の前日も凍結された父の銀行口座の件やら何やらで消耗していた。京都に行って、ようやく人心地ついた気がした。

 今月のはじめに発売のインディーズ文芸創作誌の『ウィッチンケア』の8号にも「わたしがアナキストだったころ」というエッセイを書いた。
 ここ何年かでいちばん苦心して書いた文章かもしれない。

『なnD 5』でも、インタビューというか、戸塚泰雄さんと五、六時間飲んだあと、帰り際にいろいろ質問されて、酔っぱらって喋ったことが収録されている。
 すこし前に中古のベースを買って浮れていた。浮れたかんじがそのまま活字になっている。でも直さなかった。

 文章を書いている途中に、ちがうことを書きたくなってしまうことがよくある。でも仕事の原稿でそんなことをしていると、期日に間に合わないし、次の予定にも支障が出る。
 そうこうするうちに遊びの部分をカットし、ひとつずつ順番に仕上げることを優先するようになる。効率はいいが、楽しくない。アクセルではなく、ブレーキばかり踏んでいるような気分になる。

 今はそのあたりのバランスをすこし変えたいとおもっている。うまくいかなかったら、また元に戻すつもりだ。

2017/04/16

春に考える(九)

 和巻耿介著『評伝 新居格』(文治堂書店、一九九一年刊)の冒頭付近に、新居格の直筆の短歌が転載されている。

《路と云ふ路は羅馬に通ずれば
 ドン・キホーテよ でたらめに行け》(「短歌研究」昭和十二年六月号)

 新居格、四十九歳のときの歌だ。
 わたしは短歌の世界には不案内なので、この歌のよしあしはわからない。でも「でたらめに行け」という言葉には、新居格のおもいがこもっている気がする。
 年譜を見ると、五十歳前後から新居格は映画関係の執筆が盛んになる。新居格は、興味をもつと、どんどんのめりこむ。見習いたい。

 わたしは三十代前後から、ゲーム、音楽、漫画など、これまで好きだったものにブレーキをかけるようになった。
 限られたお金と時間と体力を何かひとつのことだけに注ぎ込まないとダメになる……という強迫観念にとらわれていたのだ。もちろん、ひとつのことに集中してよかったところもある。いっぽう、行き詰まったときに逃げ場がない、窮屈なかんじもあった。

 何かをするということは、その分、何かができなくなる。
 しかし無我夢中にのめりこんだ経験は、かならず別の何かにフィードバックされる。今はそうおもえるようになった。

 当初、考えていたぼんやりとした着地点とはズレて(見失って)しまったが、ここ最近の心境の変化を書き残しておきたかった。
 
 続きは、また来年の春になったら考えたい。 

2017/04/15

春に考える(八)

 新居格の著作の序文やあとがきはいつも同じようなことを書いている。よくよく考えてみると、ちょっと変だ。

 新居格著『市井人の哲學』(清流社、一九四七年刊)の「自序」ではこう綴っている。

《本書にはこれといつた特色はない。それは誰よりも著者であるわたし自身が知つてゐる。わたし自身が特色がないのに特色があるものが書けるわけはないし、わたしとしてもさうした特色を欲してはゐないのだ。わたしはただわたしの思ふところを率直に書いただけの話だ。それはわたしの生活そのままの表現であり、わたしの日常の言葉通りのものである》

 余所行きの言葉ではなく、普段通りの自分の言葉で文章を書く。新居格はそう心掛けていた。
 いつも自分が考えていること、考えてきたことを書く。これがけっこうむずかしい。「こんなことをわざわざ書く必要があるのだろうか」という気持になって書けなくなる。「特色のあるものを書こう」とおもうことはわるくない。しかし特色のある手法が使い古された手法だったり、特色を出そうとしすぎて伝わらなくなったりすることもよくある。

 それに自分の「当たり前」は誰にとっても「当たり前」とは限らない。
 変に奇をてらったり、難しい技巧を駆使したりしなくても、凡事徹底していけば、自ずとその人ならではの味が出てくる……こともある。自分の「当たり前」を表現しきるのは意外とむずかしいものだ。そういうことは若いころにはわからなかった。

 四十代後半になって、できなくなったことが増えた。何か新しいことをはじめるにしても十代や二十代ではじめた人と同じようにはいかない。ただ、若いころよりもペース配分や続けるための工夫みたいなものはできるようになった。

 すぐには上達しないけど、その分、時間をかけて、地道にやり続けていくうちに、いつの間にかできなかったことができるようになっている。そういうことはよくある。

(……続く)

春に考える(七)

『生活の錆』の「春の淡彩」の「そうした因襲的な言葉による阻止ほど甚だしいものはない」という文章のすぐ後で、新居格は語調を強め、こう綴っている。

《そんなことをいひたがるものこそ文明の敵であり、人類の敵である》

 四十代半ばで、新居格が水泳とダンスをはじめたとき、まわりから「いゝ年して」みたいなことをいわれたんでしょうねえ、たぶん。

 昔の話だが、わたしは小学六年生のとき、生まれてはじめてクラスの学芸会のための演劇の脚本を書いた。脚本の書き方も何もしらないまま、白地のお絵書き帳に四十枚くらい書いた。

 出来不出来はさておき、自分の中に一晩で四十枚も文章を書ける力があるとわかったことが嬉しかった。その力は自分だけにしか意味がない。だが、もしこんなことができたって何の意味もないとおもっていたら、わたしはまったく別の人生を送ることになったにちがいない。

 好きこそものの上手なれというが、そう簡単には好きなだけでは続かない。
 新しいことをはじめる。興味や好奇心の芽は、慎重に育てないとすぐ枯れてしまう。おもうようにならなくて嫌になることもあれば、のめりこみすぎて燃え尽きてしまうこともあれば、「つまらない」とか「ヘタクソ」とか何とかいわれて、やる気をなくしてしまうこともある。

 最初のうちは、うまくいかないのは当たり前とおもって、気長にやるしかない。イメージとしてはトロ火でコトコト煮込んでいくかんじが理想だ。

 ちなみに、今のわたしは一晩に四十枚の文章を書く力は失われて久しい。

(……続く)